新・あの人に聞きたい 私の選んだ道
様々な分野で活躍中の「あの人」が、自分の青春時代や進路選択の様子、仕事の喜びや業界の裏話などを楽しく語ります。
※この記事は”進路指導の最先端がわかる雑誌”季刊『進路指導』(公益財団法人日本進路指導協会刊)に連載されているものです。

第13回 西口正さん
兵庫県生まれ。慶應義塾大学を卒業後、大手損害保険会社に勤務。営業職を長年経験したのち、独立して塾を開業。学校教師の子弟が数多く通う塾として人気。

「幸い塾講師には定年がありません。日々小さな生徒たちに囲まれて私も元気をもらっていますから、ぼけるまでは現役で続けていきたいですね。」
第12回 森川すいめいさん
「私は『40歳までは悩んでいい』と思うのです。40歳まではいっぱい勉強をして、自分の成長のために投資をして、自分探しをしたほうがいいと思います。」
第11回 デービッド・ブルさん
「私が木版画家になったのが37歳なのですから、世の中の学校を出たばかりの人は、まだ今の姿が本当の姿ではないかもしれませんね。」
第10回 百瀬堅斗さん
「どんな理由で始めようが、自営業なので自分がやらないことにはどうにもなりません。目の前の難題から逃げるというわけにはいかないのです。」
第9回 ヨシタケシンスケさん
「一生井の中の蛙でいる戦い方も、それはそれで面白いのかなという気がしています。世界中をまわった人に『こいつの井戸の中楽しそうだな』と思わせるようなこともひとつの方法なのだろうと思います。」
第8回 葉一さん(教育YouTuber)
「2歳の息子が、いずれ大きくなって私の動画を見た時に『この授業わかりやすいな』って言ってもらえたら最高ですね」
第7回 木村晋介さん
「法を守るために弁護士がいるわけではなく、揉め事や争いを公平に解決するための道具が法律であり、弁護士なんです」
第6回 東陽片岡さん
「普段はスポットライトが当たらない市井の人々に焦点を当て、悲哀とユーモアに満ちた人間模様を描きたいですね」
第5回 土居利光さん(上野動物園園長)
「ひとつのことに集中し、その専門の学者になる生き方もありますが、興味の周辺にも目を配れば、さらに世界が広がると思います」
第4回 清水隆彦さん(諏訪台中学校校長)
「荒れていた初任校とギリシャ日本人学校への赴任、 これが私の人生にとって大きな転機となりました」
第3回 清水崇さん(映画監督)
「好きなことを糧に生きる以上、他人に愚痴 や悩みを言えませんし、痛みや苦しみもあり ますが背を向けないでほしいです」
第2回 倉科遼さん(漫画原作者)
「才能がない私が、才能が問われるこの世界に飛び込んだ以上は、人の何倍も努力することが大切だと肝に銘じています」
第1回 藤田晃之さん(筑波大学教授)
「教科調査官時代に得た『チームで仕事をす る醍醐味』は、大学教員では味わえない、か けがえのない5年間でした」
Vol.66 仲代達矢さん(俳優)
「俳優には月給も退職金もありません。その代わり定年もありません。プロというのは死ぬまでプロだという意識を持つべきです」
Vol.65 北原照久さん(ブリキのおもちゃ博物館館長)
「四〇〇坪の倉庫にはまだ十軒分の博物館に相当する量のコレクションがあります。それでも自分の欲しいものを頭に描けるのはとても幸せだと思います」
Vol.64 渡辺えり子さん(劇団「宇宙堂」主宰者)
「贅沢をしたり、高価な服を買ったりすることには興味がありませんでした。私には舞台の上に夢があって、舞台の上でドレスを着られたら、それで満足だったのです」
Vol.63 松谷みよ子さん(作家)
「戦争中、疎開先で坪田譲治先生に出会えたことは私にとって非常に幸運だったと思います」
Vol.62 山村レイコさん(国際ラリーライダー、エッセイスト)
「私は戦うこと自体は好きです。しかし、その戦うべき相手は大自然ではなくて自分の弱気なのです」
Vol.61 水野晴郎さん(映画評論家、映画監督)
「映画が好きで、これまで一所懸命に映画の仕事をやってきました。映画は私の人生の師と言っても過言ではないでしょう」
Vol.60 永井一郎さん(声優)
「『サザエさん』の放映がこんなに長く続くとは思いませんでした。こんなに不自由な職業はありません。でも、私のようにこの仕事が面白くて夢中になれる人には堪えられないでしょうね」
Vol.59 佐藤文机子さん(ライフセーバー)
「ライフセービング人口を増やして、ライフセービングをもっと浸透させたい。それが私の目標です」
Vol.58 近藤冬子さん(パティシエ)
「将来、パティシエになりたい人は『自分がどんな味を目指したいのか』というように、味から入るべきです。人から勧められるよりも自分の味覚を信じて『これがおいしい』と思った店を探すことが大事でしょう」
Vol.57 小泉武夫さん(食の冒険家)
「中学生の時は、いつも鞄の中に缶切りや割り箸、醤油、缶詰、マヨネーズなどを入れて持ち歩いていました。そんな私に付いたあだ名が“歩く食糧事務所”でした」
Vol.56 北野 大さん(工学博士)
「化学の最大の魅力というのは、今までになかった物を作ることです。そして、社会のお役に立てるのが一番おもしろいわけです」
Vol.55 田部井淳子さん(登山家)
「当時は『男は仕事、女は家庭』という考えがまだまだ根強くて、女がエベレストに行くということについては理解や協力を得るのが大変でした」
Vol.54 見城美枝子さん(エッセイスト/ジャーナリスト)
「アナウンサーというのはとても孤独です。特にナレーションをするときは一人の世界です。でも、私にはそれが心地よかったのです」
Vol.53 横澤 彪さん(吉本興業取締役相談役)
「利口ぶってやるよりも、アホになってやる方がもっと世の中が広く見えるよ、というのが僕の基本的な考え方です」
Vol.52 君原健二さん(メキシコオリンピック銀メダリスト)
「中学校時代、高校時代をとおして算数、数学という科目は比較的いい成績を残すことができましたし、マラソンというスポーツにいかすことができました」
Vol.51 真壁京子さん(気象予報士)
「予報の仕事は常に天気図とのにらめっこであり、非常に地味です。でも、その地味な作業の中で自分の思ったとおりの天気になったときにはやりがいを感じます」
Vol.50 松元 恵さん(フリーダイビングの日本代表選手)
「海にいる時は厳しい現実を忘れることができたのでよけいに夢中になったのでしょうね。とにかく素潜りでは、ジャックは本当に神様みたいな存在でした」
Vol.49 高橋 和さん(女流棋士)
「小学六年生のときに女流育成会に入ったのですが、実は私、そこがプロの養成機関だとは知りませんでした」
Vol.48 吉村作治さん(早稲田大学エジプト学研究所所長)
「考古学者は『一生懸命やっていればいつかはなんとかなるさ』というような大らかな人でないと務まりません」
Vol.47 ピーター・フランクルさん(数学者)
「数学者のいいところは、国が変わっても研究には全く影響がなく、どこへ行っても同じ研究ができるということです」
Vol.46 梅沢由香里さん(囲碁棋士)
「父が亡くなって、自分の人生は自分で選べるということに初めて気がついて、悩み抜いた末に、やはり囲碁しかないと、プロを目指すことにしました」
Vol.45 増田明美さん(ロスオリンピック代表選手/スポーツジャーナリスト)
「大会で走っている時は苦しくても、頭に浮かぶのは次の日の朝礼で表彰状をもらってみんなの視線を集めることだけでした」
Vol.44 井出洋介さん(麻将連合代表、日本健康麻将協会特別代表)
「麻雀のプロの中から、たとえば将棋の羽生善治さんのようなスターが後進の人たちから生まれるようにしたいです。そのために競技者の世界を確立したいですね」
Vol.43 堀田 力さん(さわやか福祉財団理事長)
「ボランティア活動を広めて誰もが助け合う社会にしないと、日本は経済的に豊かになってもいい社会にならないなぁと思ったのがきっかけです」
Vol.42 野出正和さん(おもちゃの大工)
「物を作っているときはすごく楽しかったんだ、と。探し続けた自分の一生涯の仕事をやっと見つけられたのです」
Vol.41 市村尚久さん(文学博士:教育学)
「本当の人の知性とは、経験とモラルが含まれているものです。論理の積み重ねだけでは『知』とはいえません」
Vol.40 三橋滋子さん(起業家)
「ビジネスはチャレンジし続けること。常にもっと上を目指したいという気持ちを持ち続けなければ現状維持さえ難しいはずです」
Vol.39 野口悦男さん(温泉ジャーナリスト)
「山が好きだった。写真が好きだった。高校生のころ、山と写真を大人になっても続けていける職業を考えました」
Vol.38 柴田和彦さん(飼育人)
「子どもたちが動物を好きになるかは最初の出会いにかかっています。だからこそ、生命力のある動物を育てたい」
Vol.37 馬場マコトさん(クリエイティブ・ディレクター)
「広告の面白さは、価値観がどう変えられるか、生活システムをどう変えられるかというところにあるのでしょう」
Vol.36 風間深志さん(冒険家)
「人間は地球から逃れられない。大切なのは、地球のリズムで生きることです」
Vol.35 小山由喜さん(スポーツドクター)
「スポーツ選手の治療は、ただ安静にしていては駄目。適切なトレーニングをしながら治すのです」
Vol.34 米村傳治郎さん(サイエンス・プロデューサー
「『想像力を刺激する科学』が僕の原点。人をわくわくドキドキさせる『アート』と同じ領域のものです」
Vol.33 岸 朝子さん(食生活ジャーナリスト)
「食べ物をおろそかにすることは人生をおろそかにすること。料理をすることは命をつくることです」
Vol.32 白木ゆりさん(画家)
「先生は子どもたちに絵画鑑賞の楽しみを教えて。絵を観て議論することは、個性の理解につながります」
Vol.31 橘 左近さん(寄席文字書家)
「努力しても花咲かない人も多いなんて意見は無視すればいい。途方もない夢を描けるのが若さの特権だから」
Vol.30 青木淳一さん(生物学者)
「虫を殺しちゃいけない、植物をちぎっちゃいけないという教育では、命というものがわからなくなる」
Vol.29 松井 計さん(作家)
「一番怖いのは先が見えないということ。横になって眠れることがいかに贅沢なものかを実感しました」
Vol.28 藤森照信さん(建築史家・建築家)
「建築科に入っても最初は数学や物理ばかりでつまらない。仕方なく文学書を読み始め,文系に目覚めました」
Vol.27 三好春樹さん(生活とリハビリ研究所代表)
「『頑張ろう』じゃない。『あきらめる』から出発するのが介護。あるがままの姿を認めることが大切です」
Vol.26 梨元 勝さん(芸能リポーター)
「性格が暗ければ、その暗さを武器にすればいい。自分を偽らなければ、誰でも芸能リポーターになれます」
Vol.25 神田 紅さん(講談師)
「魅力のない人間は魅力のある芸人にはなれない。
感動しない人間は人に感動を与えることはできません」
Vol.24 杉浦幸雄さん(漫画家)
「漫画家になったら忙しくて勉強なんてできない。
できる時に一生懸命勉強しておけと、若い人には言いたいですね」
Vol.23 藤田紘一郎さん(カイチュウ博士)
「整形外科でインターン中のトイレでばったり出会ったのが伝染病・寄生虫が専門の教授。これがウンのつきでした」
Vol.22 石井美千子さん(人形作家)
「出産後に結核を発症して過ごした病院で、『人の人生とは』『生きるとは何だろう』と考え、人生が変わりました」
Vol.21 小田啓二さん(日本ガーディアン・エンジェルス理事長)
「好きな英語を学ぼうと高2で留学。そこで出会ったのが『よけいなお世話をしよう』という地域社会づくりでした」
Vol.20 澤登 翠さん(活動写真弁士)
「女優になる夢も中途半端に破れ、大卒後の引きこもり生活中に観た無声映画の虜に。台本書きからスタートしました」
Vol.19 本広克行さん(映画監督)
「テレビ製作会社で長くやって、適当にOK出す自分がいた。『枯れてるな、オレ』と感じ、フリーになって一発奮起」
Vol.18 式守伊之助さん(大相撲立行司)
「相撲好きの父が庄之助への弟子入りを勝手に決めてきた。仕方なく高校を中退し、夜行列車で大阪に向かいました」
Vol.17 古今亭菊千代さん(女流落語家)
「27歳の時、女性の落語家がいると知って悔しくて……。師匠の前で『飛び降りる!』と脅して弟子入りに成功」
Vol.16 金沢泰裕さん(牧師)
「暴走族から少年院、そしてヤクザの世界に入って10年、人生やり直した。『もう遅い』なんてことはないんです」
Vol.15 篠田次郎さん(日本酒評論家)
「一級建築士として携わった酒蔵づくりで日本酒に出会い、いつの間にか吟醸酒ブームの仕掛人と呼ばれるように」
Vol.14 西丸震哉さん(作家)
「私は人間『41歳寿命説』です。若い人は時間がない。だから、やりたいことを早く見つけて早くやってほしい」
Vol.13 林家正楽さん(紙切り芸人)
「弟子入りしたけど、もともと不器用で工作はまるでダメ。昼間は会社、家に帰ったら徹夜で紙を切る毎日でした」
Vol.12 宇佐美徹也さん(プロ野球アナリスト)
「試合を観るよりスコアをつけること自体が楽しくて、勤めていた糸問屋を辞めてパ・リーグに入ったんです」
Vol.11 金 美齢さん(評論家)
「最初の仕事は米国人家庭のベビーシッターでしたが、勉強し続けていたからチャンスが来るたび挑戦できた」
Vol.10 原ひさ子さん(女優)
「裏方にでもなって手に職をつけたいと応募した前進座。『何もできないところがよい』と女優で合格しました」
Vol.9 井口保子さん(アナウンサー)
「初めて買ったダービーの馬券が月給以上の大当たり。それが女性初の競馬アナウンサー誕生のきっかけです」
Vol.8 小松 茂さん(マタギ)
「100キロを超えるツキノワグマに出くわした時のこと。喉の奥まで腕を突っ込み、鉄拳20発でやっつけたよ」
Vol.7 増井光子さん(横浜動物園長)
「大学を出て上野動物園の園長に就職を直訴しました。動物園が都営で職員が公務員だなんて知らなくて……」
Vol.6 花島皆子さん(マジシャン)
「高校受験を控えた中3の時、叔父に誘われて弟子入り。サーカスみたいなものかなと勘違いしてました」
Vol.5 長尾みのるさん(イラストレーター)
「進駐軍で舞台美術の仕事をしたいとGHQに直談判。渡された英文の台本でデザインを描き、合格しました」
Vol.4 野村深山さん(手作り三味線奏者)
「43歳の時、設計会社の社長を辞めて三味線の道へ。『父さん殺して、みんなで死のうか』と家族は言った。」
Vol.3 秋山庄太郎さん(写真家)
「銀座で女優の原節子さんとすれ違った2ヶ月後に、写真を撮らせてもらえた。運がいいんですね」
Vol.2 北見けんいちさん(マンガ家)
「『釣りバカ日誌』の連載が始まったのは40歳。このまま一生アシスタントでもいいと思ってたけど」
Vol.1 春風亭柳昇さん(落語家)
「八百屋も魚屋も毎日仕入れに行って商売している。噺家も毎日新しいネタを仕入れないとダメですよ」


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