第8回 マタギ
小松 茂さん
2000年5月号掲載


PROFILE
大正元年9月19日生まれ。88歳。栃木県栗山村川俣出身。川俣小学校から旧青年学校に進むが、幼くして父をなくし、長男として家を継ぐため、14歳ごろから鉄砲と釣りの名人でもあった祖父に連れられ狩りを始める。戦後は川俣地区はもとより、今市・日光方面の女峰、赤薙山麓や福島・群馬県方面まで足をのばし狩を続ける。現在では栃木県でただひとりの“最後のマタギ(狩人)”といわれる。「マタギ」とは、人里離れた東北や北越の山間部でケモノを撃って暮らしてきた“狩猟の民”のこと。熊の毛皮の装束や独特の頭巾をかぶり、冬は集団で狩りに出かけ、夏は農耕に従事した。栗山村の狩人は日光マタギとの説もあるが詳細はわからない。

最後のマタギといわれる加仁湯本家の小松 茂さん
 川俣がある栃木県表栗山は、山また山の峻険な断崖が続く鬼怒川の源流地帯にあり、総面積は427.4平方キロ、東京都23区ぐらいの広さがあり、その94%が森林で、平地はごくわずかだ。水田はまったくない。昭和30年代に川俣ダム建設用の道路が開発され、平家落人伝説の村は大きく変わることとなる。それまで、狩人たちはケモノ道を駆けめぐり、鳥獣を射止め、川魚をとり生活していた。それが猟期の短縮や禁猟地域の拡大、さらには海外から安い毛皮が多量に入ってくるようになって、ますます狩人では生活できなくなっている。かつて、栃木県内に1万数千人いたといわれる狩人も、今ではすっかり姿を消してしまった。狩猟は今や趣味・スポーツに変化し、現在、川俣にも10人のハンターがいるが、いずれも公務員、食堂経営者などである。

狩りと釣りがここでは必須なのだ
 わしは昭和2年、14歳から鉄砲ぶちを始めたんだ。親父を早くに亡くしたわしは、長男ということもあって、小さい頃から爺さんに狩りに連れられ鍛えられた。というのも当時の栗山村は、狩りと釣りができなければ生活できない環境だったからだ。
 爺さんが現役の頃は『御山根本之巻』という書き物を持っていれば、いつでもどこでも銃がぶてたんだ。御山根本之巻は山立根本巻、山達根本巻ともいって、マタギ仲間に伝承するいわば教典みたいなもので、マタギが山の神を助けたので、国中の狩りは特免される、と書かれてあったそうな。まあ、当時は今みたいに銃の免許についてもうるさいことがなかったということかな。
 わしが14歳のとき「もうお前もマタギとして一人立ちせよ」という爺さんの許しがでて、当時、横浜の業者が輸出用の毛皮類の取引を取り仕切っていた関係で、よく横浜に出かけていた母が、わしに合う鉄砲を買ってきてくれたのよ。
 このころのわしの仕事、というより川俣の暮らしは、みんな大変だった。そうさな、生活のためにいろいろやったなあ。川俣では日光曲げ物といって、日光に住む職人が作ったことからそう呼ばれた米飯などの食料を入れる漆器で、日光の代表的な産物の材料の木地だしという仕事が一番だった。あとは貴重なタンパク源だった岩魚釣り、漢方薬としても需要があった山椒魚とり、養蚕や百姓も少しやったな。
 鉄砲ぶちは11月ごろから4月の末ごろまで。そうだ、雪が積もる冬にやるんだ。5月から6月上旬ぐらいが原木とり。梅雨の季節に入ると山椒魚とり。竹で作った捕獲用の籠のウケを150本ぐらい用意する。当時は清流の流れにこのウケを備え付けておくだけで、簡単にとれたもんよ。
 日光曲げ物の材料とりは、女夫渕から鬼怒川上流の黒沢、コザ池沢、加仁湯の先まで入ってやるんだ。原木はクロビ(標準和名はネズコ)。国有林が多いので、国から買うわけだが、わしは年に7本ぐらい仕入れた。原木とりは初夏から雪が降る頃まで。そう、山に泊り込んで、一気にやるわけさ。まっ、短い期間ですわ。
 春はまた、雪が残っている間に曲げ物の底とフタに使う原木とり。底とフタの材料づくりは、自分の家の近くの河原の丸太小屋で加工した。加工といっても薄板にして、曲げ物の大きさに合わせて板木にする。今市と結ぶ大笹林道の中継所である小休戸というところまで運ぶのは、多くはカアちゃんたちの背中だね。だから1年に2回、男料理で女衆を慰労する“背中休め”というのがあったな。晴れていればドブロクや料理を持ち寄り、愛宕山下の神社前で宴会よ。この日ばかりは、男たちが接待することになっていたんだ。


 加仁湯は奥鬼怒四湯のひとつで、昔は「蟹湯」と書き、温泉が湧く河原に沢蟹が群棲していたという。鬼怒沼や尾瀬縦走のハイカーたちは、山小屋みたいな造りの加仁湯を利用していたが、今は鉄筋3階建ての近代的な温泉宿に生まれ変わった。肌がつるつるになる“美人の湯”で、五つの露天風呂が自慢だ。ここのご隠居・小松長久さん(84歳)は小松茂翁の弟である。いろり端での夜語りがユニークで、人気がある(TEL.0288-96-0311)。

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