第54回
エッセイスト/ジャーナリスト
見城美枝子さん
2004年3月号掲載


PROFILE
青森大学教授/エッセイスト/ジャーナリスト。群馬県館林市出身。早稲田大学大学院理工学部研究科修士修了。一九九九年四月より同博士課程に在籍。日本建築の研究を進める。 
TBSアナウンサーを経て,フリーに。海外取材を含め五三カ国以上を訪問。現在,青森大学社会学部教授を務め,建築社会学,メディア文化論,環境保護論を講義中。著作,対談,講演,テレビで活躍。近著に『見城美枝子の本音で!リフォーム奮闘記』(ニューハウス出版)がある。

<早稲田大学大学院理工学部にて>
人前で話すのが苦手
 私は元々,人との競争に弱いので,今の若い人たちの状況がよくわかるのです。今は一人っ子や二人兄妹が非常に多いし,男一人,女一人の兄妹(姉弟)の場合は一人っ子とよく似ていると言われます。その人たちが大人になって「なぜ覇気がないのか」と言われますが,それは競争心が弱いからです。人との競争というのはとても疲れるのです。ただ,私は自分との競争には強いですね。たとえば,勉強というのは自分との戦いだから,全く苦にはなりませんでした。
 それから,私は大勢の人の中で調和をはかることが苦手なのです。周りからは「とてもそんな風には見えない」とよく言われるのですが,それは好きな仕事だからできるのです。自分自身もそうですが,みんなの前で話すことが苦手だという人を見ていると,苦手だと思うから一所懸命アピールするし,笑顔も作った笑顔ではないからかえっていいのではないでしょうか。しゃべるのが苦手な人の方が,すごくセンシティブに相手のことを考えるのだと私は思います。
 私は元々アナウンサーでしたが,アナウンサーというのはとても孤独です。特に,ラジオなどでナレーションをするときは一人の世界です。小さなアナウンスブースに入ると,隣のミキサーや打ち合わせ室との間にはとても分厚い二重の扉があって,その扉が閉まるとシーンとして音が何も聞こえません。でも,私にはそれが心地よいので,ナレーションの仕事は好きでした。


女性の憧れる三大職業
 高校生の時に「報道や取材の仕事に就きたい」と考えて以来,放送の仕事を志望しました。実は当時,同じ報道の仕事でも,女性の新聞記者というのはまだまだ少なかったし,一地方で普通に暮らしている女の子が新聞記者になるとはほとんど考えなかったと思います。
 でも,同じジャーナリズムでも放送ジャーナリズムは違いました。ラジオやテレビは新しいので,当時からいろいろな人が活躍しているのを,私は小さい時から魅力的にとらえていました。母が申すには,幼少の頃の私はオタマをマイクに見立ててインタビューのまねをしていたそうです。
 当時,女性に門戸を開いていたのが,今は客室乗務員と言いますが,スチュワーデス,通訳,アナウンサーの三つでした。女性の憧れる三大職業と言われており,私も憧れました。ただ,通訳については海外に行って暮らさなければなれないのでは,と思って親に相談したのですが,私が一人っ子ということもあってか,許されませんでした。
 もっともアナウンサーをめざすにしても,これからはインタビューや取材をする時に語学ができなければいけないと考えました。当時としては先見の明があったと思います。ネイティブ並みにしゃべれなくても,相手がしゃべっていることを通訳できるぐらいわからなければ次の質問ができないでしょう。
 ですから,大学とは別に語学学校にも通って勉強しました。今では「ダブルスクール」と言いますが,私はその「走り」でした。その上,サークルは放送研究会に入っていたので,その放送研究会の活動と,家庭教師のアルバイトなどで大学時代はとても忙しかったです。


つづきを読む>>
1/3


一覧のページにもどる
Copyright(c) 2000-2024, Jitsugyo no Nihon Sha, Ltd. All rights reserved.