第32回
画家
白木ゆりさん
2002年5月号掲載


PROFILE
画家。昭和四十一年東京都世田谷区生まれ。六十二年女子美術短期大学造形科卒業。平成元年同大学芸術学部卒業。三年多摩美術大学造形学部版画家研究生修了。「無数の傷のような線と点がちらつきうごめく,しかし静謐で自立的な画面」(東京国立近代美術館学芸員・保坂健二朗氏評)で,若手銅版画家の第一人者に躍り出る。プリンツ21グランプリ展準グランプリ,現代日本美術展和歌山県立近代美術館賞,銅版画国際トリエンナーレルビン市長賞(ポーランド),青島国際版画ビエンナーレエクセレント賞(中国)など受賞多数。十一年から銅夢版画工房の講師,本年からは東京福祉専門学校の美術講師もつとめる。祖父は「炎の人-ゴッホ小伝」の作者である劇作家の三好十郎。

女子校大賛成。文化祭でも体育祭でも男子生徒に助けてもらえないから自立心が芽生えます。女子校出身者は強いですよ(笑)
初めて他人から認められた
 私の作品は線と点を中心とした抽象的なものが多いため,描いている本人もよほどの変人ではないかと周囲から思われがちなのですが,いたってふつうの人間です(笑)。とはいえ,友人たちからは「ゆりちゃんは話すスピードも,歩みもワンテンポ遅い。これまでよく生きてこられたね」といつも言われますが,のんびりした性格は子どもの頃からですから仕方ありません(笑)。幼稚園に入学した当初も引っ込み思案な性格で,積極的に友人を作ることが苦手な子どもでした。自分は何の取り柄もないつまらない人間だと子ども心に思っていたんです。ところがお絵かきの時間に,担任の先生の顔を描いたところ,何人もの先生から「うまいね」とほめられた。絵に関しては,それまでも両親からほめられることはあったんですが,身内からほめられるのと,他人からほめられるのとではまったく別ですからね。これで図に乗ってしまいました(笑)。それからはもっとほめてもらいたい一心で,ひたすら先生方の顔を描いていた。子どもは不思議なもので,何かひとつでも得意なものができると,ほかのことにも自信を持てるようになります。幼稚園を卒園する頃には,友だちの世話をするのが大好きな,すっかり外向的な性格に豹変していました。ただ,のんびりした性格だけはいつまでたっても変わりません(笑)。

画家になると宣言する
 中学は中高一貫の私立女子校に入りました。これは母の強い意志です。「あなたのようなのんびりした子が公立中学でやっていくのは絶対に無理」と(笑)。私に合ったのびのびとした校風の学校ということで,母が探してきた学校が桐朋女子でした。通信簿もなく,人間は何かひとつ取り柄があればいいという学校で,先生方は知的でかつ楽しい方たちばかりでしたね。
 小学校低学年のときからずっと絵画教室に通っていたこともあり,入学と同時に迷わず美術部に入りましたが,桐朋のクラブ活動は中学,高校が合同なんです。小学校を卒業したばかりの女の子から見れば,高校生はもう大人の女性に見えます。その存在感に最初はびっくりしましたが,こちらの緊張をときほぐすように先輩のお姉さん方がやさしく教えてくれましたね。当時の私はゴッホやセザンヌが大好きで,油絵で静物画や風景画を描いていました。
 「将来画家になる」とはっきり決めたのは中学三年生のときです。クラスの友人たちに勢い込んで宣言したことを覚えています(笑)。しばらくして両親にも宣言しましたが,あまり驚いた風はなかった。七夕の短冊に「画家になれますように」と小学生のときから書いていたくらいですからあたりまえですが(笑)。ただ,美大受験のときに,父から言われた言葉は未だに耳に残っています。「絵画でも文学でも,芸術というものは人に教わってできるものじゃない。最後は自分自身の力だ。それでも美大に行きたいのかよく考えて決めなさい」と。シナリオ・ライターを目指していた父は北海道から上京後,私の祖父である三好十郎の書生となり,三好の死後,そのひとり娘である母と結婚しましたが,シナリオ・ライターになる夢は残念ながら果たせなかった。その思いがあるからこそ厳しく励ましてくれたのだと思います。父は現在,特注のゴルフクラブを作る仕事をしていますが,みなさんご存知のドラコンやニアピンの旗を初めて商品化したのも父なんです。結構,アイデアマンなんですよ(笑)。


版画制作の魅力とは?
 女子美の短大では油絵科に入りましたが,父の言葉が耳から離れなかった私は,大学内の版画工房に出入りするようになった。版画は油絵などに比べて,技術的な要素が重要で,プリンターという,どんな人の作品もその人の注文に合わせて刷り上げる,ものすごい技術を持った職人さんもいるくらいです。せっかく美大に入って高い授業料を払ってもらっているのだから,せめて自分の作品くらいは自分で刷れるようになりたいと。まあ,少しでも元を取ろうと考えたわけですね(笑)。
 ところがそうして版画の勉強をしているうちに次第にその魅力に取り付かれてしまったんです。卒業制作では,女の一生を「生」と「欲望」と「死」の三つに分けてリトグラフで具象的に表現することにしました。この二番目の「欲望」ですが,「性欲」ではなくて「食欲」なんです。まだ女性として未熟だったんですね(笑)。もう成人式にも出ないで,二十歳のエネルギーをすべて卒業制作に注ぎ込みました。後にも先にもあれだけ作品づくりに没頭した日々はありません。この作品は卒業制作賞を受け,以降,それまで以上に版画にのめり込む契機にもなりました。ただ私の興味自体は具象的なものから抽象的なものへと移っていきましたが。
 いったい何が版画の魅力かと考えましたが,制作する側からすると,刷り上がったときに版と紙をはがすときの,あの感触がたまらないんですね。インクが紙にくっつきながらはがれていくあの瞬間ほど快感を感じるものはありません(笑)。もちろん自分がこれまでに投入してきたエネルギーのすべてが眼前に表出してくる喜びも大きいんですが,それ以上にはがすときの感触にしびれてしまうんです。これって私だけなのかしら(笑)。

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