第21回
日本ガーディアン・エンジェルス理事長
小田啓二さん
2001年6月号掲載


PROFILE
おだ・けいじ 1971年北海道北見市生まれ。88年高校二年の途中で渡米,アラバマ州の高校に留学し,ボストン大学に進む。90年暴力と犯罪の追放を掲げて街をパトロールするボランティア組織ガーディアン・エンジェルスに参加。91年ニューヨーク国際本部の専従スタッフとなり,92年ニューヨーク市本部長に就任。95年,阪神淡路大震災の視察中に地下鉄サリン事件が発生したのをきっかけに帰国。96年東京支部を正式に発足。99年NPO法に基づき経済企画庁(現内閣府)から特定非営利活動法人第一号として認証される。東京都主催「心の東京革命推進協議会」役員,久留米大学経済学部特別講師ほか。

ハイスクールの仲間と酒を飲んで羽目を外し,警察官に捕まった苦い経験もあります
地域の子どもは地域で育てる
 私は北海道の北見市に生まれました。実家は呉服店を営んでいましたので,忙しい両親に代わって,地域の商店街の人たちみんなの手で育てられたようなものです。当時の大人は自分の子どもでなくてもよく叱っていましたね。きかん坊だった私は特によく叱られたものでした(笑)。学校から息せき切って走って帰ってくると「こら,よそ見しながら走るな。車に轢かれたらどうするんだ」なんてコツンと頭を叩かれましたね。逆にいい子にしていると,隣の玩具屋のおじさんがご褒美だと言って,自慢のハーレーダビッドソンに乗せてくれたりもしました(笑)。地域の子どもは地域で育てるという伝統がまだ生きていたんです。
 今でもそういった美風が残っている地域もあるとは思いますが,都市化が進むにつれ,他人の子どもには構わない,関心を持たないといった風潮が蔓延してきているのは残念なことだと思います。とにかく自分にとっては,そんなぬくもりのある地域で育ったことは本当に幸せでしたね。


アメリカ留学を決意する
 高校二年のときに渡米して,アラバマ州のハイスクールに留学しました。留学した理由にはふたつありまして,ひとつは英語が好きだったんですね。父親は独学で英語を身に付けた人で,私が小学校六年生のときから,忙しい時間の合間を縫っては英語を教えてくれたんです。父親がなぜ英語を独学したかといいますと,着物というのはまさに日本文化の粋というものですから,外国人のお客さんがよく来店したんです。父親とそういう外国人のお客さんとのやりとりを側で見ていて,「ああ,いつか自分もああいう人たちと自然に話せるようになりたい」と思っていたんです。
 もうひとつの理由は日本での高校生活に行き詰まっていたことがあります。小・中学校と違って,高校は広いエリアから生徒が集まってくるじゃないですか。当時の自分は人見知りする性格だったこともあって,入学した高校で良好な友人関係を築くことができなかったんです。いじめに近いこともありました。また,がんじがらめの校則にも反発していました。髪の毛はああしろ,服装はこうしろと,そういう学校側の一方的な指導に息苦しさも感じていたんです。留学するにあたって両親の心境は複雑だったと思います。それでも最後は私の希望を聞き入れてくれました。出発当日は母親が成田空港まで見送りについてきてくれましたが,照れくさくてこちらからは何も言葉をかけてあげられませんでした。出発ロビーに向かう途中,エスカレーターの下から見上げると母親が泣いていて,あのときはジーンときましたね。

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