第7回 横浜動物園長
増井光子さん
2000年4月号掲載


PROFILE
大阪府出身。麻布獣医科大学卒業。獣医学博士。昭和三十四年上野動物園に勤務。六十年日本で初めてパンダの人工繁殖に成功。六十三年井の頭自然文化園長、平成二年多摩動物公園長、四年上野動物園長とともに日本動物園水族館協会長。八年に東京都退職後、麻布大学教授を経て現在、よこはま動物園長。また、兵庫県豊岡市のコウノトリの郷公園長(非常勤)として日本コウノトリの野生復帰にも取り組む。著書に「動物と話す本」「動物の親は子をどう育てるか」など多数。エイボン教育賞、内閣総理大臣表彰、日本女性科学者の会功労賞受賞。日本自然保護協会評議員、世界自然保護基金日本委員会評議員、ウガンダ国立公園名誉ワーデン。

あだ名は強情牛(こってうし)。後へは引きませんからね
人形よりもヘビが好き
 大阪に生まれた私は、およそ自然とは縁遠い場所で幼年時代を過ごしました。それでも戦前ですから時にアオダイショウが民家に入りこんだり、夕方になればコウモリが飛んだり、トンボなんかも路地に飛んでいました。子どもたちは糸の両端に小石を結びつけて、空中に放り投げてはトンボを採って遊んでいました。  物心ついたときから動物に興味の尽きなかった私は、ゴミ捨て場のミミズやハサミムシ、縁の下のダンゴムシと遊ぶのが日課でした。漢方薬店のウインドーの中でとぐろを巻いているマムシやシマヘビを見るのも大好きでした(笑)。 でも、これはおかしなことではないんです。子どもは動くものに対しては何にでも興味を持つものなんです、かわいいから、きれいだからという理由で好きになるわけではありません。ところが大人がマイナスの影響を与えてしまう。「やだやだ、汚いからこっちにきなさい」とか、「あれはこわいんだよ」とか言うわけです。そうすると子どもはだんだんさわらなくなってしまう。その点、私の周囲の人たちは、私がミミズやヘビが好きでも、何ら否定的なことは言わなかった。だから人形やおもちゃよりミミズやヘビのほうが好きでも、自分が変だなんて少しも思いませんでしたね。
 そのうちに戦争が激しくなり、小学校二年生のときに生駒山麓の村に疎開しました。村はやがて町になり、現在は東大阪市になっていますが、東には生駒山の山並み、西には延々とつづく水田と、里山の自然がふんだんにあった。私は朝もまだ暗いうちから生駒山に登り、どのポイントに行けばどんな虫がいるかをチェックしてから登校し、学校から帰ってきてはふたたび生駒山に採集に行くという毎日でした。疎開というと、あまりよい思い出がないという人が多いようですが、動物好きの私にとってはまさに最高の環境でした。食べ物がない、着る物がないといったことは、私にとっては何でもないことで、あれが食べたいとか、この服が着たいなんて未だに思ったことがないですからね(笑)。
 結局、高校を卒業するまでこの町に住んでいました。


獣医師になるのは小学生のときからの夢
 幼稚園の頃は、将来は動物専門の画家になろうと動物の絵ばかり描いていました。また博物学にも興味があり、標本作りにも関心がありました。魚屋さんに行くと見たこともない魚がいっぱい並んでいる。中には売り物にならない雑魚も入っていて、その雑魚の中に形の変わったものや色のきれいなものがある。それをもらってきてはいつまでも眺めているわけですが、そのうちにだんだんと腐ってくる(笑)。これを腐らないようにして、色も姿もこのままとどめるにはどうすればいいんだろうとか、そんなことを一生懸命考えていました。幼稚園児のころです。防腐のためには焼けばいいんじゃないかと焼いてみたんですが、色は変わるわ、さよりみたいにくちばしの尖っている部分は焦げて折れてしまうわと大失敗でしたね(笑)。
 獣医師になろうとはっきり心に決めたのは小学生のときです。ウサギの繁殖を手始めに、イヌの品種改良のようなことにも挑戦しました。小学校五年生のとき、初めて赤毛のメスイヌを飼いましたが、このイヌはシーズンごとに子イヌを産みました。当時は番犬用にイヌを欲しがる人が多く、すぐにもらい手が見つかったんです。そのうちに耳が立ち、毛は赤毛で尾は左巻き、口のまわりに黒いマスクがある子イヌほどもらい手に人気があることがわかってきた。そこで私はもらい手の希望にそえるよう、条件に合うスタイルのいいオスイヌをオムコさんにしようといろいろ努力しましたが、ほとんど彼女にはねつけられた。毎回、彼女の選ぶ相手はいちばん貧弱で見栄えのしないオスイヌの場合が多かった(笑)。このことを通して私はイヌはなかなか自己主張のあるものだということを知りました。そして高校生のときには、本格的に紀州犬を作り出そうという日本犬の愛好家グループにも参加するようになっていました。


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