第9回 フリーアナウンサー
井口保子さん
2000年6月号掲載


PROFILE
いぐち・やすこ 東京都葛飾区出身。東京学芸大学社会科卒業。大学三年のとき,ラジオ関東(現・ラジオ日本)のアナウンサー試験に合格し,在学のまま入社。当初は「夕べの音楽」「日曜コンサート」などの音楽番組を担当していたが,競馬に魅せられて,昭和四十六年日本初の女性競馬実況アナウンサーへ転身。以来,平成七年まで競馬番組を担当。アナウンサー室課長を経て独立,現在はフリーアナウンサーとして活躍のかたわら,競馬コラムニストとしても「東京中日スポーツ」新聞誌上でコラムを連載。著書に「女の直感競馬」「井口保子の直感競馬」など。日本女性放送者懇談会賞受賞。女性競馬ジャーナリストクラブ会長。

ビギナーズラックって本当にあるんですよ
学芸会ではいつも主役
 葛飾区の生まれというと,下町情緒あふれるところで育ったように思われがちですが,わが家は新興住宅街にあったので,あまりそういった風情は感じられませんでしたね。子どものころの思い出といえば,父親が日本橋にあったデパートに勤めていた関係で,デパート内の劇場で歌やお芝居をよく鑑賞させてもらったことを覚えています。そんなこともあってか子どものころから人前で歌を唄ったり,お芝居をするのが大好きでしたね。小・中学校と学芸会ではいつも主役をはっていましたから。とにかく目立ちたがり屋だったのかもしれません(笑)。  
 アナウンサーになるのは子どものころからの夢でした。といってもまだテレビのない時代ですからラジオのアナウンサーに憧れていました。それで中学・高校と放送研究会に所属していたんですが,教師になってほしいという母親の強い希望もあり,東京学芸大学に入学しました。でも,アナウンサーになりたいという気持ちも捨て切れないでいた。そこで大学でも放送研究会に入りました。ただ,教職の勉強も一生懸命にしていましたよ。学校の先生になったらガリ版が上手に切れないといけないというので,大学の授業が終わった後にガリ版の学校にも通っていたくらいです(笑)。
 大学三年のとき,ラジオ日本の入社試験を受けに四年生の先輩方と一緒にいったんです。たまたま,そのときのアナウンサー試験は卒業見込みの学生でなくても受けられたんです。もっとも私としてはちょっとした腕試しのつもりで,来年の就職試験に備えて場数を踏んでおこうくらいの軽い気持ちだったんです。これが幸いしてしまった。四年生の人たちは後がありませんから必死です。どうしても緊張してしまう。人間は緊張すると早口になってしまうものなんです。たぶん,緊張感から一刻も早く逃れたいという気持ちが働くからなのかもしれません。その点,私は落ちても来年がありますからあまり緊張せずに,試験官から渡された原稿を自然に読むことができた。  
 その日のうちに一次試験の合格者が発表されたんですけれど,合格者は一緒にいった十数人のうち,私ともうひとりだけでした。帰りの電車の中では,落ちた先輩方の気持ちを考えると笑顔も見せられず,ひたすら神妙にしていた。その後,二次,三次試験とすすんでいくわけですが,結局採用されたのは私だけでした。


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