第36回
冒険家
風間深志さん
2002年9月号掲載


PROFILE
冒険家。地球元気村主宰。昭和二十五年,山梨県山梨市に生まれる。四十七年から八年間,モーターマガジン社『月刊オートバイ』誌の編集。五十五年独立し,アフリカ・キリマンジャロ峰(五千八百九十五メートル)をバイクで登攀。バイク用品専門店「風魔プラス・ワン」を開く。五十七年、第四回パリ・ダカールラリーに日本人初出場。五十九年から六十年にかけてエベレスト(八千八百四十八メートル)のバイク登攀に挑戦,北壁直下高度六千メートルのバイクによる世界記録樹立。昭和六十二年に北極点,平成一年から二年にかけて南極点,バイクによる世界初の到達を果たす。最新著作は『10万回のキャスティング』。

コロンブスなどの昔の社会的使命がある探検家と違って、冒険家は夢とロマンだけが原動力なんだ
空を翔る夢
 俺はね,山梨県の田舎の生まれで,ちっちゃいころは孫悟空になりたかったんだ。筋斗雲に乗って空を走りまわれたら面白いだろうなぁっていつも思っていた。空に対する憧れが強かったんだね。よく,山のてっぺんや,田んぼ,野原に寝転んで空をずっと見ていた。夏には夏の雲があり,秋には秋の表情がある。飽きることなく空を見上げたもんだよ。小学校で学校の先生に「大きくなったら何になる?」って聞かれたら「パイロット!」って答えていたね。さすがに孫悟空とは言えなかったけど,空を飛び回りたいという気持ちに変わりはなかった。
 小学校の高学年ころ,近所の人が飼っていたのに影響されて,伝書鳩を飼いはじめたんだ。レースをさせる鳩で,あちこちのレースに参加させていた。最初は二羽から始めたのを三十五羽くらいに増やしたほど凝ったのは,大空を飛んでいく鳩に,自分の空への憧れを託していたんだと思うんだ。


いつも立ち返る原風景
 スポーツハンティングをしている友達のお父さんが,猟犬としてビーグル犬を何匹も飼っていたんだ。中学生のころ,そのお宅から白と茶と黒のブチのビーグル犬を一匹もらい,「メリー」と名づけた。鳩だけじゃなくて犬も飼い始めたら,鳩よりも犬が面白くなっちゃったんだよね。鳩が飛んでいくところには一緒に行けないけれど,犬が走っていくところには自分も一緒に走って行けるのだから。犬の特別な嗅覚を頼りに雉を追ったりしながら,山の奥まで駆けていく。自分の空に対する憧れ,不思議なものに対する憧れみたいな興味から,現実の足元にあるものを具体的に体験していきたいという興味に変わっていったんだ。
 毎日ビーグル犬のメリーと山の中を走り回っていたね。犬のほうが自分よりもすばしっこく駆ける。それが中学生からバイクで野山を走るきっかけになった。二本の足で犬を追いかけるよりも,バイクに乗って追いかけたほうが早いじゃない(笑)。家にあった五十CCのバイクで,犬と競争するようになった。「あいつが降りられる崖ならば,俺もバイクで降りてやる」そうやって荒野のコースを競ううちにだんだんバイクの腕も上がっていったんだね。初めのうちはメリーに負けてばっかりだったんだけれども,メリーに初めて勝つ日がくるんだ。設定したゴールでバイクを止め,振り返るとメリーが小さな体で懸命に駆けてくる。俺もメリーも息を切らせながら,爽快だった。山の中を駆け巡ることに夢中だったね。まぁ,山の中をバイクで走っていたのは,なんせ無免許の中学生,駐在さんに見つからないようにというのが大事な理由の一つだけれども(笑)。アグレッシブに山の中を走るのは,アスファルトの道路を走るよりも,変化に富んでいておもしろいよ。
 毎年一月十日に,消防団の出初式っていう大きなイベントが中学校のグラウンドであったんだ。毎年見に行っていたんだけれども,中学校三年のとき,今年は見に行かないで,大人に挑戦してやろうと思ったの。消防団のおじさんたちがやぐらを上って逆立ちしたりするんだったら,俺はバイクでもっとすごいことをしてやろうって,近所の裏山の頂上までバイクで登ってやると決意したんだ。大人でもそんなことできた奴はいないだろうって,思った。
 出初式の朝早くから,いろんなルートから裏山をアタックしてみた。こけたり,ずり落ちたり,思うようには進まない。一日中かかって,最後はバイクを押し上げながら,死ぬものぐるいで山の頂上に立ったんだ。視界がどーっと開け,顔から全身から汗がぼたぼた落ちて,「やったー!」と仰ぐとでかい空がまぶしかった。汗をぬぐいながら眼下を見やると,いつも暮らしている町がミニチュアのように美しく見えた。自分のなかでの一つの大きな挑戦に,打ち勝った感動。やりこなした充足感が見せてくれる風景の美しさ。打ち震える感動のなかに力がみなぎってくるような,このときの気持ちが今に至るまでの原体験になっているんだ。「あの感動をもう一度味わいたい」この気持ちが,俺のすべての基礎になっている。
 十四才から始めて二十六才までモトクロスのレースも参加していたけれど,バイクで初めて山を登りきったときの感動は味わえなかった。弱かったからじゃないよ(笑)。チャンピオンにもなったけれど,レースコースで人と競って勝つことよりも,常に原風景として持っているあのときのような大いなる自然の持つロマンとか希望とか言葉に表しにくいもののほうに惹かれるんだと,レースに出るたび再認識したね。
 大学を卒業したあとしていたバイク雑誌の編集者を三十歳で辞めたのも同じ理由だった。編集の仕事は面白かったけれど,やっぱり自分は乗り手であり,無限に広がる空間・自然を体感していたいと思った。それが俺の生きている意味だと,十五歳の自分が教えてくれた。
 原体験,原風景ってすごく大きな力になるものだと思う。だから,皆に,子どものころに自分の人生の支えになるような原体験を持ってほしいって,伝えたい。おそらく人は皆,自分のその後の人生の意味を開眼してくれるような原体験に出会う。それがいつどのような形なのかわからないけれども,その出会いに鈍感にならないように,おとなが子どもたちに,大きな広い意味での枠組みを作ってあげることも必要だと思う。いろんなものに挑戦する機会を与えたり,果敢に立ち向かうすばらしさを伝えてあげたり,そういったプレゼンテーションが大切なんだ。


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