第51回
気象予報士
真壁京子さん
2003年12月号掲載


PROFILE
気象予報士。一九六七年,神奈川県生まれ。玉川学園女子短期大学を卒業後,(株)ヤナセ勤務を経て,日本航空国際線・国内線スチュワーデスになる。日本航空退職後,お天気関係の仕事をしたいと思い,気象予報士試験を受験,合格。森田正光氏の(株)ウェザーマップに所属し,TBSお天気キャスターとして活躍,現在に至る。著書に,気象予報士になるまでを描いた『気象予報士になりたい!』(講談社)がある。

「実は,私は予報士を選択する前に,お医者さんになりたいと思っていたんです。でも,本屋さんで大学入試問題集の赤本を開いただけであきらめました(笑)」
勉強大嫌い!
 小さい頃はとにかく活発な子どもでした。自然に恵まれていたので外で遊ぶことが多かったのです。ですから勉強は大嫌いでしたが,体育だけは得意でした。苦手な教科は,気象予報士に一番必要な理科や算数でした(笑)。これは小学校だけでなく,中学校や高校でもそうでした。とにかくテスト勉強をした覚えがないんです。自慢することではないですけれど(笑)。
 中学,高校は私立のミッション系の一貫校に通っていましたが,別に進学校というわけではなくて,非常にのんびりとした校風で温室のような六年間でした。高校二年生の夏ぐらいからは,短大受験のための勉強を一所懸命しました。そうしたらテストでも八十点とか九十点とか取れるようになったんです。私の通っていた学校では,先生はみんなシスターだったのですが,シスターが「もうすぐ受験だから勉強しなさい」ということは一切言わないんです。「真壁さん。あなた,やればできるのよ」という感じでひたすらはげましてくれて,それで私も高校二年生ぐらいで自分が努力すればできるという部分に目覚めたんですね。やはりほめるのは大事です。


OLからスチュワーデスへ
 短大卒業を控えた私は,両親のすすめでヤナセの入社試験を受けました。実は,私はヤナセで扱っている車の種類もよくわからず,とりあえずベンツだけは知っているという感じでした(笑)。だいたい,当時は「卒業したら別に働かなくてもいいや」と思っていました。その時やっていたアルバイトがとても楽しかったので,別にアルバイトをそのままやっていてもいいなと思っていたのです。でも,いろいろと考えるうちに,やはり社会人になるのもむだではないと思い直して就職しました。
 結局,ヤナセには一年半いて,その後は日本航空のスチュワーデスに転職しました。でも,社会人としての基礎もヤナセで身につきましたし,今の自分から考えて,ヤナセに入ったことは決してむだではなかったんです。私は小さい頃に勉強しなかったことも全然むだではなかったと思っています。たとえば,ずっと自然に触れて遊んでいたから季節の移り変わりに敏感であり,それが今の仕事にとても役立っている部分があります。
 スチュワーデスを目指したきっかけは,私が一つの箱の中に納まっているのが耐えられないという性格だったからです。学生時代もそうでしたが,OLはもっと自由がきかないですよね。仕事はルーティンワークで,朝何時に起きて,何時の電車に乗って,ということまで全部決まっているのが私には許せなくて,とにかく不規則な仕事がしたかったんです(笑)。
 そんな時にたまたま雑誌を見ていたら,「スチュワーデスの既卒募集」というのを見つけて応募しました。そして,試験対策として元スチュワーデスの岩淵隆子先生が開いている教室にも通いました。夕方,勤務を終えてからその教室へ通うという二重生活が続き,ある時,教室からの帰りの電車の中で生まれて初めて貧血を起こしたこともありました。でも,自分の中ではちっとも「苦」ではなかったです。スチュワーデスになりたいという気持ちと,現状から脱出したいという気持ちの二つでしたね。

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