第42回 おもちゃの大工 野出正和さん

つなげたり高く積んだり遊び方はさまざま。遊び方が規定されないのが木のおもちゃの魅力です
しっくりくる仕事を探して
 わけもわからないまま十八歳でサラリーマンになることになりました。健康保険組合で保険証の管理をする仕事です。コンピュータにデータを入力したり,保険証を発行したり。四時ごろから新聞を広げて五時の退社時間をいまかいまかと待っていましたね(笑)。
 本当はいけないことなんだけれども,三年目くらいからは,退社後の夜,銀座のピアノバーでアルバイトをしていました。ピアノを弾いていたわけではありません(笑)。厨房で,野菜スティックやピザなどを作っていたんです。このアルバイトのほうが本職の健康保険組合の仕事よりずっと面白かった。
 また,上司に誘われて始めたゴルフですが,かなりはまって練習していたことがあります。とは言っても,月の手取りが十万円もないほどのサラリーマン生活です。そのころ出会ったレッスンプロに切に事情を話しうまくなりたいと訴えたら「土日の朝六時に練習場に来い」とおっしゃいます。六時から八時まで練習場の整備や掃除をすると二時間びっちり練習を見てもらえる,そんな日々が始まりました。その方とはずいぶん一緒の時間を過ごしたものです。平日は彼がレッスンプロをしていた池袋のデパートにある室内練習場に仕事終わりに立ち寄り,ばんばん打ったあとは,池袋で一軒,地元で一軒二軒と飲み代も全部払ってもらって飲み歩き,朝方のラーメンで締める,そんな毎日でした。
 そのころゴルフを通じて知り合った方に紹介され,医学系洋書の輸入販売をしている会社に転職しました。そこで医学情報の入ったCD-ROMを販売する新しい部署に配属されたんです。全国各地の大学病院や大きな病院にデモンストレーションに伺って受注してくる仕事です。中身は英語や外国語で専門用語が飛び交っているし,完全に理解していたわけはありません(笑)。でも,社長賞をもらったり,十年前からいる先輩より給料がよくなったり,すぐに評価されたんですね。そのことが逆になんか違うなぁって思わせました。努力を認めると言われてもぼくは全力では努力していないのにこれで通用するのはどうなのかとか,この人のようになりたいと憧れるような人がいないとか,転職して一年が経つとそんなことを考え始めていました。
「帝国ホテルのロビーでお会いしたい」。いいタイミングでそのころ流行っていたヘッドハンティングの話がやってきたんです。顔を合わせるといきなり条件提示ですよ。移籍金がいくらで,最低保障額がいくらで,役職がどこで,という具体的な話。二十四歳にはびっくりする額でした。もう,即断で二度目の転職です(笑)。今度の仕事は医療コンサルタント。医療用具を開発すると当時の厚生省に申請して認可を取らなければいけません。そこでメーカーと大学病院,厚生省の間に入ってうまくコーディネートするのです。
 この会社でかみさんに出会い,結婚を機に二人で会社を辞めました。給料はよく,会社全体が見渡せるような仕事をしていたけれど,やっぱり一生涯の仕事とは思えなかったんですね。今度こそ一生続けられる仕事を探そう,仕事しながらではゆっくり真剣に探せないと,半年間無職で家にいましたね。かみさんに「働いて」って言って。かみさんの両親からしてみると,ちゃんと稼いでくるサラリーマンと娘は結婚したと思っていたのもつかの間でプータロー亭主,失業保険が出ていたとはいえ衝撃だったでしょうね(笑)。
 毎日,掃除洗濯をして,たまにはおすしを握ってみたり棚を作ってみたりと楽しみつつ,かみさんの帰りを待っていました。何か面白そうなことをしていそうな会社,エコロジカルなことを事業にしているとか,こだわりのありそうな工務店とかを狙って就職活動もしました。でも,これだというところに決められなかったんですよ。「そろそろ働かないと」というときに,医療コンサルタント会社の同僚が独立して「一緒にやらないか,そこでやりたいことをする資金を作ればいいじゃないか」と声をかけてきたんです。
「じゃあ,やるか」となったものの二人とも資金がないんです。それで考えたのがクレジットカードのキャッシング(笑)。一人三十万円キャッシングできたので,二人合わせて六十万円の資金で飯田橋に事務所を開業しました。売り上げは伸びていき,有限会社にして社員も増えていきました。でも,会社組織にしたぶん経費がいろいろかかり,二人の社長の給料としては十万円ほどしか持って帰れないんです。社長ってつまらないなと思いましたね。
 そんなとき,子どもが生まれました。長男の顔を見ながら「この子には元気にまっすぐ育ってほしい」と強く思いました。そのためには親父が元気で人生を楽しんでいなければならないだろう,輝く親父の背中を見せてやりたい。ぼくはやっと思い出しました。学校の先生になりたかったんだ,子どものころも結婚したてのプータローのころも物を作っているときはすごく楽しかったんだ,と。「木のおもちゃを作ろう」。探し続けた自分の一生涯の仕事をやっと見つけられたのです。


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