第46回 囲碁棋士 梅沢由香里さん

「実は,対局中の独り言がわりと多いですね。バカなことをやっちゃったなぁ,なんてぼやくこともあります」
手相占いでプロをあきらめた
 院生になった時からすでにプロになろうと思っていました。院生のほとんどは,高校には進学しません。最近は大学まで行く人も増えてきましたけど,昔は特に,みんなプロになるために院生になるので,院生になったらみんな学校の勉強をしなくなってしまうのです。それで,気がついたら高校や大学に行こうにも行けなくなっているということが多かったようです。
 私が大学に行ったのは,単純に行ってみたいと思ったからです。高校三年生の時に受験勉強をしましたが,途中,早い段階で学校推薦が決まったので本当にラッキーでした。受験勉強と同時に囲碁の勉強も続けていましたが,それが大変というよりも,むしろ囲碁の勉強をやっていたから気分転換になって合格できたと思います。こんなことを言うと,なんだかすごく賢そうに思われるかもしれませんのでお断りしておきますが,私はとても飽きっぽくて,同じことを三十分と続けられないのです。それで,受験勉強と碁の勉強をしていたら,結果的にうまくいったのですね。
 大学に入ったら囲碁の成績が落ちてしまいました。毎日,学校が楽しくてしょうがなかったのです。なにより集中力が全然ダメになってしまい,碁に気持ちがいかなくなってしまったのです。お恥ずかしい話ですが,大学に入るまではずっとまじめ,まじめ,まじめで来ていたので,大学に入ったら世界が広がって「なんて楽しいんだろう」と。だいたい,あの楽しい時にコツコツ勉強なんかできないです(笑)。そこから自分探しの旅が始まってしまいましたね。
 囲碁の成績が悪くなってプロをあきらめようと思ったこともありました。大学一年生の時に,あまりにも囲碁の成績が悪くなってしまい,街角で手相占いをしてもらったのです。そうしたら「あなたは道を間違えている。プロにはなれないよ」と。私も「そうか,だったらやめちゃおう」と(笑)。その時は後押しをしてもらおうと思っただけだったのですが,これがまたいいタイミングで言われてしまったものですから,それで囲碁の勉強をやめてしまったのですね。さらに,大学二年生になる頃には,ちょうど院生のほうも年齢制限で卒業せざるをえなかったというのもありました。
 父は,私になにがなんでもプロになれというのではなくて,とにかくいろいろなアマチュアの大会で活躍してくれればいいと考えていたようです。ですから,私も大会だけは出ていたのですが,プライドが高くなっていたから,本当は負けるのが恐くて出たくなかったのです。それまでプロを目指していたというのが自分の中では誇りになっていたので,アマチュアの大会で負けるなんて恥ずかしくて耐えられない,なんて思っていました。それは自信のなさの裏返しですよね。
 では,大学に行かずに囲碁だけを勉強していればもっと早くプロになれたのかと言われると,それはそれで一つの生き方だっただろうとは思うのですが,私の場合,とても精神面が弱かったので,大学に行くとストレス解消ではないですが,気持ちが楽になる部分が大きかったのです。ですから,大学に通っていたからこそ囲碁を続けられたと思います。もし,碁だけだったら精神が持たなかったかもしれません。逆に言えば,碁だけに賭けられる人というのは本当に強いですね。


地獄を見たプロ試験
 大学三年生の時に「なるべくこの一年間は自分を見つめ直して将来のことを考えるようにしよう」と,就職活動が始まる三年生の終わり頃までいろいろと悩みました。また,父親の体の具合が悪くなっていたということもありました。それで,碁についていろいろと考えたのです。今までは自分の中で,どこかに「父親にやらされていたから碁を続けていた」という意識があったのです。ところが,そのうちに父が亡くなって,自分の人生は自分で選べるということに初めて気がついて,そこから「本当は何がしたいのか」ということを探しはじめたのです。それで,いろいろと悩み抜いた末に,自分にはやはり囲碁しかないと思い,プロを目指すことにしました。ただ,エンジンはかかっていませんでしたね。助走でした(笑)。私は本当に怠け者なのです。エンジンがかかるまでにとても時間がかかります。結局,ものすごい勢いで助走をつけてエンジンがかかりはじめたのが,プロ試験が始まる直前の七月ぐらいでした。でも,そこからはものすごく集中してやりました。それまでの自分の人生で最も勉強した時期でした。
 私は院生ではなかったので,試験は普通の人として受けなければなりませんでした。入段試験の外来予選に合格して,院生の下のクラス(Bクラス)と戦う一次予選でも勝ち残ったのです。そして,本戦でAクラスの院生と戦って三位に入ればプロになれたのですが,ここで次点(四位)になってしまいました。だから,ぎりぎりでプロになれなくて本当にがっかりしました。
 その後,次点の人同士で戦って一位になればプロになれるというチャンスがありましたが,ここでも次点(二位)になってしまいました。二度の次点ですっかり落ち込みましたね。
 でも,師匠の加藤九段の勧めで,十一月に行われた女流棋士の特別枠採用試験を受けに行きました。この試験は,一般試験で入段を果たす女性が男性に比べて圧倒的に少ないので,少しでも女流棋士を増やそうと設けられた,一ヵ月間の総当たりリーグ戦です。でも,私には一般試験を落ちてから女流棋士試験が終わるまでの数カ月間はまさに地獄でした。体調も悪くて頭痛や肩こりに悩まされましたが,とにかく必死でした。家から会場のある千葉県幕張市までは二時間かかるのですが,とにかくその行きの電車がつらくてつらくてたまらなかったです。あの時は我ながら本当によくやったと思います。十二月末に終わって合格した時はほっとしましたが,それから一ヵ月間,顔中にじんましんが出て大変でした。よほどストレスがたまっていたのでしょうね。合格したこともうれしかったですが,もう試験を受けに通わなくていいんだという喜びも大きかったです(笑)。


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