第43回 さわやか福祉財団理事長 堀田 力さん

世の中の人々に自分の訴えたいことを直接訴えられますから,文章を書くってなかなかいいなぁと昔から思ってましたね(上の著書はいずれも講談社文庫)
戦後最大級のロッキード事件
 その後,一九七二(昭和四十七)年から三年半,法務省刑事局から出向という形でアメリカ・ワシントンの日本国大使館に勤務し,一九七五年に帰国しましたが,その翌年の二月にアメリカ上院外交委員会の多国籍企業小委員会で,日本の政府高官にロッキード社の金が渡っているというのが発覚したんです。政府高官の名前は伏せられているんですが,日本中が大騒ぎになりました。それがロッキード事件の始まりです。通常は汚職事件の捜査は,相手に気づかれて証拠隠滅が行われないようにこっそりやってパッとガサ入れして,証拠を押さえていくというやり方ですが,ロッキード事件は最初から表に出ちゃって,おまけに検察にはなんの資料もないし,国民は「解明しろ」という大合唱ですし,そんな事件はそれまで検察は扱ったことがないからどうやっていいか全くわからない。国民みんながマスコミ報道で検察と同じだけの資料を持っているんですから,こんなに捜査がやりにくいことはない。アメリカから資料をもらってこなければならないし,かといってアメリカも自国の国民に隠している資料ですから,これを外国である日本にくれるかというと,そんなのは絶対くれんだろうというのが法務省や検察の意見でしたね。当然ですよ。ただ,私はそれまで三年半,アメリカの司法省などとつきあっていましたから「いや,アメリカだったらくれるかもわからん」と言いますと,「じゃあ,お前こっそり行ってもらってこい」と(笑)。
 まぁ,資料をもらうのも大変でしたが,最大の難所はアメリカの裁判所に対してお願いした,ロッキード社社員ら贈賄側の証人調べです。ところが,向こうの弁護士は優秀で,「抗弁」というんですが,次から次へと全部で二十以上もの主張をしてきたので,それをひとつひとつこちらも反駁して破っていかなければいけないんですね。だから裁判がなかなか進まない。
 でも,自分一人の力だけではどうすることもできないですから,不安やストレスで眠れない,という状態が続きました。失敗したら検事はやめなきゃいけないし,弁護士になったって「あの事件で失敗したあいつが弁護士だなんて」ということで格好悪いしなぁ,なんて考えてイライラもしました。そんな時に「まぁ,失敗したらボランティアをやろう」と腹を決めたら眠れるようになったんです。ボランティアの世界ならどんな人でも受け入れてくれるし,楽しんでやれるかなと。そう思ったらストレスがなくなって,また知恵も気持ちの余裕も出てきましたから,結局はうまくいきましたけれどね。
 一九八三(昭和五十八)年十月十二日に東京地裁の判決(田中角栄元首相に懲役四年)が出ました。私は論告求刑をした後は法務省刑事局の総務課長に移ったんですが,判決を聞いた時,努力はきちんと報われると感無量でした。


退官,そして福祉の世界へ
 その後,旭川地検,大津地検を経て,検事の道に進むきっかけとなった大阪地検特捜部に配属になりました。特捜部の仕事というのはほかの検事の仕事とは全然違うんです。特捜部以外は警察から送られてきた事件を扱うのですが,特捜部の事件は全く警察の関与なしに自分で掘り出すところから始まり,内偵して証拠を固め,逮捕状を取って逮捕する,というように全部検事がやるわけです。
 その後,昭和六十三年に甲府地検検事正になり,平成二年に法務大臣官房長に就任しましたが,平成三年に退官して財団の前身の「さわやか福祉推進センター」を設立しました。ボランティアへの思いというのは実はワシントンに赴任した頃からありまして,当時,小学校に上がる前だった私の息子二人を連れて行ったんですが,現地でいじめられるのでは,と心配していたんです。そうしたら近所で子供たちにサッカーを教えるボランティア活動をしている人に,とっても親切にしてもらえたんです。他の子供たちともすぐに仲良くなれたし,差別は全くなかったんですね。ところが日本に帰って来たらその逆で,同じ日本人だけれど日本語がしゃべれないというだけで,いじめられたんです。これは日本の社会の方がおかしい。ボランティア活動をもっと広めて誰でもが助け合う社会にしないと,日本は経済的に豊かになってもいい社会にならないなぁと思ったのがきっかけです。
「さわやか福祉財団」ではボランティアを全国に広めるボランティア活動をしています。今は昔と違って,若い人たちの中には何か社会に役立つことがしたいということで,ボランティアをする人が増えています。学校の授業でボランティア体験学習なども増えていますし,これは本当に良い動きですね。
「さわやか福祉財団」でも学校にいろいろと働きかけています。
 たとえば「ボランティアパスポート」というのがあります。子供たちに三十枚ほどシールを貼れるパスポートを配って,いいことをしたらシールを貼っていくというものです。貯まれば先生から「よくやった」とほめてもらえるんですね。それを今度は地元の商店街に持っていくと,なにがしかの寄付をしてくれる。その寄付してもらったお金を,これは子供たちがあらかじめ決めておいて,たとえばそのお金で黒板を買ってカンボジアへ送ろうとか,あるいは鉛筆を買ってアフガニスタンへ送ろうとかするわけです。この「ボランティアパスポート」は昨年始まったばかりですが,平成十四年で七千枚ぐらいですね。今年は一万五千枚用意しました。
 ボランティア活動というのはやっぱり自分が好きなことをしないと続かないんです。いろんな活動を体験してみるというのは,実は自分がどういうことが好きなのかという「自分発見の旅」なんです。こんなことを自分は好きなんだということが見つけだせれば,自分の将来も見えてくるし,好きなことだとがんばれる気がしますよね。それがやる気を出し,がんばって生きていくための基本になると思います。ただ勉強を強いるだけではやる気のある子は育ちません。

(構成・桑田博之/写真提供・さわやか福祉財団)
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