第37回 クリエイティブ・ディレクター 馬場マコトさん

社会というシステムのなかで,やっていいこと,いけないことを,大人はきちんと教えなくちゃ。フィールドの中でのジャンプ力が大事なんだ。
広告は社会に何ができるか
 大学卒業後はマスメディアに行きたかったんです。だけど思うところには受からなく,受かった企業の中でメディアに近いところということで落とし前をつけ,リクルートに入りました。社長は江副浩正氏でした。営業部配属と聞かされていた僕に,「君はコピーを書け」と広告クリエイティブの道を作ってくれたのは彼です。僕は,コピーといえば複写のことだと思っていたくらい基礎知識もモチベーションもなかった(笑)。彼のすごいところはそれぞれの役割をつかむのがうまいということでしょう。人事がうまかったのも,リクルートを大きくできた一因だと思います。僕のどこを見てコピーライターにと思ったのかわからないけれど,あの人が配属し,僕のコピーライターの生活が始まったんです。わずか二年勤めて会社を辞めるとき,江副さんは「これで君が実力をつけて,リクルートが企業広告を作るときに,君に頼めたら」と五十万円の退職金とモンブランの万年筆をくれました。江副さんは,気持ちをお金でしか換算できない人なんだと思います。リクルート事件の本質はそこにあるんじゃないですか。こんなに大きな会社になっちゃって,それが嬉しくて,お礼の気持ちで配っちゃう。そんな表現しか出来なかったんじゃないかと思うのです。その無自覚さが,経済人として,社会的に大きくなった会社の経営者として,ふさわしくなかった。でも,今でも,あの人には感謝しています。
 僕はもう三十年以上も広告の仕事をしていますが,いまでも考える命題は,広告は社会に対して何ができるのか,ということ。
 日本初のエイズキャンペーンを東京都衛生局と仕掛けたときは,エイズで死なないための予防管理をしようというメッセージに社会寄与がありましたね。性的なものも含んだメッセージを有名人がボランティアで投げかけるこのコマーシャルは,世間の反響も大きかったです。
 個人的に思い入れが大きいのはNECの「C&C」というキャンペーンですね。イービジネスやイーコマースだけではなく,コンピュータ&コミュニケーションで何ができるのか,コンピュータとコミュニケーションは社会になにをもたらしてくれるのかを考えるのは,NECの勢いのいいときでもあり,わくわくする仕事でした。
 広告のクリエイティブディレクターとは,商品をどういう戦略でどう売るかによってどんな方法論がいいかを考える設計者です。コマーシャルを作る人と思われがちだけれども,どのように働きかけるかコミュニケーションの方法論を考える仕事なんです。たとえば,ちょっと前までは,水は日本人にとって買うものではなかった。でも,今ミネラルウォーターしか飲まないという人は多いでしょう。「水道水より安全でおいしい」と働きかけるか,「欧米ではミネラルウォーターを飲んでいる」と働きかけるか,視点の違いで,その商品の命運がまったく違う方向に行き着く,恐ろしさを楽しんでいる。広告の面白さは,価値観がどう変えられるか,生活システムをどう変えられるかというところにあるのでしょう。
 ただ,これは広告の怖さでもある。お金を出す広告主の価値観に変えるわけだから,それが全て正しいかは,青臭いことを言っているようだけど,永遠の課題ですよね。
 アイディアは,走りながら考えます。今だと家から職場まで少し遠回りをしながら一時間半。走りながら考えると活性化されるのか,企画がポジティブでアグレッシブになるんです。また,人間は容姿も資産も才能も不公平に生まれるけれど,時間だけが平等に二十四時間ですよね。健康維持と仕事がいっぺんにできて,それは時間が二十五時間半あるようなものじゃないですか。
 僕は広告屋として恵まれたところを歩いてきたと思います。でも,寡占ともいえる広告業界で,僕は三,四位の代理店にいたから,いつでも大きなチャンスがやってきたわけじゃないんです。広告業界には僕より優秀な奴がいっぱいいるけれど,彼らは優秀すぎて「いま目の前にチャンスが来ている」ということが見えないんだよね。僕はいま目の前そのチャンスが来ているということだけは見えた。ひとつのチャンスを逃さず成功させて,次に活かしていかないといけない。そんなことは学校では教えてくれない生きる術ですよね。
 僕は教職の免許をもっていたけれど,大学を卒業したころは,何も社会を知らない若造が他人の人生に大きく関わっていくことが怖かったので,教師は志望しなかった。でも,コピーライター塾でずっと講師をしている間に人を教える楽しさを覚えた。人を触ることで,人が変化し,育っていく変化がすごく面白い。僕の高校時代の教師もそんなふうに「壊れたパーツ」に接触してくれたらといつも思います。社会のなかで体得したことを,子どもたちに教えられるシステムができればいいのにとも思います。それぞれの分野のキャリアを活かして社会に還元できる。今だから自信を持って子どもたちに伝えられると思うんです。
(構成・写真/石原礼子)
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