第25回 講談師 神田 紅さん

二十代の頃はニキビがひどく,それでテレビドラマには向かないと言われていたんです
二兎を追う者は一兎をも得ず
「役者の勉強をするならやはり東京」と,翌年,早稲田大学商学部に入学しました。入学式当日に劇研(演劇研究会)の門を叩きましたが,もうそれからは芝居漬けの日々。発声練習に肉体訓練と,トレーナーの上下に下駄をはいて大学に通っていました(笑)。毎日がそんな状態ですから,当然出席率が満たない。男子生徒だったら友人に代返を頼むこともできますが,なにせ商学部,六十人のクラスに女性は三人しかいないんですからとても無理(笑)。一年目が終わったときに進級できないということになったんです。それで担当教授のところに談判に行きました。
「試験の成績は悪くないのに,出席率だけで進級させないのはおかしいじゃないですか」
「君は将来,何をやりたいのかね」
「演劇です」
「ふーん,二兎を追う者は一兎をも得ずということわざを知っているかい。学業を取るか,演劇を取るかどちらかにしなさい」
「それでは演劇を取らせていただきます」
 大学を休学し,文学座の附属演劇研究所に通うことにしました。まさに先生のおっしゃるとおりだと思ったんです(笑)。
 ところが,ここで人生,第二の挫折を味わうことになった。倍率二十倍の入所試験を突破して入った研究所ですが,一年間の本科を終えて研修科に進めるのは十人にひとりなんです。私は絶対に残れるという自信のようなものが秘かにあったんですが,翌年,見事に落とされてしまったんです(笑)。ところが捨てる神あれば拾う神ありのたとえどおり,声をかけてくれた人がいました。「まんが日本むかしばなし」の朴訥な語り口で知られる常田冨士男さんが「ぼくの所属する芸能プロダクションに入らないか」と声をかけてくださったんです。当時は中村敦夫さん,市原悦子さん,原田芳雄さん,萩原健一さん,桃井かおりさんと錚々たるメンバーが揃っていた一流のプロダクションです。うれしかったですね。市原悦子さんの付き人を務めながらも,舞台を中心に女優業に積極的に取り組む生活が続きました。
 数年後,知り合いの音楽家の先生から「原宿のライブステージのあるレストランなんだけれど,何か三十分くらい舞台で演じられないか」と言われたんです。私はミュージカルにも出ていましたから何かしらできると思っていたんですね。ところが役者というものは台本がないと何もできないものなんです。正直にそう言うと,「だから役者はだめなんだ。芸人は違うぞ」と言われ,私は「だったら芸人の勉強をさせてください」と思わず口走っていました。


講談は和風ジャズ
 数日後,大久保の駅でお会いしたのは神田山陽師匠でした。師匠は当時六十九歳。音楽家の先生とは古い友人だったんです。こちらは講談といってももちろん見たことも聞いたこともない。いきなり「講談て何ですか」と聞いたら,けらけら笑って「面白いことを言うね。じゃあ,これからうちに来なさい」と言われ,「さても源左衛門~」と目の前で講談を語ってくれたんです。「ミラミミミララミミミララ」とこれがまさに和風ジャズなんです。すっかり師匠の語り口に魅了されてしまった私は,すぐに稽古をつけてくれるようお願いし,師匠宅通いが始まりました。といっても女優をやめて講談師として生きていこうなんていうような切羽詰まった気持ちがあったわけでもありません。ただ,講談という未知の話芸に出会って,ちょっとでもいいからその片鱗に触れたいというような思いだったのです。何回目かの稽古の後,兄弟子に「月謝はどうしたらいいんでしょうか」と聞いたところ,「師匠が月謝なんか取るわけないだろ。稽古の前に家の掃除をするんだよ」と言われ,あせって掃除もしましたが,これって世間一般では弟子入りというんでしょうか(笑)。
 二ヶ月後,初舞台を踏ませていただきました。語ったのは「ミュージカル講談 へんぜるとぐれてる」です。子どもの残虐性をテーマに音楽家の先生と,その弟さんが書き下ろしてくれたブラックユーモアの新作だったんですが,これがお客さんに大受けだったんです。自分の知り合いばっかりきてましたから当たり前なんですが(笑)。三十分間しゃべりっぱなしの上に,歌ありタップダンスありという作品です。途中で息は切れるし,貧血で目の前も暗くなってくる。それでも終わったあとの充実感はひとしおでした。芝居ではこんな舞台は踏ませてもらっていませんでしたからね。それですっかり味をしめてしまいました。こうして芝居と講談という二足のわらじの生活が始まりました。どちらも面白くてやめられなかったんです。この生活は昭和五十九年,正式に講談協会の会員となるまで続きました。


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