第18回 大相撲立行司 式守伊之助さん

三役格以上は足袋に上草履を履き,印籠も下げます。それぞれの装束の色にも注意して見ると,より相撲観戦が楽しくなりますよ
仕事は盗んで覚えるもの
 一般の方はご存じないと思いますが,行司の仕事というのは土俵で相撲をさばくだけではないんです。むしろ,それ以外の仕事の方が物理的にも時間的にも大きいんです。せっかくですから,行司の仕事にはどんなものがあるかお教えしたいと思います。
 まず,土俵上以外では,土俵祭の祭主としての土俵の安泰祈願,勝負結果の記録,翌日の幕内取組を紹介する顔触れ言上の顔触れ書き,番付書き,番付編成会議や取組編成会議のときの書記,場内アナウンスなどがあります。また他にも巡業先での移動や宿泊の手配,引退興行の案内状の作成など,覚えなければいけないことが数えきれないほどある仕事なんです。ただ学校とは違いますから誰も手取り足取り教えてはくれません。すべて兄弟子のやっていることを横目で見ながら覚えるしかないんです。自分からどんどん盗もうとしなければ何年やっていてもなにひとつ覚えることはできません。これは今も昔も同じです。いやがられるくらいしつこく兄弟子の後ろに付いてこそ仕事が覚えられるんです。
 私は昭和六十年から平成十二年の一月まで,番付表を書いていました。戦後五人目の書き手となります。この相撲字ひとつとっても,五年でそこそこ形になる者もいれば,十年経っても書けない者もいます。本人にその気がなければだめなんです。私もこの世界に入るまでは書道なんてやったことがありませんでした。ただ,師匠から「この世界で生きていこうと思うなら公正無私であることも当然ながら,これだけは人に負けないというものを身に付けろ」と言われて,それで相撲字というものに興味を持ったわけです。もうそれからは一心不乱に練習しました。
 ちなみにこの番付表ですが,自宅にこもって書くわけですが,七日から八日はかかります。線を引くだけで二日,名前も四股名だけじゃありません。出身地から部屋名,下の名前も入れなくてはいけませんからね。それでもどんなに集中して書いても,書き上がったものを校正すると五,六ヶ所は間違いがあります。そんな場合はかみそりで削ったあとにまた書き足すわけです。番付は発表するまで秘密で,ほんの一部の関係者以外は知りませんから,私ともうひとりですべての校正をしなければいけません。番付表が配られた翌日ぐらいまでは心配で仕方ありませんでした。誰も気付かなくてもまちがわれた本人だけにはわかりますからね(笑)。

土俵の上では三人が闘っている
 今年の初場所から,式守伊之助として立行司を務めるようにと協会より内示があったときには,うれしいというよりも,名を汚してはいけないというプレッシャーのほうが大きかったですね。立行司のみ腰に短刀を差します。これは「差し違えたときはその場で腹を切る」ということなんです。もちろん本当に腹を切っていたら命がいくつあっても足りません(笑)。ただ,それぐらいの気持ちを持って土俵に上がれということなんです。行司は勝負の間,どこを見ていると思いますか? 足を中心に見ているんです。上体を見ていても勝敗はわかりません。どっちが早く負けるかと,ただそれだけを見てるんです。昔から「勝ち見るな,負けを見ろ」というのが行司の鉄則なんです。行司の判定には同体はないんですから。
 また,土俵の中で勝負をしているのは力士だけではありません。私たち行司にとっても真剣勝負なんです。相撲取りが土俵の外に出たら負けと同じように,行司も円の外に逃げてはいけないんです。勝負の流れを的確に読みながら体を移動しなければいけません。それでも勘が狂って足を踏まれることがありますが,足袋を履いていても中の皮がずるりと剥けてしまいます。相撲取りの足の裏というのは堅いんです。タバコの火を裸足で踏み消しても熱くないと言うんですから(笑)。実際に下敷きになって腕を粉砕骨折した人もいます。まさに命がけの勝負なんです。
 初場所では立行司として,貴の花と武蔵丸の優勝決定戦をさばきましたが,ふたりとも全力を出しきっての勝負でした。勝負がついたときのあの観客席からの歓声がものすごかった。「貴の花~」と勝ち名乗りをあげている自分の声すらまったく聞こえない。耳がしばらくおかしくなりました。一生忘れられない経験ですね。
 最後になりましたが,四十五年間,相撲を間近で見つづけてきた私が子どもたちにひとつアドバイスをするとすれば,相撲取りで伸びる人はすべて一生懸命に稽古をする人だということです。稽古をしたからといって,すぐ次の場所に結果が出るわけではありません。負け越してもあきらめずに稽古にひたすら励んでいる人は絶対に結果が出ます。今の努力は三年後に実るんですよ。
(構成・写真/寺内英一)
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