第18回 大相撲立行司 式守伊之助さん

行事の仕事は旅から旅です。一年の約半分は家にいないですね
師匠の家の住み込みとなる
 高校を中退したのが二月で,父親に話を持ってきた人に連れられて,三月場所の開かれている大阪に向かいました。この人も佐賀出身の元相撲取りで,私が小学生のときに豆行司をしていたのを知っていて,私に白羽の矢を立てたわけです。
 大阪に向かう夜行列車の中では不安で仕方がなかった。これからどんなことが待ち受けているのかと思うと目がさえて,結局一睡もできず,食事ものどを通らなかったことを覚えています。そのまま相撲場に向かいまして,二十二代庄之助に会いましたが,第一印象は「映画俳優の月形竜之介によく似ているな」ということでした(笑)。言われたことは「辛抱せいよ」のただ一言だけ。後は何もありませんでしたね。当時は,私のように十七歳という遅い年齢で入門するような者はいませんで,ほとんどが中学生です。私が入った年に十人ほど入りましたが,小学生もひとりいたくらいです。高校中退という高学歴で入門したのは私だけですよ(笑)。
 私は相撲部屋ではなく,師匠の家に住み込んで修業をすることになりましたが,これが私にとって幸いしました。相撲部屋にいる人たちは,午後からは自由時間ですから,好きなところに遊びにいけますが,こちらは師匠の用事で外に出る以外は一切外出ができないわけです。最初は相撲部屋にいる人たちがうらやましかったんですが,今考えると師匠の家にいて本当に良かったと思いますね。テレビのない時代ですから,土俵上の動作や声の出し方,筆文字など,相撲に関する勉強をいやでもするしかなかったんです。入門の遅かった私にとって,これは最高の環境だったと思います。


変声期で声が出なくなった
 修業時代で一番つらかったのは,入門直後に声が出なくなったときです。声は子どものころから元々大きいほうではなかったんですが,私はちょうど変声期の真っ最中でもあり,大きな声を出そうとしてもかすれて出ないわけです。なんとか克服しようと,家の近くを走る都電に向かって大声を出す訓練もよくやりました。大きな声を出しても電車の音でかき消されますからね。また,当時はよく田舎に巡業に行きましたから,自由になる時間を見つけては,人気のない山林に分け入って大声を出していました。町中でやると完全にあぶない人と思われてしまいますからね(笑)。
 もうひとつつらかったことを挙げるとすれば,給仕がありますね。行司の世界もお相撲さんと同じで,兄弟子たちの給仕をしなければいけないんです。食事に何時間かかろうと,こちらは正座してご飯をよそったり,お酒を注いだりしなくてはなりません。二,三時間はあたりまえで,お酒の好きな人だったら,五,六時間はかかるわけです。その間,こちらは食べることも飲むこともできません。足はしびれるわ,お腹は空くわで目を回したこともありましたね(笑)。
 やっと兄弟子たちの食事が終わって,自分たちが食べ,風呂に入って,それから洗濯して,「さあ,寝ようか」と思うと夜が明けちゃうわけです。もう年がら年中,眠くて仕方がなかったですね。でも,そういう中で辞めずに頑張った人間だけが上に行けるんです。「こいつは本気でやる気があるのか」とふるいにかけているんですね。その根性のない人間は「早く辞めて別の世界に行ったほうが楽だよ」という思いやりの気持ちでもあるわけです。
 私も何度か辞めようと思ったこともあります。ただ,佐賀を出るときに父親から「辞めたら家の敷居をまたがせない」と言われていましたから,辞めてもどこにも行くあてがなかったんです。もっとも私たちの頃は現在と違い,月給なんていうものはなく,師匠や兄弟子からお小遣いをもらうだけでしたから,佐賀に帰る旅費もありませんでしたね。そこで「辞めるのはいつでもできる」と自分に言い聞かさせているうちに今に至ってしまいました。今は父親には感謝していますね(笑)。


家出少年に間違われる
 こんなこともありました。当時の本場所の初日は全員取組のため,朝五時に取組がスタートします。そのため我々下っ端は四時半には装束を着て相撲場に待機していなくてはいけないわけです。もちろんその前にはストーブに火を入れたりと,こまごまとした雑用もすませなくてはいけません。その日も夜中の三時頃ですが,師匠のおかみさんが焼いてくれた餅を食べながら,隅田川沿いに当時の蔵前国技館まで歩いていると,お巡りさんに家出少年と間違えられて呼び止められたんです。「行司です」というと,「負けるな。がんばれよ」と励ましてくれましたね(笑)。
 十一年目に幕下から十両に上がったときはうれしかった。十両以上は足袋が履けて,明け荷という装束を入れる名前を書いたつづらが持てるようになるんです。それまでは柳行李に何人分かまとめて入れて,自分専用のものは持てないんです。足袋が履けるというのが特にうれしかった。当時は二月に関東巡業というのがありまして,群馬や栃木にも行くんですが,赤城おろしや日光おろしがすさまじくてね。みぞれが降る中をこちらは裸足で歩いているわけです。「裸足だよ,かわいそうに」なんて声が客席から聞こえてくると情けなくて。「早く足袋が履けるようにがんばろう」と,もうそれだけを励みにしていましたね(笑)。


<<戻る つづきを読む>>
2/3


一覧のページにもどる
Copyright(c) 2000-2024, Jitsugyo no Nihon Sha, Ltd. All rights reserved.