第7回 横浜動物園長 増井光子さん

ストレスで疲れた大人ほど動物園にくるべきですよ
イヌを連れての上京
 高校三年になり、私が上京して麻布獣医科大を受けようというときも、周囲は反対しませんでした。むしろ立派な獣医さんになってくれと犬仲間も後押ししてくれ、先生も好きな道に行きなさいと言ってくださいました。幸い合格することができましたが、新入生のうち女子学生は私を含めて二名。女子学生のひとりもいない学年もありました。私が入学するのと入れ替えに女子学生がふたり卒業されたんですが、おそらくそのふたりが日本初の女性の獣医さんではないかと思います。
 私は、大阪から一匹の紀州犬を連れて上京しました。イヌと一緒に上京する学生なんて、いまも昔もそうはいないと思います(笑)。これには理由があります。ひとつはイヌの訓練を本格的にしてみたかったこと、また、実習でイヌに薬を飲ませたり注射を打つときに自分のイヌで練習できることです。
 大学では馬術部に所属しました。うちは農家ではないので大きな動物と接する機会がこれまでありませんでした。私は卒業後は動物園で働きたいと思っていましたから大型の動物の扱いになれておきたかったのです。動物園にはゾウもキリンもいますからね。ウマのように大きな動物が扱えれば小さい動物も扱えるんです。ところが小さい動物ばかり扱っていると大きな動物は扱えなくなってしまうものなのです。
 ジョギングは四十代になってから始めました。それまでつづいていたウマとの付き合いが仕事の都合で中断してしまい、何か手軽にできるスポーツがないかと思ったのです。ジョギングは耐久力をつけ、野外で野生動物を追うときにも役立ちます。それは後に百キロを完走できるまでになりました。いまはまた乗馬を始め、こんどはウマと共に百六十キロ(百マイル)の耐久レースに出場したいと思っています。
 私のすべての行動は、それが獣医師という仕事に生かせるかどうかが判断基準になっているんです(笑)。

パンダは動物界の英雄!?
 卒業を控えて、上野動物園に就職しようと動物園側に問い合わせたところ、獣医師の定員枠が空いていないとの返事。ならば園長に直接頼み込もうと動物園に直訴に言ったんですが、どうも話がかみ合わない。呑気な話ですが、私は上野動物園が都営で、職員はすべて公務員だということをぜんぜん知らなかったんです(笑)。動物園の園長がうんと言えば何とかなるだろうと思っていた。「動物園の獣医師の定数は本庁で決められているんだから、園長がどうこうできるもんじゃないんだ。園の前にいくら座り込んでもだめだよ」と諭されても、「それでも入れてほしい」の一点張りでした(笑)。
 翌年、臨時職員ということでやっと上野動物園に入ることができました。最初は先輩の先生の後についての勉強が中心です。すべてが初めてふれる動物ばかりですからね。ただ見当は付くんです。サイは奇蹄目といって分類的にウマと同じ仲間なんです。だから内臓なんかもウマと非常によく似ている。ゾウも形はずいぶんとちがいますが、内蔵なんかはウマに近いし、パンダはクマに似ています。パンダといえば日本に初めてきたときは大騒ぎでした。「人寄せパンダ」なんていう流行語も生まれたくらいです(笑)。「中国では英雄というのはどれだけ多くの人を養えるかによって決まる」ということを何かの本で読んだことがありますが、そう考えるとまさにパンダは英雄です。上野動物園や上野の街はもちろんのこと、ぬいぐるみ業界からお菓子業界までうるおい、いったいパンダのおかげで何万人の人が喜んだのかと思います(笑)。
 それぞれの動物に対するレクチュアを受けた後は、ひとりで担当ブロックの動物たちを見てまわるわけですが、ほとんどの動物は獣医師がきらいなんです。注射を打ったりしますからね(笑)。動物には自分の病気を治してくれたという意識はありません。「何となくわかってくれたのかな」という感じを持ったのはチンパンジーだけです。人間の病院でも小児科に行くと子どもが泣きわめいていますから、それと同じですね(笑)。
 これらの動物たちの健康管理以外にも、動物園の獣医師の仕事には絶滅しかかっている稀少動物の「種の保存」という大きな役目もあります。

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