第11回 デービッド・ブルさん
『百人一首版画シリーズ』の2作品。左の「天智天皇」、右の「順徳院」はそれぞれ最初と最後の作品。この2枚を制作する間には、10年もの歳月がかかっている。
「木版画家」になることを決める
 日本ではお金がなかったので英会話を教えつつ、木版画を続けました。細々と暮らしつつも子どもは3歳、4歳と大きくなっていって、どうしよう、どうしようと私は焦るばかりでした。この頃はまだ木版画を本格的にやろうとは考えていませんでした。
 そんななか、ある日のできごとが私の人生を変えました。とある展示会に出す作品を作ったのですが、テーマが百人一首からひとつ選んで作品を作るというものでした。その作品を、英会話教室の何人かの生徒が欲しいと言ってくれたのです。私の作品が欲しいと言われたのは初めてのことで、話を聞いてみると百人一首が大好きだということでした。私は当時百人一首が何なのか、よくわかっていませんでした。生徒に聞くと、百人一首は日本の大事な文化で、イギリスで言えばシェークスピアのようなものだということでした。
 また考えてみると、私の木版画の腕が、人が作品を欲しいと言ってくれるレベルにまで上達したということでもあったのです。
 私は初めて、それまで趣味だった木版画で生計を立てることを考えました。自分にはそれだけの腕があるし、百人一首は人気がある。ただ、百人一首ですから「100枚も彫るのか…」という不安はありました。それで生活はできるのか。ビジネスとして成立するのか。1枚彫るのに1ヵ月ほどかかるので、1年で10枚と考えると、100枚は10年かかるということになります。移り気な私にできるかと考えると、もう笑うしかありませんでしたね。そのとき私は37歳でした。子どもは4歳と7歳。このまま育てていけるのだろうか…。
 翌朝、鏡のなかの自分に問いかけました。自分以外の人が相手ならいくらでも嘘は言えますが、自分には嘘は言えません。私が問い、私が答えました。「怖いね、できないね?」「できますよ」。
 これまでの人生はやることを変えてばかりでした。それでは人生に何も残らない。無駄です。その点これはチャンスでした。10年やれば残るかもしれない。すごいですよね。でもできないかもしれない。どうする? この質問の答えが「No」ならば、私は自分に対するリスペクトがないことになると思いました。そして「Yes」と答えたのです。
 私は決めたらすぐさま行動しました。彼女に私の写真を撮ってもらい、ワープロで「木版画家デービッド・ブル 10年かかる企画」とアナウンスする文章を書き、写真を貼りつけ、図書館でテレビ局や新聞社の住所を調べて送りました。100通ほどの文書をポストに投函するときは緊張しました。送ってしまえばもう逃げられませんから。それから1週間もしないうちに何件か取材の申し込みが来ました。こうして、私は木版画家になり、やっと大人になったのです。
 今、64歳の私が「あなたは誰?」と聞かれたら「木版画家です」と言えますが、それはこの経験があったから言えることなのです。私が木版画家になったのが37歳なのですから、世の中の学校を出たばかりの人は、まだ今の姿が本当の姿ではないかもしれませんね。


木版画はやめられない!
 どの仕事もそうですが、木版画の仕事は本当に深みがあります。木版画には終わりがありません。上達しても上達してもまだ上があります。オリンピック選手だと、金メダルを取ってしまえばそれ以上目指すべきものはなくなってしまうでしょう。私の場合は、木版画が上手くなったと思っても、明治時代のものを見ると、もっとすごいのです!
 明治時代の作品は、彫りは彫り師、摺りは摺り師がやります。私は両方やります。私もどんどん上手になってきていますが、明治時代の職人たちは私よりまだまだ上手です。いつか明治時代の職人と同じだけ上手くなったとしても、まだ上があります。
 私は頂上の見えない山を登っているようなもので、少しずつ登る楽しさがあるし、下を見ればこれまで登ってきた成果が見える。また上を見ればまだ先がある楽しさもある。これは私が90歳になっても変わりません。だから木版画は続けられています。もうやめることは考えられません。
 続けていけばどんどん上達していきますから、百人一首シリーズの、最初の頃に作ったものは今は見たくありません(笑)。とても自分が作ったものとは思えませんね。でも「自分が作ったなんて考えられない!」ということは、昔より上達したということなのです。
 今、一日で一番いい時間は、やることをすべて終えて布団で寝る時間です。二番目は朝起きて仕事に行こう! という時間です。これは半分冗談ですけどね。
 ですから、木版画の深みがわかり、自分がちゃんと大人になった今はとても楽しいです。


自分の進む道にメニューはない
 今、子どもに何になりたいかとよく聞きますよね。私の時代も、親や学校から「何になりたいですか?」という質問をよくされましたが、私はあの質問があまり好きではないです。
 例えば、レストランに行くとメニューがありますよね。そのレストランにあるものが書いてあって、バゲットを選ぶこともできるし、ラーメンを選ぶこともできる。メニューは全部決まっているんです。でも人生は、特に今の時代は選択肢が多いですから、決まったメニューだけではないんです。私も、子どもの時期から今まで、いろいろな職業・仕事をやりました。でも決まったメニューから選ぶようなことはありませんでした。
 メニューはぜひ自分で書いてください。メニューにも、何も書いていないページもあります。今までにない仕事を創っていくこともできます。
 私がこのように言うのは、今の時代がそれまでとは違うからです。100年くらい前は、日本が新しい国になって、国の力をつけるために工場をあちこちに作り、みんなで並んで同じ仕事をやってくださいという時代でした。今は違います。今はフリーです。若い人が、メニューから選ぶことはないのです。Create something 、自分で創っていくしかありません。
 でも全員が自分で道を創ることができるわけではありません。なかには、他の人と一緒の道を行く人もいます。それは決して悪いことではありません。それでも、「何になりたい?」という質問は、なかなかわからないものです。


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