第62回 国際ラリーライダー,エッセイスト 山村レイコさん

二〇〇〇年一月のパリダカールラリーにて
ラリー中に立ち寄った村にて
日本一周の旅に出る
 実は就職する前から,すでにアフリカに行きたいという夢はありました。ただ,その時はまだ漠然と憧れているだけでラリーのラの字も知らなかったし,まずは日本一周をしようと思っていました。そのためには資金を貯めて,それから三年ぐらいかけて旅をするつもりだったのです。
 就職して七ヶ月目に早くも転機が訪れました。別の事務所から「うちで働かないか」とお声がかかったのです。初任給が約四万円の時代にすでに十万円ほど頂いていましたが,その事務所では月給十三万円という待遇でした。日本一周の資金を早く貯められると思った私は,喜んで移ることにしました。
 ところが,新しい事務所に入った初日に,私を勧誘した方がお寿司の出前を取ってくれてこう切り出したのです。「僕はいいと思ったんだけど,やっぱりうちは駄目なんだ。女の子は」。
 すでに前の会社を辞めていたので,思わず目の前が真っ暗になりました。しかし,お話を伺いながら「そうだ。お金はないけど,時間だけはあるんだ。日本一周に出かけよう」と考えたのです。
 出発前には『ミスターバイク』というバイク雑誌から,行く先々で旅の様子を原稿に書いて送ってほしいと依頼されました。元々,絵や文章を書くのは好きだったし,しかも好きなバイクに乗れてお金をもらえるのですから,こんなにいい仕事はありません(笑)。私は喜んで引き受けました。
 結局,日本一周の旅は一年間行っていて,トータルで九十万円ぐらいかかりました。出発した時に持っていたお金は二十万円だけです。足りない分は旅先で皿洗いや洋服屋,植物園,民宿など,得意のアルバイトをして捻出しました。そういう職運だけはあるのでしょう。人との出会いにも恵まれたので,私にとって日本一周は就職するよりも大事な経験だったと思います。

パリダカールラリーとの出会い
 実は,パリダカールラリーの存在を知ったのは日本一周をしている時でした。旅の途中で一度だけ雑誌の編集部に近況報告に立ち寄ったところ,偶然にも海外の取材から帰ってきたばかりの横田紀一郎さん(編集部注:パリダカールラリーに日本人で初めて出場した人物)がいらっしゃったのです。当時はまだパリダカールという名前ではなく,前身のオアシスラリーという大会でした。
 その横田さんが「スタートをパリで見てきたが,すごいレースだった」というお話を滔々となさっていたのです。私はまだ十九歳でしたが,横で伺っていて思わず出たいと思いました。
 もちろん,出たいからといってすぐに出られるものではありません。私は日本一周の後も雑誌から原稿の依頼が来たり,他の仕事をしたりして日々の暮らしに追われていました。
 さらに,二十代に入ると私はバイクショップを始めました。そのお店の経営が軌道に乗ってから,ようやく二十九歳の時に念願のラリーに出場することが出来たのです。別にラリー出場のためにお店を始めたわけではなかったのですが,振り返るといろいろな種類のバイクに乗ったり,お客さんと一緒に自分もモトクロスを始めたりしたことが,結果的にはラリーの練習になっていたようです。また,日本一周をしたり,バイク雑誌の仕事をしたりしてきたこともプラスになったのではないでしょうか。出場したいと思ってから実現するまでに十年も回り道をしたように見えますが,実はその間の経験が決して無駄ではなかったのです。

ラリーに出るには
 基本的にパリダカールに出場するのは誰でも出来ます。バイクの場合は,MFJ(財団法人日本モーターサイクルスポーツ協会)のライセンスを持っていれば,ツーリングライダーでも可能です。ただ,これはあくまでも出場資格の話です。
 出場するにはバイクやその他の費用,さらにはライディング技術や知識も必要になってきます。もちろん英語やフランス語の語学も必須です。今は英語だけでも対応できますが,私が初めて出場した頃はフランス語しか通じなかったので,何を話しかけられても私は「ウイ(はい)」しか答えられませんでした(笑)。そこで出場をきっかけに,私は以前から憧れていたフランス語を猛勉強したのです。偶然にも,NHKのフランス語講座の番組から出演依頼が来た時は嬉しかったですね。
 ただ,語学に関しては何よりもまずコミュニケーション好きということが大事だと思います。英語もフランス語もしゃべれるのにコミュニケーションが出来ない人よりも,私のように英語もフランス語も下手だけれども,コミュニケーションが好きだという人の方がラリーには向いているのではないでしょうか。
 ラリーに出るには,たくさん走ることももちろん重要です。しかし,ただ距離をたくさん走ればいいというものではありません。大事なのは集中して走りながら,いろいろなことを覚えることです。私は今住んでいる朝霧高原で練習してからも,それまで以上に多くのことを覚えました。

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