第50回 フリーダイビングの日本代表選手 松元 恵さん

「最近では両足をそろえる『モノフィン』という一枚フィンで潜る人が増えています。フィンの形状や材質,堅さなどは選手によってバラバラです」
危険なブラックアウト
 フリーダイビングでは「無理をすると失神する(ブラックアウト)」ということを必ず注意されます。それまでは,自分の周りでも素潜りをする人たちがいっぱいいましたが,本当に失神してしまう人をそれまでは見たことがなかったし,自分も失神したことはありませんでした。
 ところがいざ自分がフリーダイビングをやり出すと,みんなかなり簡単に失神することを知ったのです。それで「これは一人で潜ったら絶対に危険だ」と痛感しました。酸素がわずかな状態で脳が不安を感じると,さらに酸素を消費します。これは本人に前兆のないまま,突然やってきますので発見が遅れれば命取りです。パートナーが監視していればダイバーの不自然な動きで気づきますが,一人で潜るのはとても危険です。
 失神してしまう人によくよく聞いてみると,絶対に自分のレベル以上の無理をしています。無理をしないようにしながらのトレーニング方法はいくらでもあるので,常に事故につながらないように心がけることが大事です。


世界大会で銀メダル受賞
 私が本格的にフリーダイビングを始めたのは,六年前の一九九七年からです。翌年のイタリア大会に出るためで,それまでは,いわば遊びでした。
 一九九八年にイタリアで開かれた第二回フリーダイビングワールドカップで初の日本代表チームの,ただ一人の女性選手として参加しました。成績は,団体で二十六カ国中十四位でした。
 競技としてのフリーダイビングに惹かれていったのは,やはり自分がどこまでできるかということを試してみたかったということがあります。もちろんフリーダイビング自体にも魅力はありますが,それを競技としてやっていくことによって目標が励みになるし,つらい練習を乗り越え,やり遂げた時の達成感や満足感はなにものにも代え難いのです。また,世界中の選手たちとの素晴らしい交流も魅力です。もちろん,競技でいい成績を取りたいという気持ちもありますが,なによりもそれを取り巻く全てが楽しいのです。
 二〇〇二年にハワイで行われたフリーダイビングの世界大会では,フィンをはいて息継ぎをせずに泳いだ距離を競うダイナミック(平行潜水)部門で,日本女子記録の百二十四メートルを達成して銀メダルを受賞しました。団体でも,日本女子チームは二位に入り,一位のアメリカや三位のカナダと並んで,日本選手の実力をアピールすることができました。また,コンスタント(垂直潜水)部門では,女優の高木沙耶さんが五十三メートルをマークして日本女子新記録を塗り替えたことがかなり話題となりました。この時は,私も五十メートルをマークすることができました。


これからの目標
 初めて大会に出たのが三十九歳だったので,これまでは毎年ずっと「今年が最後かな」と引退を考えながらやってきました。でも,今は四十五歳ですが,「五十歳までは絶対やろう」と思っています。それには,ジャックが百メートルを超えるという新記録を五十六歳で出したということがものすごく励みになっているし,今度,世界記録に挑戦するアメリカの選手も,実は五十歳の女性ということもあります。
 そのように年齢に関係なく,いかに精神力をコントロールするかというスポーツがフリーダイビングなのです。
 もちろん,ある程度の柔軟さや持続性,体力,心肺機能などは必要ですが,たとえば体操選手のように十代のまだ成長期の柔らかい体が必要というスポーツとは違って,ある程度の年配の選手でも,若い人と同等に競技ができます。ですから,いくつまでできるかはわかりませんが,とにかく年齢に関係なく,できるところまでやってみようと思っています。
 それから,フリーダイビングの良さをみなさんに伝えていきたいと思います。あまり泳ぎが得意ではない人や潜れないという人に,海から得られる魅力をぜひ伝えたいです。そんなに深く潜らなくてもいいのです。要は水中リラクゼーションでしょうか。もっと精神面を深めていくというようなことを海でやっていきたいですね。

(写真・構成/桑田博之)
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