撮影を行った「白いばら」は、団鬼六氏、生前最後の出版記念会が開かれた場所でもある。

桜木紫乃(さくらぎ・しの)
1965年、北海道生まれ。2002年「雪虫」で第82回オール讀物新人賞を受賞。07年、初の単行本『氷平線』が新聞書評等で絶賛される。11年に上梓した、一人の女の波乱の人生を描く長編『ラブレス』が話題となり、第146回直木賞候補に。他の著書に『風葬』『凍原』『恋肌』『硝子の葦』『ワン・モア』『起終点駅』がある。

花房観音(はなぶさ・かんのん)
兵庫県生まれ。京都女子大学中退。映画会社、旅行会社などを経て、バスガイドを務めるかたわら、小説の執筆をはじめる。2010年、『花祀り』(無双舍)で第1回団鬼六賞を受賞してデビュー、話題を集める。12年8月、受賞後第1作となる文庫書き下ろし『寂花の雫』を上梓。京都市在住。

桜木さんのラブコールがきっかけで、注目の作家同士、待望の初対面が実現! ふたりはなぜ小説を書き始めたのか、性愛をモチーフにする理由は――とことん、語り合っていただきました。  撮影協力/ 銀座「白いばら」  写真/ 冨永智子

『寂花の雫』(花房観音著)刊行記念対談 桜木紫乃×花房観音「腹をくくって性を書く」

2012.08.10

美容院での衝撃の出会い

桜木: 花房さんとは去年の秋、美容院で出会ったんです。待合室の片隅で開いた女性週刊誌に「シリーズ人間」という記事があったの。アホな男に惚れて溺れてバカにされ、思い返せばそれも全部「私の華」なのです 団鬼六賞大賞作家・現役バスガイド 花房観音――。もう、読みふけりました。この人の肝のすわり方はすごい! って。

花房: 若い頃の話から、賞をいただき、結婚するまでの全部――私に借金させてだました男のこと、セックスのこと、両親のことまで。この記事で全部さらけ出しちゃった。地元にもバレバレ。お母ちゃんに「イヤ?」って聞いたら「童話書いてくれてるんやったらよかったけど……」って言われたりしました。
でもここに出てくる男は、私が小説を書いてることを、いまだに知らないでいるみたいですよ。

桜木: ほんとに?

花房: 気づいたらきっと逆ギレして、襲いに来るぞ、と思いますけどね。

桜木: 記事を見たあとすぐに『花祀り』を読んで、私は「花房観音」の虜になったのね。同じ頃にジェイ・ノベルから性愛特集の原稿依頼があったの。一緒に載る作家に花房さんがおられると聞いてびっくり。「大ファンなんです!」と担当編集者に話したのがきっかけで、メールのやりとりがはじまったんですよね。

花房: いつかお会いしたいですね、って言ってたけど、こんなに早くその日がやって来るとは(笑)。
桜木さんのお名前、実は五年ほど前、AV監督の市原克也さんから伺っていたんです。市原さん、すごい読書家で、ご自身の読書ブログで『氷平線』を褒めてらしたの。その頃の私は、小説家になりたいのにまったく書けない状態。すると、当時私の好きだった人がやはりブログを見ていて、「僕も『氷平線』読んだけど、あなたもこんな小説をいつか書けるよ」と言ってくれた。だから逆に怖くて読めなかったんです。読んだら絶対落ち込むと思ったから。その小説の作者からメールを頂いたので、はじめは本当に驚きました。

桜木: あの記事で何がびっくりしたかって、「この人、全然違う道筋を通ってるけど、私と同じことを考えてる」って思ったの。なんて言うのかな、青春時代が暗いのね。

花房: めちゃめちゃ暗かったです。

桜木: 私も暗くて、いじめられたりしてた。なのに、自分では気がつかないの。ひょっとしてあれは、いじめだった? って、あとで気づく。ある意味幸せとも言えるんだろうけど、鈍いよね……。

花房: でも、早くに結婚されたんでしょう。

桜木: 二十二歳でいまの亭主にひと目惚れして、追いかけて追いかけて、二十四歳のときに結婚してもらったの。それから二十五年、四半世紀。長いねえ。

花房: ご主人のどこに惚れてるんですか。

桜木: 飽きないの。中身がいまだによく分からなくて。人としての底が見えない。男の人って、ちょっと親しくなると、あっ!て思う瞬間、不用意な発言とかあるじゃないですか。なのに二十五年一緒にいて、まったくない。尊敬してます。

花房: どんな風にラブラブなんですか。一緒にご旅行されたりとか?

桜木: 時間が合えばずっと二人でいたい。イヌの散歩も、食材の買い出しも二人。そしたら子どもが「お母さんたち、おかしいと思う、友達のところとうちは違う」って言うのね。けれど私は、親ふたりの仲がいい家で、子どもがどんな風に育つのか見てみたいんです。そこはただの好奇心かも。でも別に無理して喧嘩しないようにしてるわけじゃない。底が見えないから、喧嘩のしようがないの。謎の男、あいつが一番ミステリー(笑)。
新婚の花房さんはどうなの?

花房: うちの夫は裏がなくて、ストレート。好きイコール即、結婚なんです。今まで付き合った女性は、前の嫁と私だけ。長年同棲してるとか、付き合ってるのになかなか結婚しない男の人って多いじゃないですか。あれはずるいって言ってます。ただ逆に、そんな気のない女の人からしたら、いきなり結婚とか言われても、どうしようって感じですよね。だからずいぶん振られてきたみたい。

桜木: でも、花房さんは受け入れたのね。

花房: 夫は放送作家で、私が小説家。物書き同士やけど、書いてるものがまったく違うからすごい楽。小説家同士だったらきっとイヤだったな。彼と一緒にいると本当に面白いし、こんなに合う人がいたのかと驚くほどに、話が合うんです。

桜木: お互い「こんな人もいるんだ!」と思いながら、一緒に暮らしているんだね。

花房: 結婚したら、いろんな人に「幸せになると小説書けなくなるよ」と言われたんです。不幸じゃないと書けないって。

桜木: そんなことないよ。平穏なところでどこまで書けるのか、それを知りたいと思う。

花房: 小説書くのって大変じゃないですか。書くことで相当エネルギーを使うので、生活が平穏じゃないと難しいですよね。

桜木: 平穏を維持するためには、無意識のうちに、互いを好きでい続けるための“何か”が働いてると思うのね。それは何なのか、どういうことの上にこの平穏が成り立ってるのかって、普段の生活でやっているあれこれを考えると、そこから書きたいことが浮かんできたりしますね。
ところで花房さん、最初からあんなに自分をバーンとさらけ出しちゃって、困ったことはなかった? ストリップで言ったら最初から“オープンショー”でしょう? まあ、私もこの記事に食い付いて、会いたい! って言ったひとりなのだけど……。

花房: 記事になったことは、もともとはブログに書いていたことだったんです。性のこと、男にだまされたこと。恥ずかしいから、ずっと誰にも言えなかったけど、文章にしてみたらすごく楽になった。私は悪くなかったんだと分かって。けど、ほんまにやばいことって、書けないやないですか。やっぱりフィクションのほうが自由で好きに書けるので、それで小説家になろうかな、と思うようになったんです。
ただ、官能小説家は、読者のイメージを膨らませるために覆面の人が多いと指摘されて、私はあんまり隠すという意識がなかったんですけど、ああ、そんな手もあったか……と後になって気がつきました。
桜木さんはずっと北海道ですよね。デビュー後に東京に行こうと思われたこと、ありました?

桜木: まったく考えなかったし、将来的にもないでしょうね。

花房: 今は、どこにいても書けますしね。
きっと地方にいるほうが、煩わしいことを避けられるのかなって、私は思うんです。
さっきの「困ったこと」にちょっと関係するけど、以前「ゴロウ・デラックス」という番組に出たんですよ。バスガイドの格好をして。放映は首都圏の深夜だけ、関西ではやらないというから出演を承諾したのに、それ以来、バラエティからすごいお呼びがかかって。最初は「宣伝や!」と思ってたけど、「大喜利出て下さい」とまで言われるようになったの。私、へんにサービス精神があるけど、これはまずいから、最近はお断りしてますね。

桜木: ナイスキャラだと思われちゃったんだね。でも、原稿書きたくて、誰かに小説を読んでほしくてやってることが、逆転すると困っちゃうよね。

花房: 人前に出たらやっぱり消耗しますからね。そうじゃなくて、書くことにこそ、エネルギー注ぎ込みたい。そういう意味で、地方にいるのは、守られてることになるんやないかなあ。

「性」を書く覚悟

桜木: 私さ、初めて応募したのが「オール讀物新人賞」だったの。五十二枚の中に四回もエロシーン入れた「雪虫」って短編で賞をもらったんだけど、単行本(『氷平線』)になるまで五年かかったの。官能を書くように言われて、書けなくて。一回だけ、編集者に泣きを入れたことがあるんですよ。私は田舎のおっかさんで、家に帰ると思春期の息子と娘とがいて、日常にエロなんてない、びっくりするぐらい経験ないんですよって。そうしたら「ばかやろう、頭ついてるなら頭使え、頭使って書けっ!」って叱咤されたなあ。「あぁ書かなきゃいけないんだ」と、それが、最初に腹をくくったときだったかな。

花房: お子さんがいらっしゃると、書くのに勇気いりません?

桜木: 私を見ていればウソだと分かるし、書いてるようなことをしてるって思えないだろうからさあ。

花房: 性愛シーンを書くって、すごい地味な作業でしょう。時折、書いてて空しくなる。やったほうが絶対気持ちいいだろうにね。そして合間に家事とかするのね。

桜木: 妄想して「ああ~」とか「太ももが」とか書いたあとに肉じゃが作って、娘から学校での出来事を聞かされたりするわけで、なかなか不思議な生活ですよ。

花房: 私ね、官能小説を書いたのは『花祀り』がはじめてだったから、最初は結構、わけ分からなくて。

桜木: ええ! はじめて?

花房: 昔から歴史が大好きで、司馬遼太郎『竜馬がゆく』や山岡荘八『徳川家康』、それに吉川英治、池波正太郎、山田風太郎など、いろいろ読んできました。それはバスガイドの仕事にすごく役立ってますし、ほんとは歴史小説を書きたかったんです。
桜木さんが解説を寄せてくださった新刊の『寂花の雫』では、平家物語ゆかりの大原を舞台にして、建礼門院徳子の話を下敷きに、書いてみたんです。
ただ、小説を書きはじめた当時の自分に歴史小説はまだハードルが高くて。小説家になりたいから、いくつか文学賞に応募してみたんだけど、どこにも引っ掛からない。でも、団先生の作品はずっと読んでいたので、「団鬼六」ありき、先生が選考委員だから、応募しました。私に官能小説を書けるとは思わなかったし、書こうとも思ってなかったんですよ。

桜木: うわあ、これ、今日のいちばんの爆弾発言だよ!

花房: 受賞はしたけど、本になるまでに、本当にたくさん直しましたね。登場する京都の旦那衆をもっと変態にしてとか、京都らしいセックスの“技”が欲しいとか、舞妓と坊主を出して百枚で書いてとか、編集者からのムチャ振りがエスカレートしていく(笑)。秀建っていう坊主が、数珠を使って女性をいかせるのは、頭抱えながら考えて、リクエストに応えた結果です。

桜木: そうだったの(笑)。でもさあ、求められてるものがしっかり分かって、そこに球を放れるって、すごいことですよ。

花房: 新人賞をもらってデビューしても、多くの人が消えていくじゃないですか。そんな中で、書き続けてこられた桜木さんこそ、すごいと思います。『ラブレス』が話題になって、環境は変わりましたか?

桜木: 日常は何も変わらないですよ。もちろん家族もきっと、変わらない努力をしてくれてると思うんですけどね。ただ、このあいだ印税もらって、それを大学生の息子の学費の足しにできたの。そうしたら亭主が「ありがとう」って言ってくれたんだ。男というより人としてのプライドに触れた気がして、すごくうれしかったなあ。
私ね、実家が風俗営業だったんですよ。高校生の頃なんて、毎日学校から帰ってきたら、ラブホテルの掃除。男と女が絡み合って発散させる、あのにおいの中で育ったの。親も仲悪かったから喧嘩をしない家に憧れたし、だから結婚もきちんとして、家庭が欲しかったんです。

花房: そうだったんですね……。過去って、その人そのものじゃないですか。よく過去を忘れなさいとか言われるんやけど、そんなの記憶喪失にでもならない限り不可能。だって、人間を作ってるのって未来じゃなくて過去だから。過去、その人が生まれ育ってきた背景、それなしにドラマなんて成り立たないものね。

桜木: 私の小説にはよく「閉塞感」って枕詞が付くのね。でも、書いてるのは、ごくごく当たり前の日常。閉塞してるとも思わないし、日本のどこで起こってもおかしくない話だと思うんだよね。みんなきっと地味だし、みんながみんな、着飾って銀座で贅沢するわけじゃないんだしさ。
うちの方ではね、女が働いたら夫婦別れをおこす、女に学問はいらない、っていう考え方があったんだわ。行きたい大学はあったけど、家にはお金もなかったし、働きながらっていう根性もなかったんです。

花房: 私も大学行くとき、親戚に言われました。女が四大なんて行ったら、嫁に行けないよって。

桜木: うん、そんな感じ。それで結婚以来二十数年、亭主に面倒見てもらってきたんだけど、自分の稼ぎがない生活をしてきて、単行本の新刊が買えるようになったのは最近。本の定価1500円って、ちょっといいものを晩ご飯で食べられる金額でしょう。新刊出してもらって、本屋さんに並んでるのを見るたびに、この本は、家族みんなでブタすきを食べるくらいの価値あるかなって、ドキドキする。それは地方でも都会でも同じだと思うんだ、夫の稼ぎで慎ましく生活してる人って、新刊の単行本を毎月たくさんなんて――

花房: 買えないですよね。その方々に本を届けなきゃいけないっていうのは、責任重大だなって思いますね。

桜木: 私、デビュー本が出るまでに時間がかかったから、正直本が出たのがゴール、もう思い残すことはないと思ったんです。けれどその後も、しんどくてもやめなかったのは、子どもたちが大きくなって壁にぶつかって、母親が「頑張れ」って励まさなきゃならないようなときに、私自身が頑張ってないと、それは言えないな……って。一歩進むのって、ものすごくエネルギーいるでしょう。だけど「まあこんなもんか」で半歩、「じゃあ、そうか」でもう半歩。そうやって、ここまで続けてこられたみたいです。
来春高校受験の娘が「お母さんってまじめだね」って言うの。「なんで?」って聞くと、「人の見てないところで頑張れるから」だって。子どもにそうやって認めてもらえたのは、ありがたかったです。

花房: お子さんは、桜木さんの小説を読まれてるんですか。

桜木: 娘は読んでくれてます。『ラブレス』『ワン・モア』『起終点駅』、どれも全部、お母さんが書いたって分かるって。なによりの褒め言葉でした。

花房: 性描写とかは大丈夫なんですか。

桜木: 大丈夫みたい。私が薦めた本は、どんどん読んでくれていますね。いま悩んでるのは『花祀り』と新刊の『寂花の雫』を薦めるべきか否か。

花房: 『花祀り』はやめたほうが(笑)。

桜木: 受験終わってからにしようか(笑)。息子はもう二十歳だからいいかな。とても厳かな小説だと思ってるので、渡す前に「抜いちゃいかん」と言っておく。

男を「萎えさせる」物語

花房: 官能小説って男の人の欲望に寄り添って、妄想させるファンタジーでしょう。でも私、最近よく思うんだけど、たぶんそれを書くのに向いてない。「挫く」ほうが好きなんですよ。

桜木: それ、ある! 官能シーンを書くときは特に気を遣う。これだけの理由があるからこそ、ここで「やってる」のだから、その場面だけを抜き出して読んでほしくない。むしろ、萎えていただきたい。

花房: 男の妄想やファンタジーを崩したいですね。

桜木: やっぱりそうだ。この人がここまでとことん書くのは、勃たせる目的じゃないなと思っていました。

花房: 勃ってるものを萎えさせたい、ということかも。

桜木: もちろん勃たせるのも大変な仕事だし、萎えさせるのも大変な仕事だと思う。だけど、どちらを選ぶかって言ったら、同じシーンを書くにしても、私たちはきっと萎えさせるほうを選ぶのだろうね。

花房: 新作も、そういう意識で書きましたね。男に夢を持たせておいて、最後バタッと倒すみたいな。

桜木: ヒロインの夫の存在がなかなか見えてこないのがよかったんです。どうなるんだろうって。構成が、ミステリーになっていましたよね。

花房: 小説ってやっぱり、ミステリーが基本ですよね。人の謎を最後まで追求していくことが、ストーリー展開の核になると思うので。

桜木: 人間がいちばん謎だから。その人が生まれ育った背景、土地や景色。それがどういう風に、生き方に影響しているのか。私が小説を書いてるのは、そのことにとても興味があるからで、その謎を知りたいからだと思う。

花房: 有名なところで、芥川龍之介の「藪の中」、あれはミステリーですよね。結局真相は分からへん。だから「藪の中」なんだけど。

桜木: 謎が気になるから書くけど、だからって、特別真相を明かしたい、とも思っていないんですよ。それで私の小説はよく「不親切」っていわれるんだけど。

花房: でも、読者を置いてけぼりにするのも、ひとつの方法じゃないかな。私はそういう話、結構好きですよ。実際の世の中のことって、必ず結論が出るわけじゃないし、結構いろんなことで、みんな置いてけぼりになってると思う。もやもやだらけ。それでも日常は続く。

桜木: ひとつひとつの出来事に結末がある。結論が出る。それって、何かダイナミックな日常のようではあるけれど。

花房: 実際はエンドレス。終わらない。

桜木: 続いていく日常の中で、毎日ご飯がおいしく食べられて、健康で生きてられるって、すばらしいよね。

花房: それが一番ですよね。

桜木: 五十歳に手が届く年齢になると、明日なにが起きるか分からないし、どんな突然の別れがあるかも分からない。だから、元気で小説を書き続けられるのが一番かなって、最近は特にそう思います。
一緒に、腹くくって行こうか!

花房: ですね!

※本特集は月刊ジェイ・ノベル2012年9月号の掲載記事を転載したものです。