たちまち重版!『マル暴総監』今野敏インタビュー

2016.07.11

人情派のヤクザたちを描いた〈任侠〉シリーズ、弱気な刑事が主人公の〈マル暴〉シリーズが大ヒットとなっている今野敏。氏の新境地ともいえる『マル暴総監』の刊行を記念し、作品の誕生秘話や、作家以外の多彩な活動について聞きました。

──『マル暴総監』に出てくるキャラクターは、誰も彼も個性派ぞろいなのですが、主人公の甘糟はよくある刑事物のタフな主人公に比べ、ものすごく刑事らしからぬ気弱な性格です。甘糟のキャラクターはどうやって生まれたのですか?
「甘糟は『マル暴総監』では主人公ですが、最初は僕の任侠シリーズの中で、阿岐本組の日村誠司をかっこ良くするため、引き立て役として出てきたんです」

──刑事なのに、事件が起こると「嫌だな」と言いながら捜査しますよね。
「甘糟は僕自身を反映してるんですよ。原稿を書き上げて校正となると、いつも『嫌だな、面倒くさいな』と思ってるんです(笑)」

──今野先生でもそんなことがあるんですか?
「いつもですよ。昔、まだデビューしたての頃、僕の原稿を勝手に『直しといたから』って書き直してくれる編集者がいたんです。大先輩の編集者の方で、すごく勉強になりましたけど、同時にそのまま勝手に進めてくれればいいな、と思いました。あとで見直すのが面倒くさいですから(笑)」

──刑事物は数多くありますが、『マル暴総監』のような奇想天外なストーリーはまず無いですよね。
「警察機構ではこういう組織は存在しないとか、こういうことはやらないとか、あれこれ指摘してくる人もいますが、刑事物は堅くなりがちなので、『マル暴総監』のような作品もあっていいのではないでしょうか。連載を始めるとき『暴れん坊将軍』のような話にしたいと思ったんです。だから『マル暴総監』のマル暴は、暴れん坊の〝暴〟でなんです」

──実際、大暴れします。
「警視総監が夜な夜な街を出歩くなんて、防犯の見地からしてもあり得ないですよ。だけど、十津川警部だっていつも電車に乗って、弁当食ってるじゃないですか(笑)。だからこれも許されるかなと」

──連載されたのは「週刊実話」でした。編集部で、食べ物の場面が欲しいと無理な注文を出してしまいましたが、鯖の味噌煮やマカロニサラダなど、甘糟たちが食べる回では読んでいて思わずお腹が減りました。
「小岩(東京都江戸川区)の雰囲気が出ていましたか。今まで食べ物を書かなかったのではなく、実際の警察官は飲み食いを忘れて捜査している。書いている方も同じ立場に入り込んでしまうので、なかなかそういう場面が出てこなかったんです。でも、自分の食事は忘れないですよ(笑)」

──甘糟はいつも相手におごらされてしまう。実際にもそんな人って多いですよね。共感する人もいると思いますが、逆に先輩の郡原はいつも強気ですね。
「甘糟は気が弱いからつい利用されちゃうんです。世の中、皆が強気で生きているわけではないですからね。郡原だって強気ばかりじゃなくて、納得してない部分もあると思いますよ。総監のような上の人には弱かったりね。それでも甘糟の面倒は結構見ているんです。郡原は優秀な刑事ですから、それがないとただの嫌な奴になってしまう」

──刑事物で、舞台が繁華街ではなく綾瀬(東京都足立区)というのも、あまりないですよね。
「東京武道館によく行っていたので、土地勘があったんです。最初に任侠シリーズを書くときに、ふと綾瀬が思い浮かびました」

沖縄古流空手の〝型〟を研究

──空手と言えば、ご自身で『空手道今野塾』という道場を主宰されていますね。空手歴は長いのですか?
「もう41年ほどになります。稽古は毎週水曜日です。棒術もやっていて、こちらの方は月2回、火曜日に稽古してます。支部が大阪、広島とロシアにあり、毎年6月はロシアに行ってセミナーを開催してます」

──空手を始めたきっかけは?
「ブルース・リーが好きだったんです。テレビシリーズの『グリーン・ホーネット』に、カトーという役で出ていたのを観てました。当時、ブルース・リーは空手と言ってましたので、空手ってすげぇなぁと思ったんです。その頃、家の近くには空手道場が無くて、大学生になって初めて同好会で糸東流の空手を始めました。摩文仁賢和が1924年(昭和4年)に沖縄から本土に渡り、大阪で道場を開いて広めた流派です。

──古流の型を研究しているとか?
「自分の団体を作ってから沖縄に空手の研究に行ったんですが、その時は、今まで自分のやっていたものは何だったんだろうと思いました。それほど空手は奥が深いです。空手の型は体操競技ではなく、本来は戦うことが前提のものです。オリンピック種目になったとしても、すべてを統一してしまったら面白くないし、文化ではなくなる。バリエーションがあるのが文化です。僕は組手の試合に興味がないので、ひたすら型の中にある動きを研究をしていますが、できるだけ古い方が味がありますし、実戦的なんです」

──また、フィギュア作品にも凝ってらっしゃる。
「’81年ごろから始めたんですが、ちょうどサラリーマンを辞めて、時間があったんで何か作りたいと思ったんです。出来合いのガンプラ(『機動戦士ガンダム』のプラモデル)では面白くないんで、じゃあ自分で彫ろうと原型から作りました。フルスクラッチビルドというんですが、プラスチック版とポリエステルの粘土状のものを彫り、そこから型を取ってプラモデルのようにするんです」

──大変な作業ですね。
「この7月に『ワンダーフェスティバル』というイベントがあるんです。それに出品するのですが、応募の締め切りに間に合わなくて、未完成のまま写真を撮って間に合わせました。実際、細かくて目が疲れるし大変です。小説では徹夜しないのに、これは徹夜しましたから(笑)」

──当日は先生がいらっしゃるのですか?
「はい、座ってますよ。でも、フィギュアの世界にはカリスマがいて、みんなそこにダーッと向かって行列してます。そういう人の作品に比べると、僕の作品は足元にも及びません。この世界も奥が深くて、やはりセンスと技術なんです。料理と同じで一流の板前さんの仕事と一緒ですね」

──先生はガンダムの定義とかあるんですか?
「富野由悠季が作ったガンダム以外は、ガンダムじゃない。ほかはガンダムと認めてません」

道楽といえども真剣に臨む

──先生はご自身の音楽レーベルをお持ちですが、なぜレーベルを立ち上げたんですか?
「僕は昔、東芝EMIに勤めていたんです。その時に仕事でお世話になった方が定年退職したので、また一緒にやろうと。昔に比べて制作費が安くなったのもあります。これはもう道楽です。自分でやっているので、サラリーマン時代のように売れるものを作れ、とも言われない(笑)。でも、真剣に取り組んでいます。ジャンルは問わず、これまでに知り合ったり、関わり合いがあったミュージシャンで、音が気に入った人に声を掛けてます。最新ではジャズを出しましたが、このメンバーは渡辺貞夫のツアーにも参加していた凄腕です。音楽工房『78LABEL』で検索していただくと出てきますが、CDはアマゾンでも買えますよ」

──多岐にわたって活躍されてますが、切り替えとか大変じゃないですか?
「もともと飽きっぽいんですよ。浮気っぽい? それは違うけど(笑)、切り替えというか、時間が来たら小説書いて、時間が来たら空手とか、そんな感じです」

──先生の奥様が事務所の地下に、『かふぇ たぬきや』をオープンしたそうですね。
「お昼から夕方までやっていて、ランチも食べられるそうですよ。店内にはたくさんの棚があり、そこをレンタルスペースとして貸し出しているので、僕のガンダムをはじめ、有名なフィギュア作家の作品なども置いてあります。僕の音楽レーベルのCDもありますよ」

──最後に読者に向けて、単行本になった『マル暴総監』の読みどころをお願いします。
「あんまり目くじら立てずに、楽しく読んでもらいたいです!」

このインタビューは「週刊実話」(日本ジャーナル出版)平成28年6月30日号に掲載されたものです。文・飯塚則子氏

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