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学芸出版部

京都の歴史を作ったのは「盆地」だった! 凸凹地図で「発見」できる、京都の新しい知見

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「京都は盆地」とは知識としては知っているけれど、
じゃあ、実際の地形はどうなんだろう?

国内はもちろん国外からの観光地としてもトップクラスの京都。「京都は盆地だから暑い、夏は観光には適さない」などと言われまし、海外で京都が紹介されている文にも「盆地(basin)」と書いてあるくらいに盆地であることが特徴です。

でも、みなさん、訪れたときに「盆地感」ってありますか? たぶん、ないと思います。でも、実は京都が歴史的に京都たるためには盆地である必要があったと聞くと、ちょっと盆地のことを知りたくなりませんか?

盆地の東のヘリが「東山」






東京・名古屋方面から京都に入るには「東山」を超えます。なぜ「東山」と言うかといえば、都から見て東側にあるから。実にストレートなネーミングですね。断崖に建つ舞台で有名な清水寺も、東山の斜面を利用しています。だから、周辺の「二年坂(二寧坂)」「三年坂(産寧坂)」が特徴的な景観になっています。

本書は、こうした盆地周縁部の観光地を凸凹地図で表現しています。その凸凹地図を眺めていると、きっと読者のみなさんが「気がつくこと」があるに違いありません。

失われた巨椋池 [おぐらいけ]。
地形でみると、その痕跡がクッキリ!

京都の南に、久御山 [くみやま]ジャンクションという大きなジャンクションがあります。その前後の高速道路は一直線になっています。今日の郊外になぜこれほどの大規模な施設を作ることができたのでしょうか。ネットの地図や、いわゆる道路地図を見ていてもまったく理解できないと思いますが、古い地形図と地形を見ると一目瞭然です。


ご覧のとおり、ここはかつて、巨大な沼沢地でした。琵琶湖から流れ出た宇治川が、いったん南下した後で桃山城のすぐ南まで北上し、そこから西に向かうのですが(このあたりもエピソードがあります、それは本書で!)、その氾濫原として巨椋池がありました。

およそ中世からの日本の土地開発は治水の歴史でもありますが、明治以降に近代的な治水事業が始まり、昭和8(1933)年にこの巨椋池の干拓が始まりました。そして昭和16(1941)年に完成。干拓といっても埋め立てではなく、池の水を抜くものでした。その経緯が、地形に現れています。

奈良の都も盆地だった


2010年に1300年記念事業が行われた奈良の平城京。奈良も盆地です。都の規模は京都に近いのですが、こちらは数十年で放棄されてしまい、いくつかの遷都を経た上で、794年には京都に落ち着きます。ではなぜ短命に終わったのでしょうか。その答えは本書で述べていますが、奈良も「盆地」ということに注目して、地形といまの奈良の街や交通網を見ると、やはりいろんなことに気づくことができます。

地形を見ていて気づくこと


ここに、京都盆地の凸凹地図を掲載します。鉄道、高速道路、川の流れだけを入れています。ぜひじっくりと眺めて、「ここに○○があるはずだ、その地形はこうなのか!」というような「発見」をお楽しみください。もちろん、本書では、もっとクッキリと大きくご覧いただけます。

本書の内容
【対談】
今尾恵介×皆川典久×石川初 京都文化を支え続けた「賀茂川の扇状地」

【京都の歴史と地形の謎】
古い地図から浮かび上がる近代の京都/ 巨椋池の現在
京都盆地の「出口」大山崎が、もしふさがったら?
京都に入る鉄道・街道ルートの変遷
奈良盆地と平城京の関係

【エリア概要+コースガイド】
清水寺・三年坂/ 平安神宮から南禅寺/ 琵琶湖疏水・蹴上/ 白川疏水/ 銀閣寺・鹿ヶ谷/
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