花房観音(はなぶさ・かんのん)
兵庫県生まれ。京都女子大学中退。映画会社、旅行会社などを経てバスガイドを務めるかたわら、小説の執筆をはじめる。2010年、『花祀り』(無双舎)で第一回団鬼六賞大賞を受賞しデビュー。『女の庭』(幻冬舎)が話題となる。著書に『寂花の雫』(実業之日本社文庫)、『女坂』(講談社文庫)、『おんなの日本史修学旅行』(KKベストセラーズ)ほか。京都市在住。

大崎善生(おおさき・よしお)
1957年札幌市生まれ。日本将棋連盟で「将棋世界」の編集長を務める。2000年、デビュー作『聖の青春』で新潮学芸賞を受賞。01年に連盟を退職し、作家活動に専念。同年『将棋の子』で講談社ノンフィクション賞を、02年に初の小説『パイロットフィッシュ』で吉川英治文学新人賞を受賞。近刊に『ランプコントロール』(中公文庫、花房観音解説)。

花房観音『萌えいづる』刊行記念対談 大崎善生×花房観音「団鬼六から受け継いだこと」第二回

2013.09.09

作家としての団鬼六を描いた、評伝『赦す人』

 ──『赦す人』に綴られている団先生の生涯は、とても一人の人生とは思えないほど波瀾に満ちています。夜逃げ、倒産、離婚、再婚……。

大崎 そうなんですけど、でも本人を知っている立場からすると、団先生ならあれくらいのことはあっても不思議はないな、という感じですよ。少し疎遠になっていた時期でも、やれ破産した、やれ立ち直った、でも某女優にお金を騙し取られた──なんてニュースがぽんぽん耳に入ってくる。そういう人でしたからねえ。

花房 たしかに、私もよくニュースでお見かけしました。

大崎 団さんというのは図抜けて金銭欲の強い人だったから、すぐおいしい話に騙されちゃうし、自らもトラブルの種を蒔き続けることになるんですよ。たとえば、ひとつの作品の権利を、目先の大金につられて複数の映画関係者に売ってしまったりするから、あとで深刻なトラブルになる(笑)。

 ──大崎さんが団先生の評伝を書こうと思ったきっかけは何だったのでしょう?

大崎 一番の理由は、団鬼六という人間に興味があったからに尽きますが、何よりもこの人は誰かが書き残しておくべき人物だろうと感じたからですよね。そうしないと、(存在が)あっと言う間に散逸してしまいそうで、あまりにもったいない。

花房 『赦す人』が間違いなく大崎さんじゃなければ書けない評伝だなと感じたのは、文学者としての団先生に焦点を当てて書かれている点でした。生み出した作品世界も含めて、ご本人を本当に深く知っている人でなければ、単なるポルノの大家としてしか描かれなかったかもしれませんよね。

大崎 うん、作家としていかに優れていたかを、もっと世間に知ってほしかったというのは大きいですね。

花房 取材もさぞ大変だったのではないですか?

大崎 いやあ、取材といっても単に二人で飲んでるだけでしたから。テレコもまわさずに、何軒もハシゴしながら昔のことを聞くんです。下手に「これは取材ですよ」という空気にしちゃうと、あの人は途端に嘘ばかりつくから。自分の半生を、かっこいいエピソードばかりで塗り固めちゃうに決まってる(笑)。

一同 (爆笑)

大崎 面白い人だよね。また、変に優しいところもあって、楽しみにしていた将棋の対局の日でも、先生はその現場は見たくないと言って、勝負が始まると飲みに出てしまうんです。どちらかが負けて傷つくところは見たくないって。SM作家のくせに、おかしな話でしょ?(笑)

花房 それは意外! 作品のなかではもっと酷いことをたくさんやっているのに(笑)。

大崎 けっこうナイーブな人だったんですよ。勝負をやっている雰囲気は好きだけど、勝敗を決すること自体はあまり好きじゃない、そういう人でしたね。

花房 たしかに将棋に関するエッセイを拝読していると、敗者の側の人間そのものに感情移入していらっしゃるのがよく伝わってきますね。

団鬼六が遺した教え 女は必ず裏切る生き物?

大崎 あと思い出深いのは、亡くなる寸前まで「女は必ず裏切るで!」と言っていたこと。これはもう、生前ことあるごとにずっと言っていました。

花房 やはり最初の奥さんの不貞は、団先生のなかでも大きな心の傷になっているんでしょうねえ。

大崎 そうなんでしょうけど、その件にかぎらず、団さんは何度も女性を寝取られる経験をしてますからね。僕の取材にずっと同行してくれていた編集者にも、「あんたの奥さんも、いまごろヒイヒイ言っとるで! なんでそれがわからんかのう」なんてしょっちゅう言ってましたし。女は必ずセックスに溺れるものと団さんは確信していましたから。

花房 うーん、豊富な寝取られ経験がそう思わせてしまうのでしょうか(笑)。

大崎 あと、「女はキツネ顔とタヌキ顔に分かれる」ってのも団さんの持論でした。いわく、キツネ顔は愛人向きで、タヌキ顔は奥さん向きなんだそうですよ。「そこを間違えると大変なことになる」とよく言ってましたよ。

花房 ちなみに、大崎さんが高橋和さん(元女流棋士)とご結婚された時、団先生はどんな反応でした? 憧れの棋士を取られて、気を悪くされたり……なんてことはなかったですか。

大崎 いやいや、大喜びしてくれましたよ。

 ──では、編集者だった大崎さんが小説家デビューされた時には、どのような反応でしたか?

大崎 その時も「ようやったな」「頑張ったな」と、ものすごく褒めてくれましたね。それに、僕の処女作『聖の青春』は、村山聖棋士の生涯を綴った作品ですから、やはり将棋に造詣の深い団さんのところに書評依頼が殺到したらしくて、「あんたにはよう稼がせてもらった」と後に言ってました(笑)。

 ──きっとご本人も、まだまだ稼ぎたかったでしょうね。

大崎 うん、実際団さんは亡くなる間際まで創作意欲を失わなかったですね。最後の最後まで、「書きたいことはまだ五つも六つもある」といった感じで。

花房 生前、よくご本人が口にしていた、井原西鶴や豊臣秀次を題材にした作品は、ぜひ読んでみたかったんですよ。残念でなりません。

大崎 あと、国定忠治とかね。歴史小説にかなり意欲を持っていたようで。

花房 団先生と親交のあった方が、あるイベントで、「団さんがSMであれほど成功せず、もっと早くから文学に目覚めていたら、さらにたくさんの傑作を遺していたはずだ」とおっしゃっていたのが印象的です。

大崎 それは本当にそう思います。でも、(SMは)やめるにやめられなかったんでしょうけどね。プロダクション化して、何十人という部下を食わせていたわけですから。最盛期は、あたかも“SM総合商社”のような仕事ぶりでしたし(笑)。

<第三回につづく>