第62回 国際ラリーライダー,エッセイスト 山村レイコさん

「作っているお米の名前は『ありが稲(とう)』といいます。ある方に命名していただいたのですが,一番大切な言葉かもしれません。つい,自分たちが育てているような気になりがちですが,本当は自然が育ててくれているのです」
真の戦うべき相手
 東京を離れて住むようになってから,暮らしと共に自分自身も大きく変わりました。たとえば,それまでの私はモトクロスでもラリーでも,スタートからゴールまで常にトップを維持しようという気持ちでいっぱいでした。ところが,そうした競争心が必ずしもうまくいくとは限りません。あの広い砂漠や大自然の中で全然太刀打ちできず,泣きながらリタイアしたこともありました。
 私は戦うこと自体は好きです。しかし,その戦うべき相手は大自然ではなくて自分の弱気なのです。結局,大自然を受け入れていくしかないと気づいてからは,ラリーが以前よりももっと楽しくなりました。人に抜かれても気にならないし,極端に言えば順位も気にならないくらいです(笑)。ちなみに近年のラリーは全て完走しています。
 今はラリーを辞めてしまったわけではないのですが,出場はここしばらく見合わせています。バイクはとても楽しいのですが,同時に死ぬほど大変な苦労があることもよくわかっているのです。
 さらに費用の負担も大きいです。バイクだけでも,プライベーター(自動車メーカー以外の個人・法人が出資して参加しているチーム)で数百万円はかかります。トップクラスの選手になると何千万円もバイクにお金をかけて出場するのです。ですから,出場するには相当な覚悟が必要です。

朝霧高原での暮らし
 東京を離れたからといって,東京が嫌いなわけではありません。やはり自分の故郷ですし,今でも東京に行くと「いいな」と思うところがたくさんあります。ただ私には,都会にはない空気や緑の景色が必要だと気づいたのです。
 この土地を選ぶにあたっては,千件以上の候補地を検討しました。今はここに決めてよかったと思っています。とはいえ当たり前ですが,人間はどこに住んでいても生活するのは大変です。戦わなければいけないものもあるし,受け入れていかなければいけないものもある。そのバランスが大事です。
 今は毎日,スタッフと農作業に励んでいます。東京に暮らしていた頃と違って完全に朝方の生活になりました。日の出前から活動して,午前中が勝負です。調子がいい時は作業が午前中に全部終わってしまいますね。
 これからもチャレンジしたいことはたくさんあります。ただ二十代や三十代の頃と一番違うのは,自分が歳を重ねた分だけゆっくりと歩けるようになったことです。速く歩くだけが能ではありません(笑)。何よりもゆっくり歩くと目に映る景色が違うし,最近は特にそれを感じます。


(写真提供・山村レイコ/構成・桑田博之)
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