第38回 飼育人 柴田和彦さん

オランウータンの美しい毛並みは,さらさら風になびき輝きます。その威厳に,圧倒されてほしいです
動物園のサルって汚い?
 ぼくの育てたサルは,きれいなんですよ。筋肉が付き,毛並みはつややかに風になびき,けしてくさくない。それはいつもきれいに洗っている,というわけではないんです。与えるえさだったり,野性だったら野山の藪で毛が梳かれるのをサル山でも再現したり,というようなさまざまな飼育方法によるものです。
 きちっと育てられているかは,見ればわかります。管理のできていない動物園に行くと,檻のプレートに,「サル」ではなく,「汚いサル」「死にかけのサル」と形容詞をつけなきゃいけないようなサルが多くて,怒りがこみ上げてきます。
 動物園のサル山というと,サルがぎゃーぎゃーけんかしているのをイメージされる人もいるようです。でも,動物は,本来,いじめをしたり,けんかをしたりしないものです。生命にかかわってきますからね。例えば,えさを一か所にばぁっとあげるから,えさをとるのに競争になって弱いものをどけたりしだすんです。それは,野山でいえば,たった1本の木だけが豊作というような状態ですよね。実際にはあまりないことです。みんなが,落ち着いて食べられるように,えさをあげる。これも飼育の知恵のひとつです。
 動物園の楽しみのひとつに,調教された動物のイベントなどがありますよね。動物の虐待に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが,本来,動物を健康に飼うための,飼育係と動物の信頼関係に基づいたものなんです。
 オランウータンの子どもを,親から離して「人付け」したこともあります。24時間,ずーっと一緒の檻の中,ぼくはジーッとしています。オランウータンは逃げまわり,毛がすれて,血がにじんでくるんです。えさだけでは,動物は動きません。対峙することから生まれてくる信頼関係なんですよ。その信頼関係から,お客さんの前で,逆立ちをしたり,三輪車に乗ったりも,安心してやるようになるんです。
 イベントなどをやるときは,特に,動物のことをちゃんと理解していなくてはいけません。暑い国の動物であるゾウ。それでも,日本の夏の炎天下で,ずっと人を乗せていたら,倒れてしまいます。ちゃんと動物を知っていれば,水場にたびたび連れて行ったり,日陰で休ませたり,どういうペースがゾウにとってベストなのかわかるはずです。

生涯,一飼育人でありたい
 小学校の卒業文集で,動物園で働きたいって書いた子が,ぼく以外にもうひとりいました。その子は「動物園の園長さんになりたい」って書いていましたね。その子がどう思って書いたかは今となってはわからないけれど,園長さんよりはぼくの思った「飼育係」のほうが,動物に近いですよね。動物園の園長さんは,動物を見るだけではなく,飼育係や獣医やイベントごとや,諸々のものを管理する人。動物園の規模によっても仕事は大きく変わってくるでしょう。
 動物園には,飼育係だけでなく,獣医もいます。飼育係より,獣医が偉いと思っている人は,部外者だけでなく,飼育係にも大勢いるようです。ぼくは,そうは思いません。獣医は病気を診るプロであり,飼育係は動物の生活を預かる人なんです。動物への関わりあいかたからして土俵がまるっきり違うのに,どちらが偉いとか比べようがありません。ぼくは,二十数年間,チンパンジーに風邪ひとつひかせたことはないのですけど。
 ぼくは動物園にいらっしゃるお客さんとよく話をするのも,飼育係の仕事のひとつだと思います。子どもには大きな可能性がある。子どもみんなが動物の仕事がしたいと思ってほしいなんて思っていないけれど,動物が好きになるか嫌いになるかは「出会い」にかかっているじゃないですか。だからこそ,きれいでひきつける力のある動物を見てほしいし,連れてくる親や学校の先生にはもう少し言動に気を配ってほしいと思います。動物に触れようとした子どもに向かって「汚いから,危ないから,やめなさい」なんて,簡単に言わないでほしい。子どもの興味や可能性の扉を,閉じてしまうかもしれませんよね。
 飼育係の仕事は,感動の多い仕事だと思われるでしょう。それは人の性格にもよると思いますが,ぼくはあまり感動することはありません。赤ちゃんが生まれて「よかった」と思っても,すぐ次の瞬間には「お乳を飲んでくれるかな」と心配になり,ちゃんと育ってくれるかなと不安になります。手をかければ,課題はいくらでも出てくるんです。
 三年半前になりますが,市の人事で,動物とはまるっきり関係のない土木関係の部署に異動になりました。他の動物園で働く「飼育人」仲間にその報告をしたとき,電話の向こうで「悔しい」と嗚咽されました。動物がすべての変わり者のぼくのために,男が人前で泣いてくれる。そういう仲間がいることで,仕事が変わってしまった今でも,「ぼくは飼育人だ」と胸を張って言えるんです。幼いころの夢のままに,「飼育人」であることが,ぼくの誇りです。
(構成/石原礼子)
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