第27回 生活とリハビリ研究所代表 三好春樹さん

老人は弱いというけれど,弱い人は老人にはなれない。強いから老人になったんです
あるがままの老人を認めよう
 老人病院などのベッドの足は大変高いものでした。それでいて高いところから老人が落ちると骨折の危険があるということで,柵を付けたり,縛りつけたりしていたわけです。「介護職員の腰痛予防のためには老人を寝たきりにしてもかまわない」ということだったわけです。これはぼくたちが「リハビリよりも何よりも,まずベッドの足を切れ」と訴え続けたこともあって,現在ではだいぶ低くなりました。しかし,まだまだ課題は山積です。排便できる力があるにもかかわらず,トイレまで連れていくのが面倒とオムツをさせっぱなしの施設もあれば,家庭用サイズのお風呂がもっとも障害老人向きで安全なのにもかかわらず,巨大な浴槽をつくっては,全入所者をストレッチャーに縛りつけて入浴させている施設もあります。老人が浴場まで元気に歩いてきてから「よいしょ」とストレッチャーに横になったという笑うに笑えない話もあるくらいです(笑)。
 ぼく自身もふりかえれば反省することがたくさんありますね。理学療法士として老人のリハビリをしていたときに,「平行棒を三回往復して」なんて何の疑問も抱かずに理学療法の教科書通りに指示していたこともありました。考えれば老人たちがいやな顔をするのは当たり前。ぼくだって健康にいいから毎朝晩ジョギングしなさいといわれても冗談じゃないですからね(笑)。以来,楽しくなければリハビリじゃないと,「遊びリテーション」と称して,風船を使ったバスケットやバレーの試合なども試しましたが,これは効果絶大でした。じいさんもばあさんも異性の熱い視線の中では気合いが入りますからね(笑)。音楽療法も然り,施設内でやるよりも街のカラオケ屋に行って一杯やりながらの方が老人ははるかに元気になるんです。
 また,老人のリハビリで気をつけなければならないことに,「頑張ろう」という言葉があります。言葉の上だけでは前向きに見えますが,「今,あるがままのあなたはダメなんだよ」ということです。手足の障害を持って生活しているだけでも,充分頑張っているじゃないですか。これ以上頑張れと言われたら,いったい老人はどうすればいいのでしょうか。「あるがままの自分をまるごと認めてほしい」というのが老人たちの願いなんです。痴呆老人もそうだし,実は子どもたちもそうでしょう。永遠に頑張って,進歩し,発達し続けるという,高度成長期の幻想を老人や子どもに押しつけるのをやめる時期にきていると思います。
 実は介護というのは「あきらめる」ことから出発するんです。「あきらめる」とは「明らかにする」が語源だと言います。つまり,手足のマヒなどの,今ある状態を前提とした生活づくりのためのくふうをすることが介護の出発点なんです。医者が「これ以上は良くなりません」と言った直後から,老人の生活の場を立て直していくという介護の仕事が始まるわけです。
 老人介護の仕事に就きたいという子どもたちへのアドバイスですが,この仕事は今一番面白い仕事だと思います。介護の仕事にマニュアルなんてありません。百人のじいさんばあさんがいたら,百通りの生活の場づくりが必要なんです。効率よく仕事をすると逆に効率が悪くなるという老人介護の世界,資格よりも資質が重要なんです。だから知識や技術を学ぶだけではプロにはなれません。想像力と創造力というふたつの「ソウゾウリョク」が大切なんです。介護の専門書を読まなくてもいい,心を入れ替えてヒューマニストや倫理主義者になる必要もない。できるだけ多くの文学や映画,演劇や音楽といったものにふれてほしい。そうして感性を研ぎ澄ましていってください。それではいつかみなさんと知恵を出し合える日々を楽しみにしています。
(構成・写真/寺内英一)
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