第17回 落語家 古今亭菊千代さん

仕事と家庭の両立ですか? 私はだめですが夫は立派にできていますね(笑)
払っても払っても手が出てくる
 最初は見習いからですが,これは会社における試用期間みたいなものです。師匠のうちのことや身の回りのこと,着物の畳み方とか礼儀作法など,そういうものが全部できるようになって,初めて落語を教えてもらえるようになるわけです。よく失敗もしました。掃除中にハタキをかけていて師匠が大切にしている壷を落として割ってしまったり,サンマの塩焼きを作れといわれて,どうしていいかわからずに開いてしまったり,よく破門されずにすんだと思います(笑)。
 前座になるとお囃子の太鼓をまず覚えなければいけません。それぞれの師匠によって出囃子は違いますからね。最近ではプロレスでも野球でもひとりひとりにテーマ曲が決まっているじゃないですか。あれは寄席の影響でしょうかね(笑)。それにしても前座時代は兄さんたちからよくさわられました。とにかくなにをされても原則的には我慢しなくてはいけない世界ですから,いかに明るく逃げるかということを考えなくてはいけないわけです。私はすぐにキャーキャー言ってしまうため,よけい相手のさわり心をそそってしまうんですね(笑)。でも泣きべそをかくわけにはいきません。なにせ入るときに師匠から「みんなにさわられるよ」と言われていて,「それでもいいです」と言っちゃってるんですから(笑)。
 二ツ目のときには,漫才師や講談師,手品師の友人たちと「撫子倶楽部」という女流芸人の会を作りました。各分野を横断した女流芸人の会はそれまでなかったんです。女の芸人が途中でやめてしまうことが多いのは,それぞれの世界で孤立しているからで,横のつながりを持てば励みにもなるはず,それにいやなことがあっても女同士でわいわい悪口を言い合えるじゃないかと(笑)。
 旗揚げ公演のゲストとして,無理を承知で土井たか子さんに手紙でお願いしたところ,気持ちよく出演してくださったのにはこちらもびっくりしてしまいました。あれから十三年が経ちましたが,土井さんはいまでも私の後援会の名誉会長を引き受けてくれています。それにしても土井さんは年齢を重ねる度に若くきれいになっていきますよね。いったいどういうことなんでしょうか(笑)。

史上初の女真打ちへ
 平成五年に真打ちに昇進することができました。落語家は誰もが真打ちになりたくて努力しているわけですから,本当にうれしかったですね。真打ちになるということは「師匠」と呼ばれるようになるということなんです。そのかわり自分の名前でお客さんを呼んで食べていかなくちゃいけないわけですから,そのプレッシャーたるや大変です。
 ただ,だいぶ先輩方を飛び越してしまったものですから,まわりからは「女は得だよな」と白い目で見られたこともありました。確かに落語界の活性化のためという一面も正直あったと思います。史上初の女真打ちということでマスコミにも大きく取り上げられましたからね。私としてはこれまで以上に精進して,ここまで育ててくれた師匠にだけは恥をかかせまいという気持ちでいっぱいでした。
 それでも最近は肩の力も抜けてきました。あせらずにいろんなことを身につけていきたいと思っています。気負いが取れるようになったのには理由があります。師匠ゆずりの手話落語をたずさえて耳の不自由な人たちの前で演ずるようになったんですが,みなさんいつも本当によく笑ってくれるんです。
 ところが最近わかったんですが,すべて伝わっているわけじゃなかったんです。「一生懸命に手話落語を覚えてこうして演じてくれている。多少わからなくても大いに笑ってあげよう」ということだったんですね。私は胸をうたれました。こんな広い心を持った人たちの前では,私の気負いなんてちっぽけなものだってつくづく反省させられたんです。


経験が血となり肉となる
 このところ学級崩壊ということで,子どもたちが先生の話を聞かない,集中しないと言われていますが,ただ子どもや親のせいにしているだけでは始まりません。先生方にもどんどん話術を磨いていってほしいと思います。昔はそれこそ新人のアナウンサーも新聞記者も学校の先生も,「寄席に行って間の取り方なんかの勉強をしてこい」と先輩から言われたそうなんです。そういえば私が子どもの頃は話の面白い先生がたくさんいたように思いますね。実際に悩んでいる先生こそ,ぜひ寄席に来てほしいと思います。ボーっとしてるだけでもリフレッシュできますよ(笑)。
 落語家になりたいという子どもたちには「大いにがんばって」と言いたいですね。人を笑わせ,泣かせ,感動させ,こんな素敵な商売はなかなかないですよ。ただ,私なりのアドバイスをひとつするとしたら,社会人としての経験をしっかり積んでから入門したほうがいいと思います。落語の中の話はすべて社会の縮図なんです。登場人物ひとりひとりの思いに心をめぐらせ,血の通った人物像をお客さんの前に描き出さなければなりません。そのためにも遠回りのようですが,いろんな経験を積んでからこの世界に入ってきてもらいたいですね。芸人だから社会と無関係でいられるなんていうことはありません。急がば回れですよ。
 私自身も日々勉強です。今年はブラジル,アルゼンチン,チリと南米の在留邦人の前で落語を演じることになっているんですが,きっとそこには素晴らしい出会いが待っているはずです。そして,その経験を糧にまた一歩一歩,落語家としての道を歩んでいきたいと思っています。
(構成・写真/寺内英一)
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