第15回 日本酒評論家 篠田次郎さん

「幻の日本酒を飲む会」は立食パーティーが原則です。日本人は座るとだらしなくなりますからね
電車の中が勉強時間
 ふたたび東京に出た私は,建築士の資格をもっている友人と設備設計事務所を立ち上げました。私自身はまだ建築士の資格はもっていなかったんですが,日本中の造り酒屋から酒蔵や麹室の設計の仕事が私あてにきていました。特殊な設計ですから,それなりの知識と経験のない人間でないと無理なんです。ただ,無資格のまま仕事をつづけるということに内心忸怩たる思いもありました。お天道様に済まないというのか,いくら実力があるといっても,国家試験というものがあるなら,それは乗り越えていかなければならないものだと。「一生かかっても一級建築士の資格を取るぞ」という思いもありました。
 私の勉強法は変わっていまして,家でも会社でも勉強は一切しない。じゃあ,どこでするのかといえば,通勤の電車の中なんです(笑)。片道十六分,往復三十二分で,毎日専門書を三十二ページずつ読む。一ページ一分の計算です。昭和四十年に決意し,四十一年に二級建築士の資格を取り,四十八年には念願の一級建築士の資格を取ることができた。その間にも,空気調和の整備士資格を皮切りに,公害の大気四種,水質四種,建築物検査資格,消防設備士,宅地建物取引主任,中小企業診断士の資格も取りました。
 こう言うと,資格マニアと思われてしまいますが,そうではありません。建築の設計というものは消防から不動産からあらゆるものがリンクする仕事で,家だけ建てればいいというものではないんです。


初めて飲んだ吟醸酒はまずかった!?
「吟味して醸造した酒」である「吟醸酒」と初めて出会ったのは前の会社で麹室を作り始めた頃です。そこで知り合った人に「篠田さん,東京の滝野川にある大蔵省の醸造試験場で毎年,酒の審査会が開かれるんだけれど,一緒に行ってみるかい。千くらいの酒が集まるよ」と誘われたんです。何事も勉強とその人の後ろに隠れるようにしてついていったんですが,実に厳粛な審査会で,威儀を正した大蔵省の醸造技術者や造り酒屋のオーナーたちが一堂に会している。恐いくらいの緊張感が漂っていました。私もまわりの人がするのをまねて利き酒をしましたが,正直言ってそんなにおいしいとは思わなかったんです。
 これには理由があります。その頃の吟醸酒は淡麗すぎて限りなく水に近い酒だったんです。利き酒をするお猪口は利き猪口といって,みなさんもよくご存じの,猪口の底に青い渦巻きが入ったものです。あれは色を見るための渦巻きなんです。そうすると人間は色で判別してしまうんですね。透明な酒ほど良い酒と思ってしまう。造り手側も良い点を取るために,酒を大量の炭素で濾過するといった悪循環になってしまっていたんです。
 ところが昭和四十年に一変します。利き猪口が色付きのグラスに変わったんです。これで透明な水のような吟醸酒を作るよりも,淡麗でなおかつふくらみのある吟醸酒を造らないと高得点が取れなくなり,飛躍的に吟醸酒はおいしくなっていったわけです。とはいえ,造り酒屋にとっては吟醸酒造りは名誉だけのためであって,一般には市販されておらず,ほとんどの日本人は吟醸酒という言葉さえ知らなかったのが現実だと思います。むしろ本格的なテレビ時代の到来によって,大手の酒造メーカーがテレビCMを湯水のように流し始め,それによって市場の寡占化が進み,地方の中小酒蔵メーカーは冬の時代に突入していったのです。


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