第12回 プロ野球アナリスト 宇佐美徹也さん

小学六年生の孫がいますが,ぼくより記録にくわしいんです(笑)
ONは野球記者の救世主
 八年間勤めたパ・リーグを辞め,昭和三十九年,三十歳のときに報知新聞に入社しました。コラムを雑誌や新聞に投稿しているうちに,集計よりも原稿を書くことの魅力にとりつかれてしまったんです。報知にはすでに佐瀬が記者としていて,入社する前から頼まれてコラムを週に一回書いていたんです。当時,データを中心に据えた野球評を書く人はほとんどいなかったので,ぼくのような人間は貴重だったんですね。この年,山内さんがパ・リーグを定年退職しましたので,これで義理は果たしたと,誘われるままに報知新聞に移りました。
 入社早々「記録室」という,その日の試合の中から記録的な面白いネタを取り上げる連載コラムをもたされました。球場で試合を観戦し,急いで会社に戻っては原稿を書くという毎日が始まりました。午後十一時が締め切り時間なんですが,書くネタがないときは脂汗が出ましたね。そんなときに助けてくれるのはONという大スターです。王と長嶋が今日こんなことを話していたという記事を書くだけで読者は喜んでくれますからね。どれだけあのふたりに助けられたことかと思います(笑)。
 ちなみに阪神の野村監督とも昔から親しい間柄です。彼が評論家の時代,夜中に電話がかかってきては二時間以上議論をしたことが何度もあります。野村のID野球は,ぼくの影響もあるかな?と自負しています(笑)。
 さて,月日が流れるうちに,会社組織の常で管理職にされてしまった。若手記者から「宇佐美さんのように部長になっても相変わらず書いてばかりじゃ,我々はいつまでたっても書けないじゃないか」と突き上げられ,それをきっかけに書くのをやめたんですが,それからは会社の仕事がつまらなくなってしまった。他人の原稿ばかり読んでても面白くありませんからね(笑)。その後,職場にコンピュータが導入されたこともあって,「コンピュータに野球がわかってたまるか」と,昭和六十三年,五十五歳のときに退職しました。

コンピュータの教師役
 ところが人生とは皮肉なものです。日本プロ野球機構コミッショナー事務局から「過去半世紀を越えるプロ野球の膨大な記録と今日現在の記録を即時にデータ化するシステムを作りあげたい。その指揮を執ってほしい」との要請が来たんです。「こちらはそのコンピュータがいやで会社辞めたんです」と断わったんですが,「あなたは記録についてオペレーターを指導してくれるだけでいいから」と説得され,不承不承ながら引き受けた。
 ところが,それからが大変でした。野球というのは複雑なゲームでして,さまざまなケースが起きるわけです。たとえば一イニング4三振ということもある。これは振り逃げの場合で,記録では三振ですが,ランナーは生きますからね。コンピュータは3三振だったらチェンジと考えますから,判断不能で止まってしまうわけです。そんなわけで,コンピュータ会社の責任者と年中衝突しましたが,そのたびにコンピュータも賢くなっていき,ぼくの知恵も少しは生かせたかなと思っています(笑)。現在はセ・パすべての試合経過のデータがリアルタイムで球場から本部に直接送信されるようにまでなりました。

記録をつぎの世代に繋いで
 二年前にプロ野球機構を退職し,現在はフリーのプロ野球アナリストをしていますが,今後はより多くの子どもたちに野球の楽しさ,記録の面白さを伝えるような本をどんどん書いていきたいと思っています。野球に限らず,これはスポーツ観戦全般にいえることですが,データが何もない状態で観戦するより,データを頭に入れて観戦するほうがより深く楽しむことができます。これまでのデータを基に自分なりに試合を推理することができますからね。
 最近ですが,ぼくの書いた本を子ども時分に読んだことがきっかけで公式記録員になったという人も何人か出てきました。これは本当にうれしいことです。
 プロ野球記録を保存することに生涯をかけたわが師,山内以久士の思いをようやく継ぐことができたかなと思っています。
  
(構成・寺内英一/写真・藤田 敏)
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