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【スペシャルインタビュー】スノーボード世界選手権を制した小須田潤太が見据えるパラリンピック金メダル

【スペシャルインタビュー】スノーボード世界選手権を制した小須田潤太が見据えるパラリンピック金メダル

今年3月にカナダ・ビッグホワイトで開催されたパラスノーボード世界選手権。各旗門に深いバンクが設けられたコースを滑り降り、タイムによって競われるバンクドスラローム(LL1)が、大会2日目に行われ、日本の小須田潤太(オープンハウス)が優勝した。この種目での世界選手権優勝は、日本初の快挙である。日本人初の世界選手権優勝の喜びを仲間と分かち合う小須田(右)「東京2020パラリンピックの陸上競技に出場した後、パラスノーボードに競技を絞ってトレーニングを重ねてきたことと、さらに昨シーズンから一般のスノーボードクロスで実績のある元木勇希さんがパラスノーボード日本チームのコーチに就任されたことが、今回の結果につながりました」1990年、埼玉県生まれの小須田は、21歳の時に交通事故で右大腿部を切断。走る義足を体験するクリニックで、同じ障がいの山本篤氏に出会い、2015年から本格的にパラ陸上競技を始めた。翌16年には、現在所属するオープンハウスに入社。競技生活のサポート環境が整ったことで、18年にはパラスノーボードにも挑戦するようになった。東京2020パラリンピックの陸上競技に初出場し、男子走り幅跳び(T63)で7位入賞。さらに半年後の2022年に開催された北京パラリンピックにはパラスノーボードでも出場し、スノーボードクロスで7位入賞を果たした。世界選手権での小須田の滑り。得意とする「ヒールターン」を武器にパラリンピックの頂点を狙うパラスノーボードに専念するようになって大きく変わったのは、使用するボードの特性を活かして、自身の技術を向上させることができるようになったことだと語る。「氷のようなハードバーンでの高速性の高いボード、回転性に優れたボード。それこそ、さまざまな個性を持っています。形状や硬さ、フレックスなどの性能によって、ターンの質が変わる。あるボードではできなかったことが、違うボードならできる。それを繰り返すうちに、よりスピードの出るボードで自分の思い通りのターンを実現できるようになってきたのです」さまざまなボードを操作する中でテクニックを磨いていきたいという思いが強い。だから、あえてマテリアルサポートは受けていないと言う。パラスノーボードに取り組み始めた時からスノーボードクロスが得意だったと言うが、スピードを競うバンクドスラロームで成果が出るようになったのも、こうした探究心によるところが大きいのだろう。「僕は、義足の右脚が後ろ足になるレギュラースタンスですが、膝折れを気にせずにターンできるヒールターンが武器」スノーボードの日本選手権大会で優勝経験のある元木コーチからも、「小須田のヒールターンは、絶品!」とお墨付きをもらっている。いつも明るく、元気な小須田は「練習が楽しくて、楽しくて、すごく考えながら自分を高めることに集中できている」と語る。金メダルに期待しよう!とはいえ、今回の初優勝は通過点と語る。「優勝できたから自分は世界一だ、なんて思いません。今でも他の選手のほうが自分よりスキルがあって、僕は一生懸命追いかけているという感じ。できなくて当たり前で、でも、練習が楽しくて、楽しくて、すごく考えながら自分を高めることに集中できているんです」ワールドカップも世界選手権も、来年のミラノ・コルティナパラリンピックのスノーボードクロス、バンクドスラロームで2冠を達成するための過程であり、結果は自分の現在地を確認するための道標であると。来年3月に迎える、小須田の本番。パラリンピックでの金メダルにフォーカスして、雪山に向かう。取材・文/宮崎恵理 写真提供/株式会社オープンハウスグループ

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日本勢活躍!「ワールドトライアスロン パラシリーズ横浜2025」

日本勢活躍!「ワールドトライアスロン パラシリーズ横浜2025」

5月17日、「ワールドトライアスロン パラシリーズ横浜2025」が、山下公園周辺の特設会場で開催された。東京2020パラリンピック、パリ2024パラリンピックのメダリストなど、トップ選手が世界から集結するパラトライアスロン恒例の国際大会だ。パラトライアスロンは、スイム750m、バイク21.226km(横浜大会では、4.245km×5周)、ラン5km(横浜大会では、車いすクラスのみ2.5km×2周、それ以外のクラスは1.67km×3周)で競われる。トランジションと呼ばれる、各パートの切り替えをどれだけ短時間で行えるか、それぞれの持ち味の種目をどう活かすかが、勝負のカギとなる。当日は、気象情報通り、前日未明からの雨が降っていた。6時50分のスタート時、気温、水温ともに20度。幸い、風は強くない。気持ちのいい晴天ではないことを、逆にチャンスととらえる選手が多いのは、パラトライアスロンに出場する選手の特徴でもある。シーズン初めで自国開催となる日本人選手の活躍を楽しみに、早朝から観客も集まっていた。パリパラリンピック以降、パラトライアスロン日本代表のヘッドコーチに福井英郎氏が就任。福井HCは2000年シドニーオリンピックに出場した経験を持つ。新体制でスタートした中での横浜大会である。シーズン序盤となる自国開催で、日本人選手が活躍した。PTS2女子では、秦由加子が2位、パラ陸上競技から転向してきた保田明日美が3位。PTS4女子では、谷真海が3位。視覚障害男子PTVIで6位に入った山田陽介(ガイド:寺澤光介、写真手前)男子では、PTWC(車いす)で木村潤平が3位、PTS2で中山賢史朗が6位。視覚障害の男子PTVIでは、樫木亮太(ガイド:水野泉之介)が5位、山田陽介(ガイド:寺澤光介)が6位。もっとも出場人数の多いPTS5男子(全12名)では、佐藤圭一が10位、安藤匠海が11位、パラ陸上競技でも活躍経験のある永田務はスイムから上がったところで途中棄権した。同じく出場人数が10名のPTS4男子では、東京パラリンピックで銀メダルを獲得している宇田秀生が5位、金子慶也が6位に入った。PTS2女子で2位の秦由加子昨年、パリパラリンピック直前の練習中に落車事故で右肘骨折という大怪我を負った秦由加子は、今年1月に治療のためのワイヤーを抜く手術をし、2月に練習を再開させたという。秦はパラトライアスロンが正式競技となった2016年リオ大会からパラリンピックに出場しているベテラン。パラ陸上競技から転向してきた保田明日美の存在は大いに刺激になっていると語る。「とくにランはとても参考になります。動画を撮影させてもらって、それを元に練習もしています」同じ大腿義足のアスリートとして、走る義足についても情報を共有しているとか。今大会では、ランのラストラップで保田に捉えられたが、その直後のコーナーで保田が転倒し、それぞれ5位、6位となった。その安田は、「雨天での練習はしていたが、こんな厳しい条件でのレースは初めて。ランパートの最後で秦さんの背中が見えて抜き去ったのは良かったけれども、もう、足がもつれてしまいました。やはり、経験の差がまだまだ大きい」と、振り返った。PTWC(車いす)男子3位の木村潤平新体制となったチームの力を今まで以上に感じていると語るのは、車いす(PTWC)男子の木村だ。「世界のレベルがどんどん上がっている中、マシンの調整、とくにバイクの調整では専門のメカニックが細かく対応してくれる。ベストな調整を施したバイクに、エンジンとなる自分の体をいかにフィットさせ、スキル、フィジカルを向上させていくか。この両軸がないと、世界には勝てないが、シーズン序盤のレースですごく手応えを感じた」雨の中、1着の選手が実はバイクでの周回ミスにより失格となった。「沿道でのスタッフからの情報は入っていたが、諦めずに走ることで3位という結果を手に入れられた。今回はラッキーではあるが、新体制でのジャパンチームのメリットを、すごく感じられたレースでした」と、新チームへの期待とともに、将来を見据えている。オリンピアンである福井HCが率いるパラトライアスロンチーム。オリンピックとパラリンピック双方の日本代表チームが連携し、一つのジャパンチームとして機能させる方針だという。「まずはスタッフ間の情報共有からスタートしました」種目ごとの専門コーチなどの意見や分析を取り入れながら、オリ・パラの一体感を高めて、3年後のロス、7年後のブリスベンに向かっていく。取材・文・写真/宮崎恵理
アメリカ、オーストラリアを迎え、車いすラグビー「SHIBUYA CUP 2025」開催

アメリカ、オーストラリアを迎え、車いすラグビー「SHIBUYA CUP 2025」開催

4月18日から3日間、車いすラグビーの国際大会「SHIBUYA CUP 2025」が開催された。この大会は東京2020パラリンピックのレガシーとしてスタートし、今年で3回目を数える。開催場所は、まさに東京2020パラリンピックで車いすラグビーの試合会場になった国立代々木競技場第一体育館だ。大会の特徴は、若手育成のための国際大会であること。今大会には、昨年パリパラリンピック決勝戦で日本が撃破したアメリカ、同じく準決勝で対戦し銅メダルを獲得したオーストラリアが来日。それぞれ、ロサンゼルス大会を見据えたフレッシュなメンバーが顔を揃えた。試合は、3カ国による総当たり戦を3日間行い、勝敗数によって順位が決定する。日本は、アメリカに2敗、オーストラリアには2勝して最終日に臨んだ。ちなみにアメリカはオーストラリアにも2勝していた。オーストラリア戦の橋本勝也(左)先に対戦したのはアメリカだ。日本は今大会キャプテンを務める橋本勝也、中町俊耶というパリパラリンピック経験者に、壁谷友茂、鈴木康平のラインナップでスタート。ティップオフを勝ち取ったアメリカがそのままトライを決めて先制すると、第1ピリオド9-13とリードを許した。続く第2ピリオドで19-25と点差を広げられ、後半第3ピリオドでは33-37と追いかけるも、最後は44-51で敗れた。アメリカで光ったのは、18歳で3.5点のザイオン・レディントン。今大会のアメリカ一長身のメイソン・シモンズとともにロングパスからのトライを決めていた。一方、日本でも今大会最年少の19歳、青木颯志(2.5点)も、プレータイムは多くないものの活躍を見せた。後半アメリカを猛追する中で、壁谷への正確なパスでトライをアシストし、相手ディフェンスの進路を塞いで味方の花道を作った。最終戦となった日本対オーストラリアの試合は、オーストラリアに先制を許すが、第1ピリオドは13-11とリードし、その後も順調に点差を広げて51-48で日本が勝利。最終日の結果から、1位は全勝のアメリカ、2位に日本、3位オーストラリアとなった。優勝したアメリカチーム若手中心で挑んた日本チームは準優勝3位のオーストラリアチームMVPを受賞したアメリカのアレックス・パボン(右)。パボンは両手欠損のため、メイソン・サイモンズ(左)がサポート今大会のベストローポインターに日本の鈴木康平、ベストミドルポインターにはオーストラリアの女子選手リリアナ・プルチャ、ベストハイポインターには同じくオーストラリアのアンドリュー・ホロウェイ、MVPは優勝したアメリカの2.5点選手、アレックス・パボンが選出された。青木は、昨年11月に行われた同大会に続いて2度目の出場。「今大会では、しっかり顔を上げてプレーすることができました。国際大会では(普段とは異なる)体格の大きい選手が多く、難しい局面もあってまわりが見えなくなることも多い。でも、以前よりもパスを出すべきところ、走るべきところなどの判断ができるようになりました」と、手応えを語った。中谷英樹ヘッドコーチも「SHIBUYA CUPは若い選手にとって、絶好の成長機会。青木は、まだまだこれから伸びていく選手。クラス2.5点の青木には、ハイポインターに対して瞬間的に1枚でもディフェンスをしたり、ハイポインター並みのクイックネスが必要になる。今大会でも、アメリカのパボンや女子のサラ(アダム、2.5点だがコート上では新ルールにより1.0点マイナス)など、ミドルポインターの活躍が目立っていた。どんどん仕掛けていく選手に成長してほしいと思っています」今大会、アシスタントコーチとしてベンチから試合を見守っていた日本代表キャプテンの池透暢も青木を含む若手選手について「スキル、ハート、すべてが成長していかなくてはいけない段階。とはいえ、国際クラス分けも行われ、世界トップクラスの国と戦えるSHIBUYA CUPの意義は大きいです」と、若手の経験、情報を底上げすることができる大会のメリットを強調していた。また、アシスタントコーチという立場からは「どれだけスタッフが選手を支えているかを改めて感じることができました。パリ大会まではアナリストという立場で関わってきた中谷ヘッドコーチが、その経験をもとに采配する姿、有効なタイムアウトの取り方などカードを切るタイミングなどを間近に見られて、非常に学ぶところがありました」アメリカの18歳レディントンも急成長を見せ、日本の橋本に並ぶハイポインターに化けるポテンシャルがある。オーストラリアにも、ライリー・バットやクリス・ボンドら主力選手と組み合わせることで、強力なラインナップを形成する20代選手が複数存在する。アジアオセアニア選手権、アジアパラ競技大会、世界選手権と、重要な国際大会が待っている。SHIBUYA CUPで暴れた選手がこの先どんな活躍を見せてくれるか、楽しみだ。会場ではラグ車試乗体験などのイベントが行われた文・写真/宮崎恵理
アジア記録3、日本記録23、大会記録36!パラアスリートが躍動した「第36回日本パラ陸上選手権大会」

アジア記録3、日本記録23、大会記録36!パラアスリートが躍動した「第36回日本パラ陸上選手権大会」

4月26日から2日間の日程で、パラ陸上の日本一決定戦、「日本パラ陸上競技選手権大会」が愛媛県松山市のニンジニアスタジアムで行われた。約250名のアスリートがそれぞれの目標に挑み、好天にも後押しされ、多くの好記録が誕生した。2日目は風が強く吹く時間帯もあり、追い風参考記録も多数あったなか、2日間でアジア記録が3、日本記録が23、大会記録36が更新された。女子100mで15秒55、走り幅跳びでは4m88と、自らの持つ2つのアジア記録を更新した兎澤朋美兎澤朋美(T63・片大腿義足/富士通)は女子100mで15秒55をマークし約4年ぶりに、走り幅跳びでは4m88(+1.5)を跳び3年ぶりに、自らの持つ2つのアジア記録を塗り替えた。シーズン初戦での快挙に、100mについては、「やっと更新できてホッとした。(練習の)方向性は間違っていないと確認できた」と話した。走り幅跳びについては追い風参考記録ながら3回目には4m96(+3.5)もマークし、ここ数年目標に掲げている5m越えが、「今日、すごく具体的に現実的になったなと、ひとつ手応えは得られた。いい流れのまま今シーズン走り抜けられるようにしたい」と、笑顔ながら力強く言い切った。女子砲丸投げの堀玲那(F20)は、12m81を投げて自身のアジア記録を34㎝更新もうひとつのアジア新は女子砲丸投げで、堀玲那(F20・知的障害/WORLD-AC)が2投目に12m81を投げ、自身が2023年に作ったアジア記録を34㎝伸ばした。「公式戦で12m後半を投げられていない弱さを感じていたし、自己ベストも2023年からできていなかったので、本当にホッとした」と笑顔を見せた。今年4月から岡山市のパラ陸上実業団、World-ACに所属したばかりの堀。「チームの一員として、初戦でしっかり自己ベストを出せたことは本当に嬉しい」と語り、さらなる飛躍を誓った。松本武尊(T36)は男子100mで自身の記録を0秒1更新する12秒03の日本新記録で、9月に行われる世界選手権の派遣標準記録を突破した今大会は、9月にインド・ニューデリーで開幕する世界選手権の代表選考会のひとつにも位置付けられている。多くの選手が派遣標準記録に挑むなか、松本武尊(T36・脳原性まひ/ACKITA)は男子100mで12秒03(+2.0)派遣標準を突破。同時に、自身のもつ日本記録を0秒1、塗り替えた。しかし本人は、「派遣標準や日本新は頭になく、とにかく11秒台を出さなければと思っていたので悔しい」と残念がった。スタートがやり直しとなり、「1回目のピストルの時はすごくスタートがうまくいった。それでも、2回目は接地がちょっと外側すぎて遅れた」と振り返り、「11秒台が近づき、モチベーションがあがった」と前を向いた。松本は専門種目の400mではすでに世界選手権の派遣標準をクリアしており、今季は世界選手権でのメダル獲得が大きな目標だ。さらに、4年後のロサンゼルスパラリンピックも見据え、増量による肉体改造にも挑んでいる。昨年春から約10㎏増量し、「疲れなくなったし、体幹が強くなって走りが安定してきた」と効果を語る。また、昨年から本格的に取り組みだした走り幅跳びでも5m9(+2.0)を跳び、自身がもつ日本記録を9㎝更新した。同クラスの世界記録は6m05、アジア記録は5m75(*)と世界とはまだ差があるが、多様な種目に挑戦することで、「陸上競技をできるだけ長く楽しみたい」と意欲的だ。(*いずれも、2025年4月27日時点)大会期間中には「ブレードランニングクリニック in 愛媛」「ブラインドランナーの観戦・体験会ツアー」が開催され、参加者は義足で走る体験を楽しんだ大会期間中には、パラ陸上の体験会も開かれた。初日は走るためのスポーツ義足を用いた「ブレードランニングクリニック in 愛媛」が、2日目は「ブラインドランナーの観戦・体験会ツアー」が行われ、愛媛県内からを中心に約10名が参加した。「ブレードランニングクリニック in 愛媛」では、希望者にはスポーツ義足が貸し出され、現役の義足アスリートや義肢装具士など専門家の指導のもと、ランニングを楽しんだ。その後、アスリートたちを囲んだ交流会も行われ、笑顔あふれる時間が流れた。取材・文/星野恭子 写真/吉村もと
未来ある子どもたちを応援するプロジェクト「O-EN KIDS チャレンジ陸上アカデミー」開催

未来ある子どもたちを応援するプロジェクト「O-EN KIDS チャレンジ陸上アカデミー」開催

4月13日、東京・夢の島競技場で「O-EN KIDS チャレンジ陸上アカデミー supported by OPEN HOUSE」が開催された。これは、未来ある子どもたちを応援するプロジェクトで、今年2回目の開催である。当時はあいにくの雨のため、急遽、室内でのプログラムに変更された。第1部は、今年3月にパラスノーボード世界選手権のバンクドスラロームで優勝した小須田潤太(オープンハウスグループ所属)による、心のバリアフリー特別教室。第2部は、子ども用レーサー(陸上競技用車いす)と、バスケ車(車いすバスケットボール用車いす)に実際に乗って楽しめるアクティビティ、第3部には楽しみながらユニバーサルデザインを学ぶモリサワUDフォント特別教室が実施された。集まったのは、障がいのある子ども4名を含む、子ども6名とその家族。「みなさ〜ん、こんにちは!」。小須田の元気な大声が、室内に響き渡る。小須田は、2012年、21歳のときに交通事故で右足大腿部を切断。義足で走るクリニックに参加したことでパラ陸上競技に取り組み、2021年に開催された東京パラリンピックに初出場した。陸上と並行してパラスノーボードにも取り組み、2022年北京パラリンピックに出場。現在はスノーボードに専念し、今年3月、世界選手権での金メダル獲得へと急成長を果たしている。小須田は、子どもの頃のこと、交通事故で義足になった時のこと、パラ陸上競技を始めたきっかけになったメダリストの山本篤さんのこと、そしてパラスノーボードでの取り組みなど、熱く語った。オープンハウス所属のパラスノーボード選手・小須田潤太が自身の経験をスピーチ。参加者に自らの義足を触ってもらった「みんな、今日は僕の義足に思い切り触ってもらいます」。そう言って、陸上競技用の義足、スノーボード用の義足、さらに、本人が日常的に使用している義足を、その場で外して集まった参加者たちに順番に触ってもらった。小須田の義足に触れる、自身も義足ユーザーの小宮佑都さん(中央)とその家族「スノーボード用は、すごく重たいんですね」「ロボットみたいだ〜」。大人も子どもも、それぞれの義足を両手に持って、その重量感を体感した。「僕も、義足だよ」。参加者のひとりである小宮佑都さん(小学6年)が声を上げた。この日は車いすで参加していたが、左脚は、小須田と同様大腿義足、右脚は膝下に義足を装着している。「絶対に、一度走る義足にチャレンジしたらいいよ!」と小須田が応じた。小須田は自身の義足だけでなく、獲得した世界選手権の金メダルや、2023年のワールドカップ年間総合2位になった時のメダルなども披露した。「小須田選手は、義足になる前から足は速かったのですか」「スノーボードは、昔からやっていたのですか」。質疑応答になると、大人からも活発に質問が飛び出す。「昔はプロサッカー選手に憧れてサッカー部に入っていましたが、その中では足が速い方でした」「スノーボードは、せいぜい家族でゲレンデに行っていた程度です」と小須田。むしろ、義足になってから、本気で陸上競技もスノーボードにも取り組んできたのだとか。特別教室の最後に、小須田は、参加者一人ひとりの目を見つめながら、こう語りかけた。「僕から伝えたいのは、いっぱい失敗しましょう、ということ。いっぱい失敗するということは、それだけいっぱい挑戦している。僕も、数えきれないくらい失敗してきたけど、その中で成功にもつながった。スポーツだけでなく、勉強でもなんでも、全力で目の前のことに取り組みましょう!」。その言葉に、参加者全員が大きくうなずきながら、大きな拍手を送っていた。車いすバスケ車に試乗体験陸上競技用のレーサーは大きくて動かすのが大変!第2部では、小須田も手伝いながら、子どもたちがレーサー、バスケ車を体験。バスケ車には大人も試乗し、白と赤のポールの間を走るスラロームに挑戦した。車いすで参加した小学3年の高橋美月さんは、学校の体験会でも挑戦したことがあったというが、「レーサーは大きくて、動かすのが大変だけどすごく楽しかった!」とか。パラスポーツの中では「ボッチャが大好き。将来は学校の先生になりたい」と、目を輝かせていた。第3部では、誰もが読みやすい「文字」であるユニバーサルフォントについての特別教室が行われた。アクティビティに参加して、漢字クリアファイルやオリジナルチケットホルダーなどがプレゼントされた。あいにくの雨にもかかわらず、参加者にとっては小須田の講話を含め、貴重な体験の場になった。参加者は、「次は晴れた日に、外でレーサーに乗りたい」と、次回のアカデミー開催に期待を寄せていた。文・写真/宮崎恵理
パラ水泳に期待の新星! 中学1年生になったばかりの山田龍芽(S6)

パラ水泳に期待の新星! 中学1年生になったばかりの山田龍芽(S6)

4月10日〜12日に静岡県富士水泳場で開催された「パラ水泳ワールドシリーズ富士・静岡2025」。今大会、18歳以下のユースカテゴリーに日本チームは13名の選手が出場した。その中で、キラリと輝いたのが、中学1年になったばかりの山田龍芽(S6クラス)だ。自身初めての国際大会に挑んだ山田は、50mバタフライ、200m個人メドレー、400m自由形に出場2012年7月、神奈川県に生まれた山田は、2歳で悪性リンパ腫を発症し車いす生活となった。抗がん治療を完了させて5歳から水泳をスタート。横浜にある障害者スポーツ文化センター“横浜ラポール”での体験会で初めて車いすを降りて水の中に入った。「もう、すごく楽しかった! いつもは車いすに座っているけど、プールに入ったら体を思い切り伸ばせる、自由に動ける。それが、楽しかったんです」水に慣れ、少しずつ泳ぎを覚えるようになるとすぐに競技大会に出場することに。「幼稚園の年長組の時に、健常者の大会に出場したんです。そうしたら、その時のレースで健常者の子どもを追い抜いて泳いだんですよ」。そう語るのは、母の清香さんだ。そこから本格的に水泳に取り組みたいと紹介してもらったのが、パラ水泳の名門クラブ「宮前ドルフィン」の稗田律子コーチだ。現在は、1回2時間、週3回のトレーニング時にコーチが横浜ラポールに来て指導する。小学1年からパラ水泳の日本選手権にも出場しているが、国際大会は今回が初めて。初日の50mバタフライで48秒60、2日目の200m個人メドレーで3分39秒64、3日目にはもっとも得意とする400m自由形で6分00秒62という記録を残した。「最初の50mバタフライの時は、もう心臓バクバクで緊張はいつもの倍くらいありました。スタートの時には、失格になってはいけないということだけに集中して思い切り飛び込んだらうまくいって、あ、これはオレ、いけんじゃね、って思った。全部のレースで自己ベストが出ました!」と、初めての国際大会での成果を喜んだ。好記録が出せたことについては、今年1月に今大会出場が決まってから取り組んできたターンの改善が要因と、自己分析している。「コーチからターンがよくなれば、あと2秒はタイムを上げられる、と教えてもらっていました」。とくに400mではターンの質がタイムに直結する。また、レース展開では「体力には自信があります。200mまでの前半から飛ばして、300mで少しだけ休みながら最後の400mでスパートをかける。それもうまくできました」一方で、400m自由形では6分を切りたかったので、少しだけ悔しさが残る。「育成のコーチから5分45秒を切れば、来年愛知で開催されるアジアパラの特別強化選手に選出される可能性があるということを聞いていたので。今後、そのタイムを早く出して、強化選手の一人に選ばれることが目標です」普段は、水泳だけでなく車いすテニスやチェアスキーなども楽しむが、競技としては水泳に「全集中!」している。「来年のアジアパラ、その先のパラリンピックに出場したいです!」。今大会出場したユース世代選手たちの未来に、期待したい。大会期間中、隣接する体育館ではボッチャやビームライフル、手のひらバレーなどのスポーツを楽しめた。山田(右)は応援に来てくれた水泳仲間の村田哲さんと一緒に手のひらバレーに挑戦。2分間で200回ネットを超えるパスを成功させた!取材・文/宮崎恵理 写真/吉村もと
NHK「ぐるっとニッポン ぼちぼち旅」に瀬立モニカ(パラカヌー)が出演!

NHK「ぐるっとニッポン ぼちぼち旅」に瀬立モニカ(パラカヌー)が出演!

NHKで放映されている「ぐるっとニッポン ぼちぼち旅」は、車いすで全国の絶景を巡る新感覚の旅番組。その4月28日(月)~5月2日(金)の回にパラカヌーの瀬立モニカと西明美コーチが出演する。旅の舞台は鹿児島県。雄大な桜島を一周する。フェリーに乗りデッキで出会った子どもたちと一緒に桜島に上陸。そして、真っ青な海を望む人気の足湯、めったにお目にかかれない雪化粧の桜島、車いすに装着したハンドサイクルで走り抜ける「スーパーマグマロード」、夕陽でオレンジ色に染まる山肌などの絶景をめぐる。また、桜島大根をふんだんに使ったスペシャルランチ、名物の椿油が隠し味の絶品ちゃんぽん、港で作ってもらったとれたての「うに丼」などグルメも満喫。さらには、大根畑で重さ15キロの大物を収穫したり、小舟で渡った人口わずか2人の小島でアコウの巨木を探検したりと、旅先ならではの冒険も!放送は15分×全5回。ゆったりのんびりペースで、日本の“美しさ”をじっくり味わう“ぼちぼち旅”で知らなかったニッポンを再発見する。ぜひご覧ください。【放送予定】NHK BS 4月28日(月)~5月2日(金) 午前7:45~8:00NHK BSP4K 4月21日(月)~4月25日(金) 午前7:45~8:00
日本で初めて開催された「パラ水泳ワールドシリーズ」

日本で初めて開催された「パラ水泳ワールドシリーズ」

4月10日〜12日、静岡県富士水泳場で「パラ水泳ワールドシリーズ富士・静岡2025」が開催された。ワールドシリーズは、世界パラ水泳連盟(WPS)が主催する国際大会のシリーズ戦。今年は、2月のオーストラリアを皮切りに、10月のペルーまで8大会が開催される。パラリンピックや世界選手権出場のための記録が認定されるほか、国際クラス分けも実施され、育成世代の選手の登竜門的な存在でもある。そして、富士・静岡大会は、日本で初めて開催されるワールドシリーズだ。ワールドシリーズの特徴は、パラリンピックや世界選手権と異なるポイントシステムで競技が行われること。パラリンピック、世界選手権は、選手は属するクラスごとに競技・表彰が行われるが、ポイントシステムでは異なるクラスの選手が同じレースを競い、WPSが定めるポイントシステムの計算式によって順位が決められるというもの。冬季パラスポーツのアルペンスキーやノルディックスキーで採用されている係数システムに相当すると考えれば、わかりやすい。普段は、同じクラスの選手と競い合うが、このシリーズでは異なるクラスの選手と競い合うことになる。日本でのポイントシステムによる競技大会も、今回が初めてだ。大会は、予選ヒートが行われ、そのタイムから1〜8位がA決勝、9〜16位がB決勝に進出。さらに、U-18の選手によるY(ユース)決勝が実施される。ユースの選手の予選順位がA決勝に入れば、Y決勝ではなくA決勝に進出できる。パラリンピックとは異なる、ポイントシステムで競技が行われた。パラリンピックでは選手は属するクラスごとに競技・表彰が行われるが、ポイントシステムでは異なるクラスの選手が同じレースを競い、WPSが定めるポイントシステムの計算式によって順位が決められる山口尚秀が男子100m平泳ぎ(SB14)で世界新記録!2023年3月に自身が出した1分02秒75の世界記録を2年越しに更新し、1分02秒64で優勝した山口尚秀「前半、もっと突っ込んでいきたかったのですが、力が出せず、でも、後半にペースを取り戻すことができました」とレースを振り返った山口(中央)ハイライトは、大会初日にいきなり飛び出した。男子100m平泳のA決勝に出場した、SB14クラスの山口尚秀が、1分02秒64で世界新記録を樹立し優勝した。「決勝前、スタート時刻が遅れてコールルームで長く待たされてしまい、気持ちが落ちたままスタートしました。展開としては、前半、もっと突っ込んでいきたかったのですが、力が出せず、でも、後半にペースを取り戻すことができました」と、語った。これまでの世界記録は山口が2023年3月に、同じ静岡県富士水泳場で出した1分02秒75。2年越しとなる記録更新だった。男子400m自由形Y決勝で4分18秒16と予選よりも10秒以上もタイムを短縮して優勝した川渕大耀(S9)。今年シンガポールで行われる世界選手権出場の派遣基準記録(21歳以下)を突破して出場権をゲットした一方、ユース世代の選手の中で活躍が光ったのが、17歳高校生の川渕大耀(S9クラス)だ。昨年、パリパラリンピックに初出場し、S9クラス男子400m自由形で7位に入賞。得意とする同種目が大会最終日の12日に行われた。予選では4分29秒59のタイムで、全体12位のタイムだったが、Y決勝では4分18秒16と、予選よりも10秒以上もタイムを短縮して優勝。今年シンガポールで行われる世界選手権出場のための派遣基準記録(21歳以下)を突破したことで、世界選手権への切符を手にした。「予選では、決勝のために抑えて泳いだことでタイムを伸ばせず、A決勝に進めなかった。チームメイトのみんなが“一緒にシンガポールに行きたい、行こう!”と応援してくれたことで、最後の最後まで折れずに泳げました」と、喜びを爆発させた。世界新記録を樹立した山口、21歳以下の派遣記録を突破した川渕のほか、パリパラリンピックで金メダルを獲得し今大会に出場した鈴木孝幸、木村敬一、また、今大会で派遣基準記録を突破した窪田幸太、辻内彩野、石浦智美、西田杏と、田中映伍(21歳以下)が、世界選手権の出場を決めた。取材・文/宮崎恵理 写真/吉村もと
大阪駅直結。うめきた広場で男女のブラインドサッカー国際大会が5月に開催!

大阪駅直結。うめきた広場で男女のブラインドサッカー国際大会が5月に開催!

5月18日〜25日、ブラインドサッカーの国際大会『ダイセル ブラインドサッカーウィークinうめきた』が、大阪・グランフロント大阪のうめきた広場で開催される。昨年、男子の同大会がオープンしがばかりのうめきた広場で開催され話題を集めたが、今年は男子だけでなく女子カテゴリーの国際大会も同時開催される。その大事な組み合わせ抽選会が、4月9日に行われた。今大会の特徴は、IBSA(国際視覚障害者スポーツ連盟)公認のハイレベルな国際大会であること。男子カテゴリーは、世界ランキング8位以内の国のみが出場できるエリートカップで、これはIBSAが新設した大会だ。アルゼンチン(1位)、タイ(6位)、コロンビア(8位)、そして日本(3位)が出場する。一方、今回日本での公式戦として初開催となるワールドグランプリ女子大会には、日本(1位)のほか、イングランド(4位)、アルゼンチン(5位)、オーストラリア(国際大会初出場のためランキングなし)の4カ国が対戦する。大会は、男女とも総当たりの予選ラウンドを戦い、その結果により1位と4位、2位と3位による準決勝、そして3位決定戦、決勝が行われる。世界同時配信での抽選の結果、男子の初戦はコロンビア、女子の初戦はアルゼンチンと対戦することが決まった。男子のカードは、昨夏パリパラリンピックの予選ラウンド初戦のカードと同じ。この時には前半にコロンビアに先制され、そのまま敗北を喫した。1年後の今年、新たなチーム編成で、リベンジを図る。女子は、パラリンピック種目採用を目指しての重要な国際大会の一つになる。アルゼンチンとは、世界選手権のほか、さいたまノーマライゼーションカップなどでこれまでに何度も対戦経験はあるが、IBSA公式戦ということで、両国ともさらに力が入った戦いを見せるはずだ。男子主将の川村怜は「昨年の同大会は、たくさんの人が足を止めてプレーに応援を送ってくれた。素晴らしい体験でした。個人的にも(出身地である)大阪での開催は、とても嬉しい。ブラインドサッカーの魅力を、プレーで発信したい」と語る。また、女子主将の若杉遥は「2023年の世界選手権では、決勝でアルゼンチンに1−2で敗れました。今大会はリベンジマッチ、まずは初戦で1勝し、優勝を目指したい」と、意欲を見せた。大阪・梅田駅前のうめきた広場が、ブラインドサッカー一色に包まれる1週間。ロサンゼルスパラリンピックに向けた日本と、世界のブラインドサッカーの醍醐味を体感してほしい。大会詳細は、以下、ご参照を。https://blindfootballweek.b-soccer.jp文・写真/宮崎恵理
大きくバージョンアップして開催された「BOCCIA JAPAN CUP 2025」

大きくバージョンアップして開催された「BOCCIA JAPAN CUP 2025」

4月5日~6日、東京体育館でボッチャのインクルーシブ大会である「BOCCIA JAPAN CUP 2025」が開催された。TOKYO CUPからJAPAN CUPに名称が変わり、大きくバージョンアップした大会となった。全国の地区予選を勝ち抜いたチームのほか、日本代表チームの火の玉ジャパンメンバーをはじめとする招待チーム全48チームが集結。5日は12グループに分かれて予選ラウンドが行われ、その結果から16チームが翌6日に決勝トーナメントを戦った。この大会は、障がいのある人もない人も参加可能で、ボッチャを愛する人がチームを結成して出場できることが大きな特徴。年齢も、性別も、競技歴も関係なく出場でき、テクニックと戦術、戦略を駆使して勝ち進むというまことにインクルーシブな大会である。各チーム3人が出場するチーム戦で、一人2投ずつ全6投で1エンド、予選ラウンドから準決勝までは1試合2エンド、3位決定戦と決勝のみ4エンドで競われる。今回の目玉は、なんといっても、昨年パリパラリンピックのボッチャ個人種目BC2で金メダルを獲得したタイのワラウット・セーンアンパ選手率いるタイ代表チームが参戦すること。また、東京2020パラリンピックの同種目で金メダルに輝いた杉村英孝選手、パリ大会銅メダルの廣瀬隆喜選手ら、火の玉ジャパンのメンバーもチームRED、BLUEと2組が参戦した。一方、オリンピックの柔道で活躍したオリンピアンチーム、今年行われるデフリンピックでメダル獲得が期待されるデフバレーボールのスタッフによるチーム、オリンピック、パラリンピックの競泳選手によるオリパラチーム、パラ卓球チームなどもボッチャに挑戦した。パラ卓球チームも参戦。予選敗退するも、イベントを楽しみ、決勝トーナメントを食い入るように観戦していた多様性に満ち満ちた48チームの中で、今大会目を引いたのが、新潟カップを勝ち抜いて初出場したチーム「ゆでたまご」。高校2年生の小島惺那選手、1年の咲音選手姉妹と、同じく1年の春日桜佳キャプテンによる高校生チームだ。予選ラウンドでは2勝1敗で決勝トーナメントに進出。準々決勝では火の玉ジャパンBLUE(BC3クラス、BC4クラス)を2−1で下して準決勝へ。その準決勝でタイ代表と対戦し惜しくも0−3で敗れ、3位決定戦でわくわくわらっぴーに3位を献上したものの、キャプテンの春日選手は、今大会のMVPに輝いた。準決勝でタイ代表チームと対戦したゆでたまご火の玉ジャパンBLUEとの対戦では、1エンド目にゆでたまごが1−0でリード。2エンド最後にBC3ベテランの有田正行選手がジャックボールの上にボールを乗せて同点とした。セカンドボールの位置を審判が測定し、ゆでたまごに軍配が上がったのだった。会場からは大きな拍手が沸き起こっていた。もともと、地元・十日町で小学生のスポーツチャンバラを楽しんでいたが、コロナ禍でできなくなり、そこから指導者の福原芳昭氏がボッチャを広めて、週3回の練習を重ねて今大会の出場を果たしたという。「1カ月くらい前からやっと6ボックス(ボッチャコート)で練習できるようになりました。もっと前からやっていたら、もっといい成績だったかも」(小島・姉)「ボッチャ始めてすぐに地元の大会とかに出場するようになって、どんどんおもしろくなっていきました」(小島・妹)「十日町では、すごくボッチャ、人気があります。多分、新潟県で一番ボッチャやっている人が多いと思います」(春日)ちなみに、「ゆでたまご」というチーム名は、ボッチャの大会に出場するようになってチーム名を考えるときに、仲間の一人が「ああ、ゆでたまごが食べたいなあ」と言ったひと言で決まったのだとか。ユニークさではピカイチで、3人とも気に入っている。「JAPAN CUPは、去年優勝して今年2位になった川崎ボッチャーレとか、すごくかっこいいチーム名ばかり。来年はもしかしたら、チーム名を変更するかも」来年には、緊張しないように、さらに集中力と体力をつけて、もっと上の成績を目指すと語る。ゆでたまごの面々。左から小島惺那、春日桜佳、小島咲音の各選手ゆでたまごのキャプテン・春日桜佳選手は大会MVPに輝いた 優勝したタイ代表チームのセーンアンパ選手は、3年前にも1度、今大会に出場した経験があるが、その時は予選敗退だった。「タイには、この大会のように健常者と障がい者が一緒に競い合うような大会はありません。日本のボッチャ人気と、レベルの高さにすごく驚いています」優勝したタイ代表チーム決勝で惜しくもタイ代表チームに敗れた昨年チャンピオンの川崎ボッチャーレ、キャプテンの鶴井純一朗選手は、「パリパラリンピックの金メダリストと対戦できるのはすごく光栄でした。正直、ものすごく強くて、これまでみたことのない世界を見せてもらいました」と、語った。2位の川崎ボッチャーレ3位のわくわくわらっぴー来年には、誰もが頂点を目指せるボッチャ個人戦の最高峰大会となるBOCCIA GRAND PRIXが開催予定だ。どの選手も今から楽しみにしていると語る。ボッチャは、ますます熱くなる!文・写真/宮崎恵理
新スローガンは「挑め未来!」。ロサンゼルス2028パラリンピックを目指し、日本パラ陸上の新体制が発足

新スローガンは「挑め未来!」。ロサンゼルス2028パラリンピックを目指し、日本パラ陸上の新体制が発足

3月27日(木)、日本パラ陸上競技連盟の「中期計画・強化方針」記者会見が行われた。登壇したのは、日本パラ陸上競技連盟会長・増田明美氏、今年から専務理事に就任した杉本敦男氏、同じく新たに強化委員長に就任した鈴木徹氏、知的障害クラスのハイパフォーマンスディレクター・奥松美恵子氏の4名。2028年に開催されるロサンゼルスパラリンピックに向けた中期計画と強化方針と、連盟の新スローガンおよびロゴが発表された。連盟の主な活動目的は「障がい者が陸上競技を通じ、元気で、生き生きする共生社会の実現」であり、その過程としてロサンゼルスパラリンピックでの目標達成を目指している。今回、新たに強化委員長に就任した鈴木氏は、2000年シドニー大会から2021年東京大会まで走り高跳びやリレーに出場。パラリンピアンの強化委員長誕生は初めてだ。長年の経験を活かし、強化委員長という立場で後進をサポートしていくという。「パラ陸上の日本チームは、東京大会では金メダル2個を含む全11個のメダルを獲得しましたが、昨年のパリ大会では金メダル0、総数9個に終わりました。3年後のロサンゼルス大会では、金メダルを含め全13個以上のメダル獲得を目指します」(鈴木氏)そのための方策として、ゴールドメダルターゲット選手や、メダル獲得が期待される注目選手への包括的なサポートとともに、現在、一般の陸上競技で活躍している障がいを持つ選手を含めた即戦力選手の発掘や育成、そして競技力向上のための環境を整えていくとのこと。映像分析や心理・栄養サポートなど、選手の競技力向上を後押しするチームとしての環境整備はもちろんだが、例えば日本で国際グランプリ大会開催する、また、ガイドランナーの増員や子育てアスリートたちの支援など、支えるスタッフの強化や育成にも力を注いてくそうだ。知的障がいクラスは、2012年のロンドン大会からパラリンピックに出場しているが、日本はまだメダルを獲得していない。ロサンゼルス大会では、悲願のメダル獲得を目指して、400m、1500m、走り幅跳びで活躍が期待される若手選手を中心に強化を図っていく旨が発表された。今回の活動スローガンは、パラ陸上に携わる選手をはじめ、広く関係者から公募した。3月3日から23日までの20日間に124もの応募があり、その中から選ばれたのは、脳性麻痺クラスの坂口美果選手による「挑め未来!」だ。シンプルで力強い言葉とロゴが、今後パラ陸上競技のさまざまなシーンで見られることになる。新しく専務理事に就任した杉本敦男氏は、2024年3月まではコーヒーメーカーや暖房器具などの家電メーカーであるデロンギ・ジャパン株式会社の代表取締役社長だった。もともとサッカーやホッケーに親しみ、40代でフルマラソンを始めたスポーツマンでもある。社会貢献としてパラ陸上競技に興味を持ち、連盟の専務理事に就任した。「昨年、神戸で開催された世界パラ陸上競技選手権をライブで見て、本当に感動しました。スポーツはワクワクするじゃないですか。そのワクワク、感動をどう伝えていくか、広めていくか。パラ陸上競技のブランディングや、どういう人が興味を持って応援してくれるかというマーケティングなどで力を尽くしていきたいと思っています」(杉本氏)今年4月26日~27日には愛媛県で日本選手権、6月7日~8日には宮城県でジャパンパラ陸上競技大会が開催される。新しい体制で一丸となってロサンゼルスパラリンピックを目指す日本パラ陸上競技連盟の第一歩に、期待しよう。文・写真/宮崎恵理
車いすカーリング混合ダブルスの小川亜紀、中島洋治が世界選手権優勝! ミラノ・コルティナ2026パラリンピックの内定第一号に!

車いすカーリング混合ダブルスの小川亜紀、中島洋治が世界選手権優勝! ミラノ・コルティナ2026パラリンピックの内定第一号に!

イギリス・スティーブンストンで開催されていた「世界車いすカーリング混合ダブルス選手権」。3月16日に決勝が行われ、小川亜希、中島洋治組が優勝した。日本勢の車いすカーリングでの世界選手権優勝は初。来年のミラノ・コルティナ冬季パラリンピックの出場枠も獲得し、49歳の小川と、16日に61歳となった中島が日本勢の代表内定第1号となった。金メダルを携えた小川・中島が、凱旋帰国し、羽田空港で緊急記者会見が行われた。小川、中島組は、決勝でスコットランドのペアに11対2で完勝。「予選ラウンドでは2勝2敗、それでも最後まで諦めることはありませんでした。まだ(金メダルの)実感は湧きません」(中島)。「中島さんの”神”のようなスーパーショットで優勝にたどり着きました」(小川)小川・中島組は、2010年バンクーバー大会でパラリンピック出場を経験している。混合ダブルスは、ミラノ・コルティナ大会の新種目。2022年の世界選手権に向けて新たに混合ダブルスにも取り組み、今回の金メダルを勝ち取った。「混合ダブルスは、ドローショットの精度が決め手になる。その精度を磨いてきたことが今回の結果に繋がった」(中島)。「最初の一投も大事ですが、ショットのバリエーションがないと展開に対応できない。残り1年、さらにショットの精度を高めたい」(小川)ミラノ・コルティナパラリンピックに向けて、さらなる高みを目指す。文・写真/宮崎恵理
車いすバスケ女子の国際大会「大阪カップ」で広がる温かな交流

車いすバスケ女子の国際大会「大阪カップ」で広がる温かな交流

寄稿:早川忠宏(Sports PR Japan株式会社)「オージー! オージー!」。Asueアリーナ大阪(大阪市中央体育館)の高いスタンドから子どもたちの声援がオーストラリアの選手たちに降り注ぐ。「2025国際親善女子車いすバスケットボール大阪大会(通称・大阪カップ)」の初日に当たる2月14日、日本代表とオーストラリア代表が対戦した開幕戦のスタンドには活気があった。カナダ代表、タイ代表も加えた4チームで争う、日本国内唯一の女子車いすバスケットボール国際大会である。2000年シドニーパラリンピックで車いすバスケットボール日本選手団総監督を務めていた高橋明氏(当時、大阪市障害者福祉・スポーツ協会職員)らが、その人脈を生かして、2003年に男子大会として始まり、2007年から女子大会となった。20年以上続いている。国際親善の輪を広げる学校交流大会名にある「国際親善」は、代表チーム同士のことだけを指しているわけではない。子どもたちが海外の選手を応援する温かい雰囲気に包まれている。長年にわたり、開幕前の2日間に出場チームの選手が大阪市内8区の小中学校、計8校を訪問して交流を深めている。そこで触れ合った選手たちのプレーを見つめていた。金曜日のこの日は小中高と事業所を合わせて27団体からの2276人を含む、3144人が来場。入場は無料で、土日には一般来場者も多く、3日間で前年比微増の8086人を集めた。試合の合間には、コート横のチャレンジコーナーで車いすに乗ってシュートを打つ体験もでき、肢体不自由のある小中高生が各国の代表選手から特別レッスンを受ける時間もあった。試合を終えたオーストラリア代表のシェリー・マセソン選手は「ここに来てプレーできることがすごくうれしいです。それはやっぱり、子どもたちの応援が非常にたくさんあることです」と大きな笑顔を見せた。取り残される人をつくらないMCこの雰囲気づくりの中心にいるのが、音楽・タレント活動も行っている場内MCの「たつを」さん。「まじめでかっこよくではなく、わっと盛り上げるタイプのMCを探していたようで声をかけられました」。2020年から担当している。この日は、子どもたち以上に目立っていた引率の先生をいじって、スタンドを沸かせた。プロのバスケットボールチームでの経験は長く、大阪エベッサで10年、今もBリーグのアルバルク東京で試合会場を盛り上げる。「車いすバスケは競技としておもしろいもの。ハンディキャップがある方がやる、というイメージは絶対に与えたくないので、表現にはすごく気を使っています」。Bリーグが今ほど人気がなかった時代を知っているだけに、車いすバスケットボールを初めて見る人がいることを考慮し、前半は細かく何が起きたかやルールを伝える。また、国際親善という主旨を踏まえ、日本戦でも日本の守備を「ディフェンス!」と声を出して応援するのではなく、敢えて相手チームを応援する形にしている。タイムアウトなどで間が空くと、場内スクリーンには配布されたハリセンを鳴らす応援を促す動画が流れた。立っている人も車いすに乗っている人も並んでいて、振り付けは簡単だ。「取り残される人をつくりたくなかったんですよ」とたつをさんは言う。「スタッフの方の温かいエネルギーを、僕も感じているし、選手にも伝わっているでしょう」と、やさしく笑った。場内MCをつとめたたつをさん長年障がい者スポーツを取材してきた山口一朗氏が大会事務局長にこの大会は、一般社団法人日本車いすバスケットボール連盟(JWBF)、社会福祉法人大阪市障害者福祉・スポーツ協会、大阪市の三者が主催している。事務局長を務めるのは、同協会の障がい者スポーツ振興部スポーツ振興室長の山口一朗氏。毎日新聞の記者として「パラスポーツ」という言葉も一般的でなかった1990年代から、この分野に情熱を注いできた。昨年7月に、取材先でもあった同協会に転職。前回の大阪カップでは事務局次長を務め、今回初めて事務局長となった。「学校交流は、選手も子どもたちも本当に楽しみにしている特別な時間」と語る。大阪市は24区あり、例年、4カ国の選手たちを8区の8つの小中学校に振り分けて訪問している。今回、希望する学校は二十数校に及んだが、この地域親善交流会を主催する大阪市があらかじめ設けた選考基準に基づき、8校を選んだ。タイ代表は13日朝に到着したにもかかわらず、そのまま午後には学校訪問を実施。同行した山口氏は、「初めて障がいのある人に触れる子どもたちも多い。キラキラした目で見つめ、こちらも胸が熱くなった」と振り返る。スタンドでは多くの小中学生が応援山口氏がパラスポーツに関心を持ち始めたのは、1993年から4年間勤務した毎日新聞奈良支局で障がい福祉施設「たんぽぽの家」が拠点となって開いていた音楽・アートイベントを度々取材したのがきっかけだった。ある時、音楽イベントの中心人物に、「障がい者のスポーツもあるんですか」と問いかけたところ、障がい者野球チームを紹介された。その後、自身も激しい腰痛で日常生活に支障をきたす経験をし、「体の不自由な人々にとって、世の中はどれほど大変なのか」と痛感。記者として「ペンの力で変えられないか」と模索するようになった。長野冬季パラリンピックを前に、大阪から東京や横浜へ足を運び、パラスポーツ関係者への取材を行ったこともある。1998年、大阪運動部に所属していた際、歌手の桑名正博さんが健常者も参加できる車いすバスケットボールチームを結成したことを記事にした。この時、大阪市長居障害者スポーツセンターの高橋明氏と出会い、以降も新聞がパラスポーツを取り上げる機会が少ない時代に、何度も連絡を取り合い、記事を執筆してきた。20年以上続くこの大会の歴史の重みも感じている。「日本代表女子の強化として、大事な大会。今回はロサンゼルス・パラリンピックを視野に、日本の若手が多く出場し、オーストラリアやカナダの若手と直接プレーした」また、選手たちにとっても、子どもたちとの交流は大きな意味を持つ。毎日新聞社オリンピック・パラリンピック室にいた時に、英国代表のロビン・ラブ選手が「子どもたちは言葉が通じなくても笑って、一生懸命応援してくれる」などとオンライン取材で語っていたことを思い出す。昨年、大阪カップに英国代表が出場した際、立場の変わった山口氏は関西国際空港でラブ選手と対面。「ナイストゥ・シー・ユー・アゲイン(また会えてうれしいです)」と声をかけると、相手も覚えていてくれたことに驚いた。タイムアウト中の日本女子代表チーム大会存続への課題と展望事務局長の立場としては、大会を継続することこそが、最も重要だと考えている。そのため、運営は自前のスタッフを中心に行い、費用を抑える工夫をしてきた。今大会も、JWBFの分担金や個人からの寄付などを除き、約2500万円の運営費の大部分をスポンサーの支援で賄った。しかし、物価や人件費の高騰が続く中、財源確保は大きな課題となる。現在は、新規スポンサーの開拓に加え、助成金や補助金を活用したいと取り組み始めている。さらに、もう一つの大きな課題が会場問題だ。2027年から2028年には、長年使用してきた施設が大規模改修に入る予定であり、新たな会場を確保しなければならない。車いすに対応した観客席付きのスポーツ施設を見つけるのは容易ではないが、選手が最高のパフォーマンスを発揮できる環境を整えることが不可欠だ。大阪カップの注目度はある程度あるが、単なる一大会にとどまらず、これを契機に他の車いすバスケットボール大会や障がい者スポーツセンターへの関心が広がることを期待している。「(事務局次長から事務局長に)立場が変わったせいかもしれませんが、今年の大会は昨年よりも賑やかだったと感じました」と山口氏。この活気を絶やさぬよう、今回の反省を活かし、来年の大会準備は5月ごろから本格的にスタートする予定だ。写真/Sports PR Japan株式会社

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