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  パラアスリートの軌跡⑪ 小椋久美子×鈴木亜弥子 ドリーム対談 2/2

パラアスリートの軌跡⑪ 小椋久美子×鈴木亜弥子 ドリーム対談 2/2

「パラアスリートの軌跡」第11回の後半となる今回もひきつづき…バドミントンで北京オリンピックに出場した小椋久美子さんと、パラバドミントン世界ランキング1位の鈴木亜弥子選手のドリーム対談をお届け(2017年11月発売号掲載。※現在とは異なる内容などありますがご了承ください) 前回を読んでない方はこちら!↓ https://psm.j-n.co.jp/?p=2403&preview=true 鈴木 小椋さんが北京オリンピックの出場権を獲得した前後で、どんな心境の変化がありましたか。 小椋 実際には当時、日本のなかで世界ランキングがトップだったので、おそらくオリンピックに出場するだろうということは、ある程度わかっていました。でも、実際にオリンピック出場が決定した2008年の5月は、嬉しいというよりもやっとスタートラインに立ったというホッとした気持ち。単にオリンピック出場だけならそこで達成ですが、その先にメダルを取りたいという目標がありましたから。 でも、残り3ヶ月を考えた時にメダルを取れる位置にはいないよな、ということを痛感して身震いしていたという感じでした。中国の出場枠は3ペアでしたが、実際には4ペアも強豪が争っていたほどでした。 鈴木 4組ですか!? 小椋 プラス韓国とチャイニーズタイペイ。勝ったことがある選手もいたけど、10回のうち1回勝ってもそれではほとんど負けてるようなもの。だからオリンピックまでにすごく自分を追い込んでいました。3ヶ月間に3回ぎっくり腰しましたから! 鈴木 3回も? 小椋 当時、誰も話しかけられなかったよってみんなから言われます。自分だけでなく周りの環境がものすごく変わるので、そこには引っ張られない方がいいと思う。 鈴木 周りですか? どういう風に変わりましたか。 小椋 まず壮行会がめちゃめちゃあるんですよ。それに取材もすごく増える。もう、肌で感じるくらいオリンピックってこれだけの人が注目するんだって。実際、オリンピックで北京のコートに立っていても、日本で応援してくれているというのがすごく想像できる。オリンピックは本当に別物。日本だけでなく、世界中の人が注目する場なんだということを実感しましたね。 鈴木 世界選手権やアジア大会とオリンピックでは、どう違うんでしょうか? 小椋 4年に1度という月日の長さも違うし、それこそ中国や韓国は死に物狂いでくる。プレー中でも、他の大会だったら絶対に取れないでしょうという球をどんな体勢でも取ってくる。そういう想念みたいなものが強すぎて、反対にすごく優れた選手が空振りしたり、こけたりする。 鈴木 ええっ! 想像つかない。 小椋 それから、やっぱりオリンピックは世界一の大会だから、過熱報道にもなるんです。でも、それは日本だけではないと思う。 鈴木 そうなんですね。 小椋 むしろ他の国では金メダルの評価って、日本とは比べものにならないくらい高いところも多いですよ。東京オリンピック・パラリンピックが決定してメディアの関心はすごく高まってるでしょう? 鈴木 そうですね。先日町田で開催された国際大会(ヒューリック・ダイハツ JAPANパラバドミントン国際大会)でもたくさんテレビや新聞の取材があって、どう自分が対応すべきか、勉強になりました。 小椋 2020に向けて、さらに注目度は上がっていきますよ。 * 鈴木 もう一つ、ぜひお聞きしたいことがあるんです。小椋さんは全日本選手権で5連覇されましたが、連覇がかかった大会に、どう臨まれたのでしょうか。 小椋 一番きつかったのが2連覇の時です。初めての連覇がかかった大会で、自分で〝連覇〞をすごく意識してしまったんですね。これが途切れたら、もう一度最初からやり直さなくてはいけないと思うとすごく怖くて。これをやったら負ける気がするというような悪い意味のジンクスみたいなものに縛られていました。 鈴木 例えば、どんなことを? 小椋 炭酸飲料が大好きだったんですけど、飲んじゃいけないと思って手をつけなくなったとか。 鈴木 ええ、そういうこと? 小椋 変な決まりをいっぱい作ってましたね。でも、オリンピック前のプレッシャーとは違うんです。やらなくてはいけないことがわからないくらい自分を見失う、ということではなかった。自分は一番強いという自信はありました。 鈴木 ああ、それはわかります。私も今はそう思っています。 小椋 自信はあるけど、弱気な自分もいるので、自信をわざと表に出してた。だから、「めちゃめちゃオーラが出てきたね」って初めて周囲に言われたのが、この2連覇の時だったんです。あの時には絶対に負けないという強い気持ちがありましたね。 鈴木 全日本の決勝で連覇するのは本当にすごいです。 小椋 試合前日の夜は眠れなかったです。でも、あれを乗り越えたというのがその後の人生、いい方向に向いていったと思う。あれで勝てたからこそ、オリンピックに出場できたと思います。 鈴木 それほどのものだったんですね。その後の競技人生を左右するような。 ―鈴木さんにとっては先日の町田の決勝も、まさにそういう試合だったのではないですか。 鈴木 ああ、そうかもしれません。 小椋 国際大会で、中国にいつも負けていたんです。いい試合だけど勝てない。ある日、今日負けたら、今までと何も変わらないなって思ったんです。それを試合中に痛感して、今日は絶対に勝とうって。 鈴木 試合中に、ですか。 小椋 もう、「いい試合したね」はいらない。もちろん、プロセスや試合内容は重要ですよ。でも、一番大事なのは結果です。いい試合だったとか、いい経験だったというのは、大切だけどそれだけでは絶対にダメで、どういう形で勝ったかという勝ち方をどれだけ知っているかがすごく重要だって、思いますね。勝ちを意識するようになったら、負けなくなったんです。 鈴木 深いですね。 小椋 めっちゃダサい試合もします(笑)。すごくいい試合内容で勝てば、選手としては気持ちいいです。華もあるしスカッとしますよね。でも、長いラリーが続いて相手のミスを誘って勝つみたいな勝ち方もある。 鈴木 ありますね、長いラリー。 小椋 そういう山を越えると、その時の経験がその後に生きてくるし、経験値が増えると試合中に余裕が生まれるんです。 鈴木 私も、町田の決勝の時に対戦した中国の選手に、それまでに2回負けてたんですね。だからここで負けたら、もう鈴木はこの中国選手には勝てないって周りに思われるだろうな、そう思われたら嫌だなって思ったんです。ここでどうしても優勝したい、金メダルが欲しいってすごく思って臨みました。カッコよく勝つ必要はないけど、とにかく1点ずつ得点を重ねていこうって。カッコよく決める1点と、ラリーして決める1点は実は同じ1点だから。 小椋 全く同じこと、思ってました。私はそれにプラス、相手がミスしても1点だって。自分のコートにシャトルを落とさなければ失点しない(笑)。 鈴木 本当! おっしゃる通り! 小椋 ネットを挟む競技って、そういう意味ではいろんな勝ち方、得点の仕方がある。バドミントンってこっちが息を吹き返してきたら相手が焦ったりする。その気持ちの波、流れやリズムが必ずあるんですよね。考え方を変えるだけで試合を変えることができる。 鈴木 対戦相手を見て、今ちょっと焦ってるのかなって思うこともありますよね。 小椋 それがわかるのはめちゃくちゃ余裕がある。焦っている時は無意識にいつも通りの癖が出てしまう。だから、相手が打ち込むコースがわかりますよね。 鈴木 反対に自分に余裕がなければ、やっぱりいつものコースに打ってしまいがちで、相手がどこにいるからこういう球を打とうという発想が生まれないですね。 小椋 バドミントンって、メンタルスポーツなんですよ。 * ―幼い時からバドミントンを続けてこられたわけですが、そのバドミントンの魅力は何でしょうか。 小椋 すごく奥が深いところ、ですね。一つのショットにしても打つ体勢によって質や弾道が変わります。やっても、やっても、まだまだ先がある、奥がある、というのがプレーしていてすごく面白いと感じていました。バドミントンって体が小さくても勝てるし、頭脳や球際のセンスで体の大きな選手を打ち負かすこともありますよね。勝つパターンも一つじゃない。 鈴木 私もすごくそう思いますね。私は足も速くはないですし、陸上競技選手だったら、パラリンピックに出場できない(笑)。体が大きい人や、運動神経がいいというだけで勝つわけではなく、自分のショットを工夫して勝ったりすることでやっぱり喜びがあります。自分の弱点をわかった上で、じゃあどんなショットだったら相手に勝てるかということを追い求めていけるんですよね。 小椋 そう、バドミントンってどんな人にもチャンスがあるんです。どこまでも追求できる。そこが魅力だと思いますね。 ―日の丸を背負う、ということで大切にしていることはありますか。 小椋 当時、「感謝」ということを口すっぱく言われていました。あなたが日本代表として日の丸を背負うことで、あなたのその場所に立ちたかった選手がたくさんいる。そういう人たちの気持ちも背負って戦いなさい、と。それを言われるようになってから、自分がどういう状況でも責任を持って試合に臨まないといけないと強く思うようになりましたね。海外遠征にしても、代表であれば国の税金を使わせてもらったり、あるいは会社が負担してくれたりしているわけです。自分一人で競技を続けられているわけではないということを、自覚するようになりました。 鈴木 感謝は本当に大切ですよね。会社という組織の中で練習の時間をいただけていること、体育館があること、私が競技を続けていくための環境が整っている。全てに感謝です。この環境がなければ今の私の結果は出せていません。それを感じつつ、自分がどこまで挑戦できるか。そこを目指して今も進んでいます。 ―鈴木選手の東京パラリンピックの目標は。 鈴木 やっぱり東京パラリンピックでの金メダルが目標です。 小椋 鈴木選手には東京パラリンピックの舞台に絶対に立って欲しいって思っているんです。今、私が鈴木さんとこうやって北京オリンピックの頃の経験などをお話しできるのも、その場に立てたからこそ。鈴木選手が世界最高峰の舞台に立って初代チャンピオンになるところをぜひ見たいと思っています。
(写真右)小椋久美子/おぐら・くみこ 1983年7月5日、三重県生まれ。8歳の時地元のスポーツ少年団でバドミントンを始め、四天王寺高校時代にインターハイダブルス準優勝、シングルス準優勝を果たす。卒業後三洋電機に入社し2002年に全日本選手権シングルスで優勝。その後ダブルスプレーヤーに転向し、2004年の全日本選手権から5連覇を達成した。2008年北京オリンピックに出場、ダブルス5位入賞。2010年現役を引退、現在はテレビなどの競技解説ほか、キッズ・ジュニアの指導、普及活動をベースに幅広く活躍中。 (写真左)鈴木亜弥子/すずき・あやこ  1987年3月14日、埼玉県生まれ。七十七銀行所属。先天的に右腕に機能障がいがある。小学3年でバドミントンを始め、大学まで一般のバドミントン部に所属。高校時代にはJOCジュニアオリンピック全国2位、インターハイ出場。大学3年時にパラバドミントンに出会い、2009年の世界選手権シングルス優勝、2010年アジアパラ競技大会で金メダル。一度現役を引退するが2015年に復帰、今年9月に東京・町田市で開催された日本初の国際大会で優勝。2017 年10 月現在、世界ランキング1位。
撮影/石橋謙太郎(スタジオM)、吉村もと 構成・文/宮崎恵理


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