パラアスリートの軌跡⑩ スペシャルオリンピックス日本理事長 有森裕子

「パラアスリートの軌跡」連載第10回目は、女子マラソンランナーとして活躍したメダリストであり、現在スペシャルオリンピックス日本の理事長に就任された有森裕子さんのインタビューをプレイバック!(2018年10月発売号掲載。※現在とは異なる内容などありますがご了承ください)

スペシャルオリンピックスは知的障がいのあるアスリートを支援する国際的スポーツ組織だ。4年に1回、夏季・冬季に世界大会を開催。前回2015年、米国ロサンゼルスの夏季世界大会には164カ国から、6500名以上のアスリートが参加。日本からも77名が参加した。その活動を行うスペシャルオリンピックス日本の理事長の彼女がどんな思いで、アスリートたちを応援しているのかを聞いた。

スペシャルオリンピックス(以下SO)との縁をつくってくださったのは、SO日本元理事長の細川佳代子さん、細川護煕元総理の奥様です。

2002年に連絡をいただいて、ドリームサポーターになって活動を応援してほしいと言われました。元力士の小錦さんやテニスの伊達公子さんもサポーターで、私でなにか役に立てればと思ってお引き受けしました。関わり始めて、さまざまな気づきがありました。

たとえば、知的障がいのある人(アスリート)にスポーツの場を「提供」するという表現が理解できなかった。人に聞いて、提供されなければスポーツする機会さえなかったことを初めて知りました。

サポートを難しくしているのは、当事者であるアスリートがどんな環境でスポーツをしたいのかを十分に発信できないことです。結局、組織を支える人の思いや価値観によって環境づくりがされてきた。その価値観も、「参加することが大事」「ナンバーワンよりオンリーワンを目指す」というものです。

幸運とは準備が機会に出会うこと

でも、翌03年、アイルランドの首都・ダブリンで行われたSO夏季世界大会に行ったとき、それとは違うシーンを見たのです。確かに勝負を度外視したような選手もいました。重度の障がいのある陸上選手は、スタートしてもゴールを目指さないで応援席に向かって走ってきたり、遅れている子を待ってゴールしたり。

いっぽうで、勝負にこだわるアスリートもいたのです。バスケットボールチームは決勝で負けたのですが、地団駄踏んだり泣いたりして悔しがっていました。

それを見て思いました、勝つことを追求する選手がいるのなら、それを応援する体制が必要だと。また、ひとつの価値観にしばられないで、アスリートに合わせてサポートしたほうがいいというふうにも思いました。

そんなことを考えているうちに、副理事長に、何年かして理事長になってほしいと言われました。スポーツに関わりのある人が組織のトップに立って、SOのことを外に向かって発信してほしかったようです。

理事長になってからは、選手団を率いて、いろいろな大会に行きました。選手と一緒の部屋で寝泊まりして過ごしました。

知的障がいのある人とない人、違うところはあるけれど、同じ部分もたくさんあるんですね。怠ける人もいるし、悪戯をする人もいる。障がいのありなしにとらわれず、普通にシンプルに接すればいいと思いました。

私が理事長になって、これだけはやりたいと思ったのは、一人でも多くの人たちに、スポーツをする機会を提供したいということ。スポーツは、人を変える力をもっているからです。

私はカンボジアで毎年行なわれている「アンコールワット国際ハーフマラソン」の運営に関わってきました。最初はゲストランナーとして参加したのですが、貧困や地雷の問題がある国で、はたしてマラソンに意味があるのかと疑問でした。しかし翌年再訪すると、子どもたちが楽しみにしてくれていた。マラソンは彼らに生きるパワーを生み出していた。スポーツが持つ力を改めて実感しました。そんなスポーツだからこそ、できるだけ多くの知的障がいのある人に経験してほしいのです。

〈幸運とは準備が機会に出会うことである〉

これは、アメリカの人気テレビ司会者オプラ・ウィンフリーの言葉です。知的に障がいがあることが不幸なのではなく、機会に出会えていないことが不幸なのです。スポーツによって人は変化します。世界大会を経験すると、年々成長していくアスリートがいます。すごく積極的になったり、しゃべれなかったアスリートがかなりお話ができるようになったり。私もオリンピックにでて成長することができました。こうした経験を多くの人にしてほしい。その歓びを誰も奪うことはできないのです。

障がいの有無を超えたユニファイドスポーツ

スペシャルオリンピック日本には、8250人のアスリートが活動に参加、47都道府県に地区組織がある。ボランティアの数9769人。5216人のコーチがアスリートを指導する(数字は2017年末 写真/安藤啓一)

この活動をできるだけ多くの人たちに知ってもらうために、オリンピアンたちにドリームサポーターとして参加してもらっています。フィギュアスケートの安藤美姫さん、小塚崇彦さん、柔道の平岡拓晃さんなどです。参加した感想を聞くと、知的障がいのある人がスポーツを純粋に楽しんでいる姿を見て、「スポーツの原点」を再認識したりしている。自分のアスリートとしての経験を、引退後の活動の中でどう生かすかを考える良い機会になるとも思います。

サッカー元日本代表の山口素弘さんには、昨年、シカゴで行なわれたユニファイドフットボールカップの、日本選手団アンバサダーとして参加していただきました。ユニファイドスポーツというのは、知的障がいがある人とそうでない人がチームをつくってプレーするものなのですが、山口さんなどJリーガーなどがコーチ陣に入ると、選手たちがすごく成長するんです。

私も見ましたが、誰がアスリートなのかわからないぐらいになっていました。もともと能力がないわけではなく、やれば普通にできることが増える。生きていく力が育まれるんですね。そういうシーンを目の当たりにすると、こういう機会を増やしたいなとつくづく思います。

最初は教える側も大丈夫かなと思っていたりするんです。でも実際やってみると、「おっ、できるじゃない」と見方がガラっと変わる。当事者たちも変化・成長しますが、その周囲の人たちはもっと変わっている。当事者たちのまわりで起きる変化こそがスペシャルなんです。

今、Jリーグ、プロバスケットボールのBリーグとも提携して、交流ができつつあります。ユニファイドスポーツがもっと全国に広まってほしいと思っています。

アスリートを信じることすると選手は変わる

SOの強みは、実は地区組織の厚みです。全都道府県に地区組織があって、非常に活発です。アスリートたちも、その地域の人たちに教えられながら成長しています。

去年11月の富士山マラソンの知的障がい女子の部で優勝した樋口敦子さんは、SOアスリートです。私がコーチをしているわけではなく、地区の人が教えてくださっている。そうした日常的な応援で、十分アスリートは変われるのです。

大事なのはまわりがアスリートを信じること。信じて環境を整えれば選手たちは変わります。

9月に愛知県で、SO夏季ナショナルゲームが開催されました。競泳、テニス、体操など13競技でアスリートたちがそれぞれに力を出してくれました。

スローガンは「超える歓び。」。

これはすごく重要なテーマで、アスリートが自分を超える、周囲の人たちは、知的障がいのある人たちとの間にある壁を超えるという意味もあるでしょう。

そうした活動を通じて、SOに関わる人みんなが元気になってほしい。それが私たちのモットーでもあります。

SOでは、目を見張るような大記録がでるわけではありません。でもスポーツは記録がいくらよくても、意外と記憶に残らないものです。記録に加え、記憶に残るものがあるから感動が生まれる。SOは感動のシーンがたくさんあります。ぜひ参加したり応援したりしてもらえたらと思います。


有森裕子/ありもり・ゆうこ 1966年岡山県生まれ。1989年、リクルート入社。小出義雄監督に見いだされ、90年、初マラソンの大阪国際女子マラソンで日本最高記録を樹立。92年、バルセロナオリンピックで銀メダル。96年、アトランタオリンピックで銅メダルに輝く。98年、スポーツNPO法人ハート・オブ・ゴールド設立。2002年には国連人口基金親善大使に就任。スポーツマネジメント会社ライツを設立(現特別顧問)。2008年、スペシャルオリンピックス日本理事長に就任。


 

取材・文/西所正道

写真/高橋淳司