パラアスリートの軌跡⑦ ニッポンランナーズ 米澤諒

「パラアスリートの軌跡」連載第七回目は、ニッポンランナーズ 米澤諒選手のインタビューをプレイバック!(2018年10月発売号掲載。※現在とは異なる内容などありますがご了承ください)

2018年7月に開催された関東パラ陸上競技選手権大会(東京・町田)の800mを1分55秒65のアジア新記録で優勝。知的障がい者のT 20クラスで東京パラリンピック出場に挑戦する米澤諒の存在を強く印象づけた。

アジア新記録で優勝大躍進のスプリンター

4月に勤務先である株式会社エスプールプラスとスポンサー契約を結び練習環境が整ったばかりだが、早くもアジア新記録という結果を出してみせた。

米澤の才能を最初に見出したのは、米澤が昼間に通っていた知的障がい者施設の職員だった。

「京成佐倉駅から続く坂道をものすごい勢いで駆け上がっている」

その姿が気になった特定非営利活動法人木ようの家の工藤氏は、陸上の練習に誘ってみた。

米澤のデビュー戦は2013年、高校2年生のときに出場した佐倉マラソンの10㎞。1人だとコースの途中で道に迷ってしまうのではと心配した米澤の母は、陸上の県大会で活躍した姉に伴走を頼んだ。ところが米澤は、その姉を振り切るようにゴールまで疾走した。

2014年からはトラック種目に取り組み始め、千葉県障がい者スポーツ大会の800mに出場して3位。全国大会への代表枠2名には惜しくも届かなかった。

全国陸上大会から国際大会へ 自信が引き出す潜在能力

翌年の高校4年生の時は、和歌山県で開催された全国障がい者スポーツ大会に800mで出場し、優勝した。また、全国高等学校定時制通信制体育大会では、800mで2分01秒34。銀メダルだった。これは一般の高校陸上部のなかでは目立って速い記録だ。

全力疾走する米澤の姿を目の当たりにして、「親の期待は高まりましたよ」と米澤の父。本人が競技に集中できる環境づくりに両親は奔走しはじめた。

高校卒業後は、佐倉市役所のチャレンジドオフィスさくらで仕事をしながらトレーニングに励んできた。これは2年間、一般企業への就職に向けて取り組む就労支援制度だ。

そして2017年、国際大会を初めて経験。バンコクで開催されたINAS世界陸上選手権の800mは8位に終わった。

「外国の選手はものすごく速かったです。もっと練習をがんばらないと勝てない」と米澤。

高校を卒業した米澤諒は、ニッポンランナーズのコーチ、萩谷正紀さんとの二人三脚で東京パラリンピックに挑戦する。

それから約1年後、2018年6月に開催された関東パラ大会をアジア新記録で優勝する。この大躍進について、現在指導しているニッポンランナーズの萩谷正紀コーチは、「技術的なことも少しずつ改善してきました。(とくに知的障がいの選手では)成績とメンタルはかなり関係があります。800mについては、本人も自信がついたと思います」

今シーズンは本格的なトレーニングの成果が記録につながった。しかし東京パラリンピックには、せっかく自信をつけた800m種目がない。そこで、昨年から400mへの転向を進めているところだ。

萩谷コーチ「400mを51秒台で走る実力はあるのだけれど、試合でそれを出せていません」

「指導法が難しいです。最初の100mは加速して、中盤はリラックスする。そこからさらに加速していくというような難しい指示では伝わらない。800 m のときもそうでしたが、400mに自信を持てればいいのですが」

得意の800mでは、全力で走りきり、ゴールするとそのまま倒れ込むようなことが多い。それが400mは、余裕を残したままレースを終えてしまう。

米澤は、「400mは最初から最後まで、力を出し切ることがきついです。フライングも心配です」と話す。自分の走力をコントロールできずに悩んでいる。

スポーツで社会へと羽ばたく

2018年4月からは、午前中は仕事をして、午後から練習という毎日だ。そして週末は試合か強化合宿ということが多い。障がいの特性から、自分で加減を調整しにくい。すべて全力で取り組むものだから、コーチや家族はコンディショニングにも気を配っている。

米澤の母は、「栄養のことや睡眠時間は気をつかっています。ただもう社会人になったのであまり口出しはしません」と見守っている。

「陸上競技をはじめてから、とてもしっかりしてきました。静岡で行われる強化合宿にも東京駅から1人で行っています」と、米澤の父もその成長を実感。

「家族としても、彼のいろいろな面に気がつきました。アスリートとしてだけではなく、これから先も彼は1人で社会で生きていかなければならない。そういうことも含めて、今はとても多くのことを学んでいると思います」

陸上をはじめたことでコーチや今の職場とも出会い、1人の大人として自立していくすべを得た。「東京パラリンピックに出ます」と答える米澤。知的障がいを持ちながら自分の人生を歩んでいく勇気と自信をスポーツがプレゼントしてくれた。


福祉農園エスプールプラスに勤務。午後の練習を会社がサポート

米澤の職場であるエスプールプラスは、企業に向けて障がい者雇用の職場として貸し農園を運営しており、そこの運営スタッフとして勤務する。

千葉県と愛知県にある農園には大手企業を含めて200社が参画。1000名以上の障がい者一般就労を実現した。参画企業は農場をノーマライゼーション社員研修やCSRに活用している。生産した野菜は外部販売せず、参画企業の職場などに届けられて、それは社員のコミットメント向上にもつながっている。

社長の和田一紀さんは「地域の自治体や福祉団体と一緒に障がい者の働ける場所をつくりたい」と話す。米澤は初のアスリート雇用。「競技活動は本人が引退するまで、東京パラリンピック後もサポートします」

エスプールプラスのアスリート雇用に関する問い合わせは 事業本部 ☎03-6859-6555(星田)まで


取材・文・写真/安藤啓一