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  パラアスリートの軌跡⑥ アルペンスキー 村岡桃佳 

パラアスリートの軌跡⑥ アルペンスキー 村岡桃佳 

「パラアスリートの軌跡」連載第六回目は、アルペンスキー 村岡桃佳選手のインタビューをプレイバック!(2018年4月発売号掲載。※現在とは異なる内容などありますがご了承ください) 高校2年で初出場したソチパラリンピックから4年。2度目となる2018年3月に行われた平昌パラリンピックで、出場した5種目全てのメダルを獲得した。 滑降の銀メダルで幕を開けた平昌パラ パラリンピックのアルペンスキーの競技スケジュールは、滑降から始まる。競技初日の3月10日、滑降。女子のレースが男子より先に行なわれるため、村岡は日本人選手のトップバッターとなった。 片方が落ち込む難しい斜面で、先にスタートしたライバルがふたりも転倒。その直後に出走した村岡は、「公式トレーニングでも注意すべきポイントだと思っていました。 転倒を知っても、攻める気持ちに揺らぎはありませんでした」と、言い切り最初の銀メダルを獲得した。   翌11日はスーパー大回転。「高速系のスーパー大回転とは思えないほど、左右に大きく旗門が振られていて、攻めるべきポイントと慎重に行かなくてはいけないポイントがせわしなく続いている。溝にスキーを取られて減速してしまうミスもあった」 が、ふたつ目となる銅メダル。 1日のオフを挟んで行なわれた13日のスーパー複合では、1本目のスーパー大回転でトップと0秒32差で2番手につけていた。2本目の回転は、村岡にとっては苦手意識のある種目だ。「でも、1本目で僅差につけたから、絶対に攻めて行こう」と覚悟を決めて2本目に臨んだ。

平昌パラ後すぐにインタビューに答えてくれた村岡選手

1本目でトップに立った選手を上回るタイムを叩き出したが、2本の合計タイムにより惜しくも銅メダル。「悔しいです! 回転でソチパラリンピックの女王に勝てたけど、総合力で負けた。でも、これがスーパー複合なんですよね」 しかし、このすべりが最終日の回転に生きてくることになる。 2位に2秒71の大差完勝の大回転 1本目、7番目に出走した村岡は、1分13秒42のタイムでトップに立った。2本目。トップの村岡は最終スタートとなる。村岡はキレのあるカービングターンで果敢に攻め続けた。そうしてゴールすると、2本の合計タイムは2分59秒48。2位とのタイム差は2秒71。ぶっちぎりの勝利。見事金メダルを獲得した。 「これまで大回転のレースでは、1本目でトップをとっていても、だいたい2本目で巻き返されていました。今日は、そんなの絶対に嫌だと思っていた。1秒40のタイム差なんて、私がミスをすれば確実に抜かれてしまう」 平昌パラリンピックに入ってから、もっとも緊張したのが、大回転の2本目だったと、振り返る。 「…意地、ですかね。絶対に今日だけは、やるしかないっていう」 2本目がスタートする頃には気温が14度にまで上がった。斜面は荒れ、苦戦を強いられる選手が続出した。 「スタート直後の1ターンで、あれ、身体が硬い、動かないって感じたのですが、ふたつ目、3つ目って、だんだんと身体の動きやラインどりなどを修正していけた」 パラリンピックの大舞台。真剣勝負のレースのなかで冷静に、自分のすべりを修正してもぎ取った金メダル。 「もう、すごく心臓がバクバクしていてアドレナリンが出まくっている自分と、冷静にそれを見ている自分がいた。そんな経験は初めてでした」 本来、大回転が行なわれるのは大会最終日の予定だった。気象状況により急遽、14日に変更となった。 「大回転が行なわれたのは、本当はオフの予定だった日。それまでの3レースの疲労が残っていて、ゴンドラに乗っても眠くて。インスペクションの後に目を閉じてコースのイメージをトレースしているだけでも、寝そうになっちゃう(笑)」 それでも、スケジュールの変更は村岡に味方した、と感じていた。 「最終日に得意の大回転を残しているより、少しでも先にフルアタックかけられた方がいいかなって」 どんな状況をも、好機と捉えて力に変える。それこそが、トップアスリートの資質なのだ。 そうして、大会最終日に行なわれた回転では、苦手意識を克服し5つ目となる銀メダルを獲得。

平昌パラリンピックで獲得した5つのメダル。パラリンピックのシンボルと点字が刻印されている

「平昌は私に始まって、私に終わるパラリンピックなんですよね」 実は、初日の滑降で銀メダルを獲得した直後、そんな言葉を発していた。村岡の言葉通りに、平昌パラリンピックは幕を閉じたのだった。 183㎝から188㎝へレース直前で出した答え ―平昌では、やはり大回転のすべりが非常に印象的でした。 「初めて出場した4年前のソチパラリンピックの時には、大回転で5位入賞したけれども、最初に出たスーパー大回転は途中棄権。メダルを獲得することは叶わず、〝次こそ〞って思って今回平昌に臨みました。これまでいつも2番とか、3番とか。大回転で優勝した後に国際パラリンピック委員会の特設サイトを見たら〝今まで女王たちの陰に隠れていた村岡が顔を出した〞みたいな書かれ方をしていた。みんなそう思ってたんだなって。まあ、自分も思ってましたけど(笑)。 大輝(森井。日本チームのリーダー)さんが、〝練習通りのすべりをすれば絶対に金メダルを取れるよ〞って言い続けてくれた。練習でならできることが、平昌本番でできずに負けるなんて、絶対にいやだ、という気持ちがありましたね」 ―ソチから4年。この短期間にこれだけ成長してきたのは、やはり男子先輩たちの存在ですか。 「もう、すごく大きいです。大輝さんもですけど、男子座位の先輩たちは、それまでにパラリンピックでメダルをいくつも獲得しているし、ワールドカップの年間総合優勝もしている。そういう先輩たちと、ずっと練習してきたから。だから先輩たちの〝桃佳ならできるよ〞の言葉には説得力があるんです」 ―狩野亮選手が、時には村岡選手の方が計測タイムで上回ることがあったと言っていました。 「2年くらい前からでしょうか。練習ですべった直後とか、〝桃佳、なんでここでスキーをズラしてるんだ〞とか、叱咤激励される。そういうことを繰り返して自然に学んでこられたのかなって思います」 ―それと、大回転では使用するスキーを、それまでの183㎝から188㎝に変えたと言っていましたね。 「女子選手のほとんどは183㎝を使用しているんです。でも、大輝さんが〝桃佳の技術なら188㎝いけるんじゃね?〞って言ってくれて。練習では使っていたんですよ。最初は、5㎝長くなっただけでターンができなかった。でも、練習したらコツが掴めて、そうしたらタイムも一気に上がったんです。平昌に入ってからもすごく悩んでいたんですけど、2種類用意しておいて、インスペクションの後、チューンナップしてくれたスタッフに〝長い方でお願いします〞って言いました」 ―4年間、雪上でのテクニックとともに筋力トレーニングも相当積んできた。だからこそ、5㎝長いスキーをしっかり乗りこなすことができたわけですね。 「インスペクションの時に、結構、バーンが硬かったんです。多分、自分のスタートの時にもこのコンディションは変わらないままいけるだろうと。ただ、コースは大きく左右に振ってあるな、どうしようかなって、思ってたんです。それでも、勝ちに行くために、このスキーを使おうって覚悟を決めました。1本目でしっかりターンができたから、2本目は迷わず188㎝を選んだんです」

開会式、閉会式では村岡が旗手を務めた。そのスタジアムのあるパークでメダルセレモニーが行なわれた

―大英断で掴んだ金メダルだったのですね。 「直前に自分で選んだことも、それを使って1番になれたことも、すごく自信になりました」 ―子供の頃に始めたスキーで、ここまで成長した。改めてスキーの魅力って、何ですか。 「終わりがないところ。スキーには世界記録とかないですよね。コースのセットも、雪質もコンディションも、何もかもが毎回違う。そのレースをすべりきった達成感だけが自分のなかに残る。ずっとそれを追い求めていける。そういうところですね」 ―今後は追われる立場です。 「本当はメダルって、もっと遠い先のゴールだと思ってたんですよ。でも、終わってみたら、あれ、ここがスタートじゃない?って」 まだまだ上がある。もっとうまくなりたい。村岡が目指す場所はさらに高いところにある。そこに向かって、村岡は再び歩き始めるのだ。
村岡 桃佳 むらおか・ももか 1997年3月3日、埼玉県生まれ。 早稲田大学4年。4歳の時横断性脊髄炎にかかり車 いす生活に。小学生の時にチェアスキーに出会い、 中学進学後に競技を始める。高校2年でソチパラリ ンピックに初出場。大回転で5位入賞。         文/宮崎恵理 写真/石橋謙太郎(スタジオM)


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