パラアスリートの軌跡② 車いすテニス 大谷桃子

 

「パラアスリートの軌跡」第2回目は、車いすテニスの国内競争が激化するなか、彗星の如く現れた大谷桃子のインタビューをプレイバック!(2017年07月発売号掲載。現在とは異なる内容などありますがご了承ください)

硬式テニスでインターハイ出場経験をもち、車いすテニスを始めてわずか一年でだれもが注目する選手となった彼女。夢はグランドスラム優勝、そして東京パラリンピックのメダル。課題は多いが、伸び代は無限大。大谷の道は始まったばかりだ。

車いすテニスは、日本では人気の高いパラスポーツのひとつだろう。

アテネパラリンピックのダブルスで金メダルを獲得し、北京、ロンドン大会のシングルスで2連覇した国枝慎吾を筆頭に、リオデジャネイロパラリンピックシングルスで銅メダルを獲得した上地結衣など、日本人選手が多数活躍する。テレビなどで彼らのプレーを見たことがあるという人は少なくないはずだ。

大谷桃子が車いすテニスを始めたのは2016年の春だった。

兄の影響で、小学3年の時に硬式テニスを始めた。中学3年の時に関東エリアのジュニア選手権に出場し、栃木県の作新学院高校にスポーツ推薦で進学。高校3年の時にダブルスでインターハイに出場した経歴をもつ。

スポーツトレーナーを目指して専門学校に進学した矢先、病に倒れ薬の副作用で身体に麻痺が残った。右足は完全に麻痺し、右手の指も自由に動かすことができない。日常生活でも車いすを使用することになった。右手の握力は6、7㎏程度。自力でラケットを握ることができないため、テーピングを施して固定させている。

本格的に始める半年ほど前に、一度だけイベントで車いすテニスを体験したことがある。

エレッセ、ヨネックスがマテリアルサポート

「でも、健常時代にテニスの経験があったから、もうただただもどかしくて」

だから、車いすテニスを継続するかはその時点では未定だった。それでも車いすで身体を動かしたい、何かスポーツをしたいという思いがあり、障がい者スポーツの指導者が多い西九州大学に編入した。

「大学に入ってから、去年(2016年)、初めてジャパンオープンを見に行ったんです。たくさんの海外選手に交じって日本人選手が長い長いラリーをしていた。それを見て、ああ、こういう試合がしたいって、むくむくと闘志が沸き起こったんですね」

そこから、車いすテニスを指導してくれるコーチ探しが始まる。理学療法士の紹介で、現在の古賀雅博コーチに出会った。

「僕もテニスのコーチはしているけれど、車いすテニスの指導経験はない。先輩に相談したら、きっと君ならできると背中を押されて」(古賀)

選手とコーチの二人三脚。車いすテニスへの挑戦が始まったのだった。

「テニスのスキルはなんとかなる。でも、車いすの操作は未熟。だから、古賀コーチとの練習の1時間前にはコートに来て、一人で走り込みをしてました。でも、どういう練習をしたら効果的なのか、まったくわからない。テレビやインターネットの動画で参考になりそうなものを見つけては、片っ端から真似してましたね」

2016年9月、初めて大阪オープンに出場。2回戦で韓国の選手と対戦、見事勝利をおさめる。

この勝利が大きなきっかけとなった。大阪オープン、その1ヶ月後に行なわれた広島オープンで準優勝。11月に国内のトップ選手が出場できる選抜選手権(マスターズ)に出場し、決勝で上地結衣と対戦。第1セットで上地を追い詰めたが、惜しくも準優勝に終わった。

「広島オープンでは、大阪の決勝で負けた相手に、11月のマスターズでは広島オープンの決勝で負けた相手にリベンジできた。大会に出場することで、何を改善すべきかがやっと見えるようになりました」

11月のマスターズには、男子の先輩選手の競技用車いすを借りて出場した。自分専用のテニス車をオーダー、入手したのは、2017年2月に入ってからだ。

「以前レンタルしていた車いすは背もたれやサイドが高くて、プレー中によく肘が当たってアザができていたんです。だからこれを低く設定して作ってもらいました。また、足が痙攣することがあるので、両足の前と後ろに固定するためのベルトをつけています」

マイ車いすとともに、2017年5月、1年前は観戦していたジャパンオープンに出場。メインドロー2回戦でオランダのディード・デグルートと対戦し敗退した。デグルートは現在世界ランキング3位の選手だ。(※2020年世界ランキング1位[2020年3月16日時点、以下同])

「日本には世界ランク1位の上地選手(※2020年世界ランキング2位)がいますが、ディード選手は上地選手とはまったく違う球種や球筋。負けたけど、本当に世界を目指すための課題と目標が明確になりました」

リターンの強化と、フォアのスイングを改善し、より戦術的に試合を組み立てたいと目論む。

 

「自分としては男子のプレースタイルが好き。とはいえ、腕に力が入らないから実際にはパワーが少ないんです。上地選手の戦い方はすごく参考になる。どう効果的に打つか、日本人だからこその強みをどう生かすか。一方で、世界の選手がどう上地選手を相手に戦うかを見ることも、とても勉強になります」

ラグビーボール状のボールで腕の振りを確認
プレー前には右手をテーピング。手の障害をものともせず戦いを挑む

テニス経験の豊富な大谷の武器は、サーブだ。麻痺している右腕でも、思い切り振り切って、パワーのあるサーブを打ち込むことができる。

「サービスエースはもちろんですが、リターンのミスを誘うなど、こちらの展開にもっていくようなゲームが自分のもち味。そこをさらに磨いていきたいです」

 

インタビュー当時のシングルスの世界ランキングは40位。

「目指すのは、グランドスラムに出場し優勝すること。そして、東京パラリンピックで金メダルを取ること。たくさんある課題をクリアして進んでいきます」


そう目標を語った3年後の2020年、彼女は世界ランキング9位となった。

才能があったから、運がよかったでもない。彼女はこの3年間で自分自身と向き合い、課題を乗り越え続けてきた。彼女の努力とそれによって積み重なった経験、実力が生んだランキングだろう。

彼女がメダルをもち笑顔で表彰台にいる姿をぜひとも見たくなった。


大谷桃子/おおたに・ももこ
1995 年8 月24日、栃木県出身。エイベックス所属。西九州大学2年。兄の影響で小学3年の時に地元のテニスクラブで硬式テニスを始める。中学3年で関東ジュニアに出場。テニス推薦により作新学院高校に進学し、3年の時インターハイのダブルスに出場。卒業後、病気により体に麻痺が残る。2016年に車いすテニスを開始し、9月の大阪オープンに初出場し、2 位になる。2020 年4 月現在、シングルス世界ランキング9位

 

 

 

写真/吉村もと 取材・文/宮崎恵理