パラアスリートたちの軌跡① ドリーム対談2/2

前回に引き続き、義足ジャンパー マルクス・レーム選手、レーサー(陸上競技車いす) 伊藤智也選手のドリーム対談をお届けします!(2018年10月発売号掲載)

https://www.j-n.co.jp/psm/?p=2237&preview=true

↑前回の記事はこちらからチェック★

̶ ̶パラリンピックの金メダルの意義とは、なんでしょうか。

伊藤智也(以下、伊藤) 自分を支えてくれた人への恩返しができたことです。でも、私は金メダルを取るまでより、獲得後こそパラアスリートとして果たすべき責任が生まれるのではないかと思っています。勝つための努力よりも、負けるまで全力を尽くし続ける努力が重要で、自分の競技人生であれほど辛いものはなかった。

マルクス・レーム(以下、レーム) ロンドンでの銀メダルは、その責任が果たせたということになるのですか。

伊藤 はい。全力で走って負けましたから。

レーム 最初にロンドンで金メダルを取った時のことはとてもよく覚えています。表彰台の一番高いところに上がって、国旗が掲揚され国歌が流れる。私の人生で、あれほど感動したことはありませんでした。でも、これは私一人で成し遂げられたものではない。家族をはじめいろんな人に連れてきてもらったようなものです。その後は非常に大きなプレッシャーがありましたね。まわりから勝てて当たり前だと言われてきました。リオパラリンピックでは、前半3回の試技で失敗し、その時点で順位は3位以下でした。うまく跳ばなくてはいけない、うまく見せなくてはいけないと思いながら跳んでいたんです。後半が始まる前のインターバルでそれではいけないと考えを変えて、後半の跳躍に臨んだら、やっとうまくいきました。

伊藤 2度目の金メダルを獲得した姿を、僕は解説者としてスタンドから見ていました。

レーム 自分のモチベーションは、時とともに変化しています。10歳の義足の男の子がリオパラリンピックの時に「ブラジルには行けないけど、テレビの前で応援しています」と言ってくれました。彼のお母さんは、私が彼の前向きに生きるモチベーションになっていると言っているけれど、実は反対で、彼こそが私にとって大きなモチベーションになっているんですよ。

伊藤 その少年は、マルクス選手が義肢装具士として担当されているお子さんですか。

レーム そうです。彼は7歳の時にトラックに轢かれて両足を切断しました。当時、もう歩くことは難しいと言われていましたが、今は学校に義足で通学し、レバクーゼンで水泳の選手として競技に取り組んでいます。ドイツにはカーニバルがあってハロウィーンのように衣装を身につけるんですが、彼は海賊になりたいと言うので、私は彼に木の義足を作ってあげて、それでパレードに参加しました。

伊藤 キャプテンクックみたいですね。

レーム そうです。彼はカーニバルでは主役級の人気者でした。

伊藤 それは素晴らしい! マルクス選手の優しさが伝わってきますね。

レーム 人は自分にないものばかりに目がいってしまうものです。自分にあるものへの感謝を伝えていきたいですね。

伊藤 日々、ベストを尽くす姿を見てもらうことで、子どもたちに何かを感じてもらいたいね。

 

̶ ̶レーム選手は、 15年の世界選手権で8m 40㎝という世界記録をマークし、16年のリオ五輪出場を希望されていましたね。しかし、義足の優位性がないことを証明しなくてはならず、実現しませんでした。2020年の東京でも、オリンピック出場を目指していますか。

レーム オリンピック出場は、とてもチャレンジングなことです。今でも国際陸上競技連盟とは、ずっと話し合いを続けています。リオ大会後もあらゆる調査や協議を進めてきました。ただ、重要なのは、私はパラリンピアンとして誇りを持っているということです。オリンピック出場を目指していたころ、いろんな噂が流れました。マルクスはもう、パラリンピックには興味がなくオリンピックだけに出場したいのではないかと。それは完全に間違いです。私がオリンピックに出場したいのは、パラアスリートがここまでできるということを証明したいことが一番の理由です。オリンピックは素晴らしいスポーツの祭典です。でも、パラリンピックも同様です。私たちパラアスリートは、それを体現しているのです。

伊藤 それはまったく同感ですね。

レーム 将来的なビジョンとして、オリンピックとパラリンピックはもっと近づいたらいい、と思っています。今私が夢見ているのは、オリンピックが終了する日にリレーをすること。4x100mで2人はオリンピアン、2人はパラリンピアンのミックスリレーです。これをオリンピックとパラリンピックをつなぐ新種目にできないか。さらに、オリンピックの聖火をそのままパラリンピックの聖火台に灯して開幕することができたら、と強く思っています。

伊藤 つまり、オリンピックの閉会式と、パラリンピックの開会式をつなぐということですか。それが実現したら、すごいなあ。

2018年7月に開催されたジャパンパラ競技大会。世界新を更新し、レームは気軽に大会ボランティアの学生たちとの記念撮影に応じた。競技者として愛される要因は、この気さくさにもある

レーム そうです。私は、オリンピックとパラリンピックを完全にひとつにするということはありえないと思っています。オリンピックとパラリンピックでは価値や意義が異なります。

パラリンピックとして存続することはとても重要なのです。統合することがゴールではありません。ただ、オリンピアンもパラリンピアンも「スポーツを愛する者」というところでは、同じだと思っています。だからこそ、オリンピックからパラリンピックにつなぐ、開催時期を含めた距離をもっと近くすることができればいいな、と思っているんです。もし実現したら、私はスタジアムの観客の一人として自分の夢がかなったと、涙を流すことでしょう。

伊藤 私もその時には一緒に泣きたいですね。その夢に一番近いのがマルクス選手なんです。オリンピックとパラリンピックの架け橋になれる、稀有な存在ですよ。その彼が、パラリンピアンであることを誇りに思い、すべてのパラアスリートをリスペクトすると言う。そういうマルクス選手を、私は心から誇りに思います。同じ舞台で戦う人間として、今日また心新たに、これから競技に邁進できると感じました。ありがとうございます。

レーム こちらこそ、ありがとうございます。2020年の東京パラリンピックのスタジアムで、最高のパフォーマンスを世界に見せつけましょう!


2018年7月8日、ジャパンパラ陸上競技大会の男子走り幅跳びは、跳躍種目の最後に行われた。6回目の最終試技。レームが、体を大きく後ろに反らせた体勢から助走をはじめ、ぐんぐんスピードを増していく。義足の右足で踏み切ると、体が放物線を描き、8mを大きく超えて着地した。勢いで体がそのまま砂場の枠外に転がるようにして出た。

「ウォー!」

スタンドから大歓声がはじけた。8m47㎝。日本で飛び出した3年ぶりの世界新である。

跳躍後、レームはスタンドの声援に両手を振って応えると、そのままレフェリーや記録を担当するスタッフに駆け寄り、一人ひとりに感謝を伝えていた。

「パラリンピアンであることを誇りに思い、パラアスリートが限界を超えていくことを証明したい」

伊藤、レームのように人生の途中で障がいを負い、そこからパラスポーツに取り組む人は少なくない。今ある自分の体を見つめ、磨いていく。その先に、栄光がある。

心揺さぶる珠玉の言葉の数々と、進化を遂げるパフォーマンス。パラアスリートたちの生き様が伝えてくれるメッセージは、とてつもなく大きい。


伊藤智也/いとう・ともや 1963年、三重県生まれ。

バイエル所属。T52クラス。1998年、多発性硬化症を発症し車いす生活となる。2001年に大分国際車椅子マラソンでデビュー、03年にパラ陸上の世界選手権に初出場、400m、1500m、車いすマラソンで金メダル、800mで銀メダル。パラリンピックはアテネに初出場し、北京では400m、800mで金メダル、200mで銅メダル。ロンドンでは200m、400m、800mで銀メダルを獲得し、現役を引退。2018年に復帰、ジャパンパラ競技大会では200m優勝、400m、800mで2位。

 

 

マーク・レーム/Markus Rehm 1988年、ドイツ生まれ。バイエル04所属。T64クラス。14歳の時、ウェイクボードの練習中にボートのスクリューに右足を巻き込まれ切断。2009年にパラ陸上にデビュー、初出場したロンドンパラリンピックでは7m35㎝で金メダル、4x100mリレーで銅メダル。14年、一般の陸上競技のドイツ選手権に出場し8m24㎝をマークして優勝すると、競技用義足の優位性について議論が巻き起こる。16年のリオデジャネイロパラリンピックでは8m21㎝で大会2連覇を達成。2018年8月、8m48㎝で世界記録を更新した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

取材・文/宮崎恵理

写真/吉村もと

取材協力/バイエル ホールディング株式会社