第4回 諏訪台中学校校長 清水隆彦さん

黒板には予定がびっしりと並ぶ。「校長としての仕事に加えて、 全国で講演や視察の申し込みなど日々忙しく過ごしています。」
奏功したふたつの学校改革
 それまでは荒れた状況ゆえ、教師は意識して生徒には高圧的に接していましたし、どの中学校でも怖い教師、猛者ばかりを集めて指導していたのですが、なかなか落ち着くことがないのが悩みでした。そこで私は生活指導主任となって2年目に、ふたつのことを実行に移します。
 そのひとつが『数学の朝練』です。荒れている子どもは勉強がわからないから学校が面白くないのだと感じ、部活動のように図書室に朝7時に来れば数学の指導をする、と呼びかけました。とはいえどの程度生徒たちに届いているかは半信半疑でしたが、初日には当時荒れまくっていた連中が全員顔を揃えていたんです。それから何日も授業前の朝1時間、作成したプリントに取り組ませました。忘れられないのは、中でも一番悪かった生徒が「ただのプリントじゃつまらないから『まごプリ』と名前をつけろ」というんです。私がその意味を問えば「まごころプリントだ」と。その日から私は教員時代の20年間、ずっと『まごプリ』を作り続けました。卒業生から『まごプリ』をまだ覚えていますと連絡をもらうこともあり、やってよかったと実感しますね。この経験を通じ、高圧的な指導一辺倒だった頃よりも生徒に声をかける回数も増え、生徒との距離が少し縮まっていく感覚がありました。子どもたちを落ち着かせるのはまず授業をわからせることが大事だということに気づけたのは、この経験をしたおかげです。
 もうひとつは、今振り返るとまさにキャリア教育の目覚めになった体験ですが、荒れている子どもが抱えている親への敵対心を払拭するため『保護者の職場訪問』を実施しました。親の職場を訪問して発表会をさせる取り組みは今でこそ当たり前ですが、そういった試みのなかった当時、親に対する尊敬や感謝の念がない限りは子どもが落ち着かないと信じ実施したのです。ねらい通り子どもたちには変化の兆しがあったようで、当時他校の生活指導、進路指導の先生方からは私の取り組みを発表してほしいと数多く依頼を受けました。
 このふたつの大きな経験で、勉強をわからせたり、親の仕事を見直すという体験によって荒れた学校も変わっていくんだと実感しましたね。高圧的な指導では物事が変わらないという認識は、今なお抱いている私の哲学です。


ギリシャ日本人学校への赴任
 現場で一教員として働くことに生き甲斐を感じていた私が管理職を志すきっかけとなったのは、30代で経験したギリシャ赴任で、これも大きな転機となりました。品川区で7年、大田区で7年教員を勤めた頃には、北海道や和歌山で過ごした自分の幼少時代のように、海外で心細い思いをしている子どもたちに思いをはせ、何か自分の力を発揮できないだろうかと採用試験を受けたところ、たまたま合格し、ギリシャ日本人学校への赴任が決まったんです。まさか合格するとは思わなかったので、当時は結婚して小学3年生と1年生の子どももいましたが、全く相談していませんでした。だから次の転勤先がギリシャだと告げた時には全く信じてもらえませんでしたね(笑)。しかし1月末に発表されて4月にはもう移れとのことで、その数ヵ月で転勤に備えました。私は父親が単身赴任で辛い思いをした経験から、子どもはどこへでも連れて行こうと決めていましたので、迷わず一家で移住しました。
 当時のギリシャは他の地中海沿岸同様に日本人の数が減っており、幼稚園児から中学生まで全員合わせても30名ほどでした。私は小学1年生から中学3年生までの算数、数学を教えることになります。もちろん我が子も教えることになるわけで、学校へ一緒に車で向かっても門をくぐった瞬間から子どもは私に敬語を使うのですが、これは子どもにとってはおもしろい経験になったと思います。また授業自体は日本と変わらないのですが、マンションの一角を使っているような環境でしたので、運動をする際はサッカー場を借りるために自ら下手な英語で交渉するなど、日本人学校ならではの経験も私には新鮮でした。
 日本人学校というのは、現地の企業が校舎を借り、施設を揃えて、先生のみを文部科学省から派遣するというもので、私立学校のひとつだともいえます。トップは企業の運営委員長で、校長はあくまで現場監督の立場です。この経験がよかったのは、企業経営者と一緒に話をする機会を得て、公立学校経営とは違う部分にいろいろと気づけたことです。また大使館の方やJICAなど、豊富な人材をゲストティーチャーとしてお呼びできたことで、今私が行っているか『校内ハローワーク』に繋がる経験が蓄積できました。また塾がない環境なので、日本へ戻って高校受験を迎えることに不安を抱えている生徒に対しては、授業の後に自宅で勉強会を開いて受験勉強に備えさせたりもしましたね。学ぶことへの欲求を募らせていた生徒たちなので取り組みはとても熱心で、彼らは受験も楽々突破し、今は世界で大きく羽ばたいています。この経験も、私が日本に戻って行った『夜間の寺子屋』に繋がっていますね。
 ギリシャ時代のさまざまな体験の中でも、サッカー場を下手な英語で自ら交渉し、子どもたちに提供できた時の快感がしばらく忘れられませんでした。3年後に日本に戻って学校現場に復帰しましたが、この頃には直接子どもを指導することも面白い、しかしもっと全体を見渡して子どもたちにいろいろな場面を提供できるということはさらに面白い体験だと思い至り、すぐに管理職の選考を受けました。



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