第58回
パティシエ
近藤冬子さん
2004年7月号掲載


PROFILE
パティシエ。一九五七年,ニューヨークに生まれる。一九七七年,カリフォルニア州パサデナ市立大学卒業後,渡欧。一九八〇年,ベルギー国立食品専門学校の製菓・製パン科を卒業。菓子店の老舗「ヴィタメール」(ブリュッセル),「ルノートル」(パリ)などで修業の後,帰国。一九八四年,東京・池袋「ルノートル」,代官山「レストラン・パッション」(シェフ・パティシエ)で活躍。一九九五年に洋菓子教室・注文菓子専門店『ラ・シュエット』を開業。主な著書に『おいしいデザート』(小学館),『ベルギーお菓子物語』(東京書籍)がある。

「職人の仕事は単純作業を忠実に繰り返しているだけでも専門家としてやっていけます。ところが,シェフはさらに自分の個性や指導力が問われるのです」
海外で暮らした少女時代
 父が航空会社に勤務していた関係で,私はニューヨークで生まれました。五人兄弟の三番目です。小児ぜんそくを患っていたこともあって,幼い頃はあまり活発ではありませんでした。そんな私とは対照的に,何事にも積極的な姉の後ろにいつもくっついているような感じでした。
 一歳半の時に日本に戻り,三歳から五歳まではサンフランシスコ,七歳まではメキシコで暮らしました。再び日本に戻ってきたのは小学二年生の時です。当時のメキシコには日本人の学校がなかったので,日本では言葉のハンディキャップが大きかったです。もちろんメキシコにいた時も家では日本語を話していたし,漢字やひらがなも教えてもらっていました。それでも,日本での授業になかなかついていけなかったのです。国語のテストで初めて七十点を取った時に,先生がクラスのみんなに「近藤さんが七十点を取りました」と発表なさって,とても恥ずかしかったことを覚えています(笑)。
 お菓子作りに興味を覚えたのは,日本で一緒に住んでいた祖母の影響です。祖母は明治生まれのとても厳格な人で,なんでもきちんと計量しながらパウンドケーキやシュークリームなどを作ってくれました。私は横から手伝いながら,そんな祖母の姿をいつも興味津々で見ていたのです。


一番好きなことを職業にしたい
 中学二年生の時に父の仕事の関係で,再びアメリカで暮らすことになりました。それ以来,カリフォルニアのパサデナという街で二十歳になるまで過ごしました。
 アメリカにはいろいろな人種がいて,常に「自分とは何者なのか」「何ができるのか」というアイデンティティーを問われることが多かったです。特にハイスクールの高学年になると,自分は卒業後に何をするのかを決めなくてはなりません。そういう時に学校で相談に乗ってくれるのは,先生ではなくてカウンセラーでした。
 パティシエになろうと思ったのはカレッジに入ってからです。一時は文化人類学や美術史にとても興味を持ちました。でも,私はとても学者にはなれそうもないと考えて,途中で断念しました。
 そこから自分は結局何をやりたいのだろうと考えてみました。アートも少しかじったのですが,コピーやまねごとはできても何かを創作するのはできないと自覚したのです。ただ,何かを作るという行為が好きなことはわかりました。そこで,自分はお菓子を作るのが一番好きだから,それを職業にしようと思ったのです。
 また,ヨーロッパに行きたいという気持ちもありました。十八歳の時にスイスのバーゼルで三ヶ月間ホームステイして,ヨーロッパに対する憧れが強くなったのです。アメリカはモダンですが,やはり広すぎて少々味気ないとも言えます。その点,ヨーロッパは石畳一つにも歴史の重みを感じました。


ベルギーの製菓学校に入学
 当時,ヨーロッパの製菓学校の資料が少なかったので,情報を得るのにとても苦労しました。しかも製菓学校のほとんどが,プロのための短期コースや十代を対象としたコースばかりでした。私のように,二十歳を越えて一から学べる学校は非常に限られていたのです。
 そこで私はフランスに渡って,ディジョンの大学の語学学校や,パリの一般家庭でオペア(無料で住み込み,子守や家事を行う)をしてフランス語を一年学びました。しかし残念ながらパリ市内のセリア(食品専門学校)には年齢制限のために入学することはできませんでした。
 そこで,社会人向けの夜間コースが設けられていたベルギーのブリュッセルにあるセリアに入ることにしました。その学校に入ったおかげで,私は研修先の店や下宿先を紹介してもらうことができたのです。学校は製菓・製パン科以外にも,ホテル科や薬品科などがあるような,かなり大きな学校でした。私のいた夜間コースは生徒がみんな社会人ばかりです。生徒は全部で十人前後でした。
 授業は夕方の五時から夜の十時まででした。冬はその時間になると気温零度という日も珍しくありません。空はいつも灰色の雲で覆われていて,本当に寒かったです。
 最初は自分の憧れの世界に入ったという気持ちでいっぱいでした。でも,学校から紹介された菓子店で昼間働いてプロの厳しさに触れるうちに,私の中に次第にプロ意識が芽生えてきたのです。


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