第47回 数学者 ピーター・フランクルさん

「ジャグリングはリズム感があった方が上達は早いのですが,僕はリズム感が基本的には欠如している方なので非常に苦労しました」
パリ留学と亡命
 一九七五年にパリに国費留学して初めて西側諸国を目にしたのですが,一番印象的だったのは,自由でした。特に,旅行の自由です。たとえば,この週末はアムステルダム,次の週末はロンドン,というように学生でも気軽に旅をしていて,泊まるところもユースホステルだからすごく安いし,各国のいろいろな美術館を回ることもできるというのはとても新鮮でした。ですが,共産主義国家に属する僕にはその自由が許されませんでした。どこか他の国へ行こうと思ったらハンガリー大使館の依頼書がないとビザがもらえなかったのです。
 「クリスマスにはロンドンに住んでいる叔父と叔母のところへ行きたい」と大使館に頼んでも,「あなたはフランスに勉強しに来たんでしょ」と断られました。クリスマスは大学が二週間休みなので学校に行っても開いていません,と訴えても許可してもらえませんでした。せめて留学が終わって帰国する時は列車でスイスを経由して帰りたかったのですが,それも許されませんでした。こうした自由についての出来事が,後の亡命の一番の大きな理由でした。
 お金がないから行けないというのとは別です。僕はハンガリーにいる時,たとえば国際会議に出席したり,外国人に会ったりした時も,別に自分のことを不自由だと感じたことはありませんでした。でも,フランスで同じ学生会館にいる,いつでもどこでも遊びに行ける人たちと比べると結局,不自由だと気づいたのです。
 一九七九年にフランスに亡命しました。亡命先にフランスを選んだのは,留学していた時に数学の論文をいくつも書いていたし,親しくなった研究者たちの影響でフランスでも研究職に就くことができたからです。数学者のいいところは,国が変わっても研究には全く影響がなく,どこへ行っても同じ研究ができるということです。それが数学の素晴らしいところだと今でも思っています。


数学や理科が嫌いな子供たちへ
 今の日本こそ数学や理科の力が求められていると理解するために,社会の変化に気づいてほしいです。
 今までの日本はみんな一所懸命に仕事をすれば,だいたい同じレベルの生活ができたという意識がありましたが,今では終身雇用も少なくなって,右肩上がりの経済成長も基本的には終わりました。さらには貧富の差も広がってきています。これだけ景気が悪いのに,億万長者の数が実際には増えているとニュースでは報じられています。
 これからの時代は今まで以上に自分次第というところがあります。自分の人生をもっと真剣に考えなければなりません。いろんな面から客観的に自分を見つめて,論理的に考え,人生の設計図を作ってみて,それに沿って行動をとる。これはどちらかというと文系よりも理系的な活動で,しかも技術大国日本でこれからも求められる人材の多くは,理数系の高い専門知識を持つ人々です。
 今,勉強をせずに自由に過ごしている学生の多くは,「別に微分積分や三次方程式の公式を覚えたからといってそんなに人生にプラスになるということもない」と考えているでしょう。
 でも,数学や理科をきちんと学ぶことを通して,かなり複雑でいろんな要素が混じった人生を正しく分析して,最適な戦略を立てて生きていく可能性が高まるのです。
 だから,子供たちにはそうしたことも理解して,もっと数学や理科を学んでほしいと願っています。

(構成・桑田博之/写真提供・富蘭平太事務所)
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