第41回 文学博士 市村尚久さん

コロンビア大学で腰を据えて研究したことは,大きな成果がありました。今度は気軽に遊び心もって訪ねたいですね。
真の知性とは?
 私の専門はアメリカの教育思想(史)です。なぜアメリカに注目したかといえば,アメリカは教育というものを非常に重要視してきた国だからです。新興の国であるアメリカは,教育を建国と国力の基礎にすえてきました。
 一方,戦後日本はまずは経済優先という時代が続きましたが,最近やっと教育が大切といわれるようになってきたところです。主要新聞でも以前は片隅にしか載らなかった教育関係記事がいまでは何面にもわたって特集されていたり,一面にも政治問題として取り上げられたりするようになりましたね。
 アメリカでは世界に先がけて教育改革があいついで起こっています。昔からのアメリカの教育の特徴でしょう,教育改革を理念倒れにしないでどんどん新しい試みを実践していくのです。連邦政府が主導するのではなく,地域のコミュニティと教育委員会が教育を自分の問題として積極的に取り組んでいるのです。教育委員会が運営するのではなく,地域住民が地域の実情にあった学校を運営していくといったチャータースクールの実践はその通例です。体験学習が重視される最新の学校改革のモデルです。
「知」というものには「経験」が欠かせないと考えています。本当の人の知性には,経験とモラル(徳性)が含まれております。論理の積み重ねだけではノーベル賞にはつながりません。その人の生きかたや経験からのセンスが重要なのです。
「総合的な学習」は「知の総合化」を目指すものですが,教科の横断論理だけでは物足りないですね。「知の総合化」をもう少し大きな視野で捉えて欲しいと思います。
 たとえば未成熟な子どもや社会的弱者に対してのケア(リング)もまた知の構成要素として視野に入れるべきです。「道徳的に助けましょう」と教えるのではなく,交わることのない他者であっても,もしかして嫌悪を感じる相手であっても,見かえりを求めず,人間として当然の義務として手を差し伸べられるなら,それは身についた知徳含一の「実践知」といえるでしょう。
 これからの高齢化社会,いよいよ介護の仕事も増えていくでしょう。若い男性がおばあちゃんの入浴介助を仕事にすることも自然のことになってくるでしょうが,「他に仕事がないから」「ビジネスチャンスになる分野だから」ということではなく,自然なサイクルの中で自分のやっていることの本質を見つめられる知性を持って欲しいですね。

退職,そしてこれから
 私は今年古希を迎えます。三十年以上続けてきた大学での研究生活も,一月二十五日が最終講義となりました。最終講義は,これまでのことを振り返るのではなく,これまでの道のりを省察しながら,今見えてきた未来への提言のつもりです。
 一時期,高校の教壇に立ったことがあります。大学院生のとき,非常勤でしたが浦安にあった国府台高校の分校の定時制夜間高校で英語を教えたのです。今の子どもたちは浦安といえばディズニーランドでしょうが,そのころの浦安は山本周五郎がかつて書いた漁師町の面影を色濃くのこす漁村でした。ウォーターフロントとして開発されている今の浦安とは隔世の感がありますね。
 定時制ですから生徒たちは自分より年上の子もいるんですよ。工場の油のにおいをさせてやってくる子や,仕事が忙しくて休みがちな子。「そんなに休んじゃだめだよ」と注意すると「女房がお産で……」なんて言われたり,喫煙を注意したら「僕,二十歳すぎています」と言われたり(笑)。生活を背負いながら,皆ひたむきなんですよ。自分自身で「学ぶ」ことを選択したからでしょう。「子」は私の方でした(笑)。
 コロンビア大学で研究していた昭和五十五年から五十六年,ちょうどそのころコロンビア大学は教育学の黄金時代でした。多くの著名な先生方が研究を深められ学際的な注目を浴びていました。その先生方との出会いは私の生涯に学問的にも人間的にもはかりしれない支援をいただきました。その後出会った先生方の著作を翻訳しましたが,今では当の恩師ともいうべき先生方はほとんどリタイヤされています。私もまた早稲田大学をリタイヤしようとしています。
 私は定年退職を制度ではなく,自然の摂理として受け止めております。「そしてこれから」ですか,先約のあるデューイの訳書『経験と教育』の脱稿にはまず努めなければなりません。すぐには休めそうにありませんね。
(構成・写真/石原礼子)
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