第25回 講談師 神田 紅さん

人生は出会いがすべて。人と出会うことで新しい人生のステージに入っていけました
講談には無限の広がりがある
 古典はもとよりさまざまなスタイルの講談にこれまで取り組んできました。芝居仕立ての作品もあれば,ミュージカル仕立ての作品もあります。語る内容も芥川龍之介や泉鏡花,椎名誠などの小説を自分なりに解釈した文芸講談もあれば,夢野久作の小説にヒントを得たホラー講談もある。また,科学技術の発展や宇宙の神秘を描いたサイエンス講談というものもやりました(笑)。ありとあらゆることが講談では可能なんです。私は初めて師匠の講談を聞いたとき,この講談という話芸には無限の広がりがあると直感でひらめいたんですが,やってみて実際にそのとおりでしたね。
 ただ,これもすべては師匠のおかげなんです。それまでの講談といえば,講釈台に座ってただ語るだけでした。もちろん語りだけでお客さんに情景を想像させる芸というのはものすごい芸ですし,そうしたほうがいい作品もあります。しかし,照明や音響を使った動きのある講談のほうがより効果的な作品もあるんです。私は,そう自負してやりたい放題してきたわけですが,実は師匠が陰で私を守っていてくれたんです。あとで聞いた話ですが,講談界には私のスタイルに大変な反発があったそうなんです。「洋服で立ってやるとは何だ」「靴を履いたまま神聖な舞台に上がってタップを踊るとは言語道断」とかものすごい抗議があったそうです。それを師匠はできるだけ自分のところで止めてくださり,私の耳には極力入れないようにしてくれていたんです。
 それどころか「今日の講談は面白かった。次はいったい何をやってくれるのかね」なんて,私をいつも励ましてくれたんです。ある時には「君はね,池に波紋を起こす石の役割なんだよ。誰かが石にならなきゃこの世界は活性化しないんだ」ともおっしゃってくれました。おかげさまでこれは私ひとりの力ではもちろんありませんが,現在では入門者は女性が圧倒的に多くなりました。「おい,男にも講談師がいるんだね」と逆にお客さまから不思議がられる時代になったと,男性の講談師がこぼしていました(笑)。

名前だけで通用する人間になりたい年
 来年,五十歳を迎えるのを機に,いままで創りあげた作品をとりあえず一回封印して,違う発想でもう一度最初から講談というものに取り組もうと考えています。五十歳には五十歳としての感じ方があるはずですから,そこを深く掘り下げていきたいと思っています。まあ,師匠からは「七十歳で講談師はやっと一人前になれるんだ」という話を聞いていますから,それまでは小さく固まらないようにしようと。講談のみならず,いろんな分野に挑戦し続けていきたいですね。私を紹介する文章に「講談師・神田紅」という肩書きが入るようじゃ半人前なんです。神田紅という名前だけで通用するような人間になることが究極の目標です。まだまだ先は遠いですが(笑)。
 講談師を目指したいという子どもたちへのアドバイスですが,「自分がふだん感じている思いを多くの人に語ってみたい」という人はぜひチャレンジしてください。人に感動を与えるすばらしい仕事だと思います。ただ単にテレビに出たいとか,何でもいいから有名になりたいという人は別の道を探してください。伝えたいものが何もない人がこの世界に入ってきても無意味ですし,本人もむなしいだけだと思います。講談はテクニックだけではありません。三十分間語っている間には,その講談師がこれまでにどんな人生を歩んできたかが丸ごとお客様にさらけ出されてしまうんです。「講釈師,見てきたような嘘を言い」なんて言葉がありますが,実は嘘がつけない仕事なんです(笑)。魅力のない人間は魅力のある芸人にはなれませんし,感動しない人間は人に感動も与えられません。
 これは学校の先生という職業にもあてはまると思います。自分を抑えてまで子どもたちに好かれようなんてしても無駄です。子どもは敏感ですからそんなテクニックはすぐに見抜いてしまいます。好かれようが嫌われようが,自分らしさを発揮している先生は魅力的なんです。私自身,これまでの人生を振り返ると,大嫌いだけれど魅力的な先生がたくさんいましたもの(笑)。
(構成・写真/寺内英一)
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