第16回 牧師 金沢泰裕さん

夢は共同生活をしながら人生と職業が学べる学校をつくることです
キリスト教徒だった父親の死
 すべてがいやになり,逃げるように女房子どもを連れて東京に向かいました。東京ではまじめに働こうという気持ちをもっていましたが,就職情報誌を見ても一日働いて一万円ちょっとの金にしかならない。アホらしくて働けないわけです。十年以上のヤクザ生活で金銭感覚が麻痺していたんですね。高級ホテルに泊まってはレストランで豪勢な食事ばかりしていた。持ってきた金もあっと言う間に減っていくわけです。それでもなけなしの金で覚醒剤を仕入れては腕に注射針を打っていました。  ある日,致死量を越える量の覚醒剤を打ってしまったんです。生死の境をさまよいながらもなんとか死なずに済んだんですが,そのとき「このままやったらあかん。こんなことしとったら廃人になってしまう」と持っていた覚醒剤を全部捨て,注射器も全部折って捨てました。
 東京で焼き肉店を経営していたおじさんに頼み込んで働き始めました。一カ月汗水流して働いて十八万円の給料です。初めての給料を女房に手渡すと,女房は心から喜んでくれました。大阪の親父にも「いままで心配ばかりかけてごめん。もう悪事は絶対にせえへん。これからは親孝行するからな。これからのおれを見てくれ」と報告すると,親父は電話口で「うん,うん」とうれし泣きしてくれました。なんかものすごい心の中に平安というか満足感が得られましたね。これまで何千万というお金を酒や女やカラオケに使ってきましたが,こんなに心の中に充足感がわいたことはありませんでした。
 その数日後,親父が倒れたとの連絡が届きました。大阪の病院の集中治療室に駆け込んだときには意識不明の重態でした。「なんでや。なんで親父みたいなええ人間がこんな目にあうねん。親父やのうておれが死ぬべきや」と私は泣き叫びました。親父は敬虔なクリスチャンでしたから。教会から牧師さんがお見えになり,親父の枕元で祈りを捧げ始めました。
 そのときです。意識不明の親父が胸元で腕を合わせたんです。目からは涙も流し始めた。息子が暴走族になり,ヤクザになり,覚醒剤中毒になり,そんな私を改心させようと毎日毎日神に祈りを捧げていた親父です。私に対する最後の祈りのようでもあり,私は絶句して言葉も出ませんでした。
 私は中学に入って以来,足を向けたことのない,昔,日曜日ごとに親父と一緒に通った教会に向かいました。扉を開けると,まるでなつかしいわが家に帰ってきたような感じを受けたのです。十字架に向かい,「おれはとことん堕ちた人間です。イレズミも入れてます。小指もありません。こんな人間でも,神様許してくれますか」といつしか祈りを捧げていました。


親分はイエス様,行動派牧師の誕生
 五年前に自宅を改装して教会をつくりました。私のそれまでの経歴がマスコミに報道され,さまざまな人々が相談に訪れるようになりました。元暴走族や薬物中毒患者,不登校や拒食症,援助交際やイジメ,家庭内暴力とありとあらゆる問題を抱えた子どもたちと,その親たちです。まるで昔の私と,死んだ親父を見ているようです。
 こんな私でも力になれるならばと,日々,微力ながらも相談にのっています。子どもたちだけではなく,閉塞状況に陥りがちな親たちのためにも「親の会」をつくりました。最近,学校や教育委員会に呼ばれて講演する機会も増えましたが,私が力説することはひとつ,「人生いつでもやり直せる」ということです。「もう遅い」とか,「あいつは絶対に変わらない」なんてことはないんです。学校の先生方には,迷える子どもたちこそ,時間と労力をかけて救いの手を差し伸べていってくださることを望みますね。
 私の息子の話もさせてください。私がヤクザの世界にいたものですから,抗争や借金の問題もあり,小学校だけで五,六回転校させているわけです。特に小学校の後半はほとんど学校には行かせられなかった。中学三年生になったとき,ぼくに初めて食ってかかってきたんです。「おとんのおかげで学校の勉強についていかれへん。こんな成績やったら高校行かれへん」と。
 昔の私でしたら「親のせいにすな」とどついたかもしれません。しかし,「ほんまや。わしのせいで迷惑かけたなあ。許してくれなあ」と息子に泣いてあやまった。息子も「おとん,こんなことゆうてごめんなあ」と涙ながらに言ってくれたんです。あのとき息子と心から和解できたと思いました。
 それからの息子は立派でした。猛勉強を始めたんです。中学一年の勉強から始めて,二年,三年と進み,見事高校に入ることができました。いまでは「大学に進んで牧師になる」とまで言ってくれます。高校に入ってからも無遅刻無欠勤をつづけている。子どもは親の背中を見て育つといいますが,人生やり直して本当によかったと思います。聖書に書いてあるように,愛こそが人間を救うんですね。ハレルヤ!
(構成・写真/寺内英一)
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