第16回 牧師
金沢泰裕さん
2001年1月号掲載


PROFILE
かなざわ・やすひろ 1964年大阪府出身。在日韓国人三世。16歳で暴走族に入り高校中退。18歳のときヤクザの世界に入る。バクチ,抗争,覚醒剤の日々に疲れ果て,28歳でヤクザをやめる。父親の病気をきっかけにクリスチャンとなり生き方を変える。生駒聖書学院を卒業後,97年大阪市生野区に自宅を改装し弟子教会を設立。その後も神戸改革派神学校で学びつつ,非行少年たちの更正に尽力し,その活動がマスコミで数多く取り上げられる。生き方を映画化した「親分はイエス様」(渡瀬恒彦主演)が近日全国一斉に封切られる。著書に「人生いつでもやり直せる」(小学館)「イレズミ牧師とツッパリ少年達」(集英社)などがある。

ヤクザの世界はアメとムチの両極端なんです
転落は中学から始まった
 神様と出会い牧師になる前の私は,罪の中にどっぷりと浸かっていました。罪を罪とも思わない,そして悪を悪とも思わない,そのような生き方をしていたわけです。生き方をしていたというよりも,そのような生き方しかできなかったわけです。私の転落は中学二年生のときから始まりました。小学生まではどこにでもいる普通の子どもだったんです。
 誰にでも経験があると思いますが,思春期に入り,女の子のことが気になりだし,おしゃれもしたくなり,派手な格好をしては,夜遅くまで繁華街のゲームセンターや公園にたむろしてケンカやナンパを繰り返すようになりました。当然,勉強なんてまったくしない。ただ,現在の中学生のように同級生をいじめたり,先生を殴ったりというようなことはなかった。先生からはむしろかわいがってもらっていたほうですね。
 ぎりぎり高校には入ることができましたが,中学時代の遊び癖は直りません。すぐに不良仲間に誘われるままに暴走族に入り,特攻服に身を包んでは大阪市内を爆音を撒き散らしながら走り回るようになった。ただ走り回るだけではありません。相手かまわずケンカをし,女の子をナンパしては部屋に連れ込み,シンナー片手に乱痴気騒ぎの毎日。そんなわけで高校も二年で中退に追い込まれてしまったわけです。
 これで人間,反省するかといえばむしろ逆です。毎日が日曜日ですからね。もう誰も私にブレーキをかける人間がいなくなったわけです。工場に忍び込んではシンナーを一斗缶ごと盗み,バイクのガソリンはその辺に駐車している車から抜き取る,まさにやりたい放題でした。当然,警察にもお世話になる。鑑別所にも入れられました。鑑別所に入れられれば反省するかといえば,これが全然反省しないわけなんです。「おれは鑑別所に入ったぞ。つぎは少年院にいったる」という気持ちしかないわけなんです。というのはやっぱり暴走族に入って,鑑別所,少年院に入ったら,仲間内で箔が付くわけです。むしろ勲章みたいなものですよ。
 鑑別所に入って一カ月が過ぎ,少年審判の日がきました。当然こちらは目の前の裁判官に向かって神妙に反省の言葉を述べるわけです。「もう二度と悪いことはいたしません。社会復帰した暁には暴走族を脱退し,仕事もちゃんとしますからここから出してください」と。もちろんそんなこと爪の先ほども思っていません。「保護観察処分に処する」という裁判官の言葉を聞いたときには「ラッキー,これで出られる。すぐにもシンナーも吸える。バイクも乗れる。女の子とも遊べるぞ」と,そんな気持ちしかなかったですね。
 審判を終えて鑑別所の門を出ると,外には暴走族の仲間がすでに待っている。親父の手を無理矢理振りほどいては仲間の車に乗り込み,すぐに車内でシンナーを吸い始める。そんなことの繰り返しでした。


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