特集・記事
乾ルカ

『あの日にかえりたい』刊行によせて 私にとっての『あの日』

共有する
関連ワード

 ようやく、という思いである。
 今回刊行となる拙作『あの日にかえりたい』には、ジェイノベルに掲載していただいた五篇と書き下ろし一篇の、計六篇が収録される。私自身にとっては四冊目の単行本になる。
 ジェイ・ノベルに一作目が掲載されたのが、もう一昨年の話であるから、時間はかかっている部類であろう。すらすらと一発でOKが出るものを書き上げられない実力のなさは自分でも情けない限りだ。
 収録されている短篇は、いずれも北海道が舞台となっている。なおかつ『広い意味でのタイムトラベル的な要素』が加味されている。
 なぜそういうことになったかというと、ジェイノベルに掲載していただいた一作目が、たまたまそのようなテイストを含んだ内容だったからである。いずれ単行本化するときに(振り返るに、どこの馬の骨ともつかぬ新人に、最初から書籍化を想定してくださるなど、誠にありがたいお話である)、各作品に共通する設定的なものがあったほうがいい、と担当編集者からアドバイスされたのだ。
 なるほど、それもそのとおりだと納得したものの、この縛りは非才な私を非常に苦しめた。
 一作一作大切に書いてはきたが、思い返すに「楽しんで書けた」ものは一つもない。
 どれも呻吟の末に誕生した。
 しかし、これこそが当然の形なのだろうとも思う。才能にあふれる方ならともかく、とことん凡人の私が、楽に小説を書けるわけはないのだ。
 一作取り組むごとに、どうしてこのような茨の道に分け入ってしまったのか、とおのれの無謀さに頭を抱えた。そして、キーボードを叩く指が止まるたびに、せめて夢の中でいいアイディアが浮かばないかと祈りながらベッドにもぐりこむたびに、もんもんと考えた。
 私にとっての『あの日』とは、いったいどの日になるだろうか――。

 小学五年生の『あの日』まで、私は獣医になりたかった。幼稚園のころ動物好きな私に、両親が「動物が好きなら獣医という仕事がある」と言い、なにも分からずその気になった。『あの日』の朝、どういうことか我が家の庭で非常に肥えたドブネズミが死んでいた。それは目をつぶり、軽く口を開け、門歯を見せて横たわっていた。誰が処分するか。お鉢は私に回ってきた。「獣医になりたいのだったら、それくらいはできないと」ネズミが大の苦手な母はそう言い、私に割り箸を渡した。死骸をそれでつまんでビニール袋に入れて捨てろ、ということだった。
 箸でつまむには、ネズミのサイズは大きかった。それでも無理をして試みると、箸からは死骸のほどよく硬直した感触が伝わってきた。小さな耳、小さな足、長い尾。気持ち悪くて、たったそれだけで獣医は無理だと悟った(そこで悟らずとも、いずれ成績が引導を渡しただろうが)。
 獣医の次は漫画家になりたくなった。単純にこれも漫画が好きだったからである。大っぴらに口にしたことはなかったが、この密かな野望は、実は成人してからも持ち続けていた。一度だけ投稿したこともある。漫画を描いて賞に出してみようと決めた『あの日』、自意識過剰な私は、ペン先やその他の必要道具などを知り合いに出くわしそうな市内ではどうしても買えなくて、わざわざ旭川まで足を延ばして購入した。なんとか一作仕上げ、結果発表号の雑誌を買って家に帰り、いさんで該当のページをチェックして突きつけられた事実は、「あんたのは箸にも棒にもかかりませんでした」という冷徹なものだった。小説でいえば一次選考落ちである。私はその一回で見切って漫画家を諦めた。
 官公庁の臨時職員を任期満了で退職し、なかなか次の職に就けず、かといって危機感もなげに(気にしていないということはなかったのだが)ぶらぶらしていた私があまりに情けなかったのだろう、ある日母が呆れたように、こう口にした。
 「あんた、そんなに暇なら小説でも書いたらどうなの」
 漫画家にあこがれたほどである、頭の中でストーリーを妄想するのは大好きだった。高校時代『忘れられない人』という作文課題を出されたときは、一から十まで創作で書いて提出した。そういう私を母は知っていたのだ。
 『あの日』、私は街の文房具屋で二十本セットのつづり紐を買った。小説を投稿するためのものだ。
 不思議なことに、ネズミの死骸一匹や、たった一度の悪い結果でさじを投げた獣医や漫画と異なり、小説は一次選考で落選しても諦める気にはならなかった。なんでもすぐ投げ出しがちな性格であるのに、我ながらよく粘ったものだ。
 ただ、投稿作を書いているときは、先の見えない不安もあったが、楽しかった。
 思いついたストーリーを頭の中で肉付けする。生まれた登場人物たちを好きに会話させてみる。書きながら、今度も駄目かもしれないと思いつつも、もしかしたら、とほのかな期待を抱く。
 十年近くそんなことを続け、ようやく新人賞をいただくに至り、やっとのことで新しいスタートラインに立てたと思ったら――書くことは苦しみにかわった。

 最後の書き下ろしがまったくもってうまく進まず、悩みに悩んだ今年の一月から三月初めくらいまで、私は自分の人生の中にいくつかある『あの日』のことをひたすら考えていた。今までの人生の中の様々な『あの日』に、もしも戻れるなら、私はどうするだろうか、と。
 獣医を諦めた『あの日』に戻れたら、子どもの自分に「そんなことでへこたれていないで、勉強しろ。特に英語を(英語が苦手で、最後まで受験の足を引っ張ったのである)」と言ってみたい。
 わざわざ旭川まで行って漫画を描く道具を買った『あの日』の私には、「そんなことしたって、あんたは一回の落選で諦める程度の覚悟しかないよ」と教えてやりたい。
 そして、小説を綴じる黒紐を買った『あの日』にかえることができたら。
 私は「運よく受賞したって、あとはただただ辛いだけだ」と告げるだろうか。
 告げられた私は、書くことを止めるだろうか。

 今回出していただく単行本に収録された六篇の小説で、私はそれぞれの登場人物の『あの日』『あのとき』を書いたつもりだ。どんな人生にも必ず分岐点となる瞬間が存在するように思う。運命的な避けることのできない『あの日』もあれば、ほんの僅かなタイミングの違いでその後が揺らぐ『あのとき』もあるだろう。
そのポイントにかえることができたら。いくことがかなうなら――。
 もしも拙作を手にとって読んでくださる方がいるとするならば、ほんの少しでもいい、その方の『あの日』『あのとき』に対する思いに寄り添えたらと願う。

 ところで、つづり紐を買った『あの日』に戻ることができ、書くことは苦しみにかわると教えられたら、私は投稿を止めるだろうか?
 確信はある。私は止めない。結局書き続けただろう。
 そしていつか、この短篇集を書きながら苦しんでいた日々を『あの日』として思い返す未来もあるように思う。「失踪したい」などと弱音を吐いていたけれど、それでもあのころは良かったと懐かしく振り返る、そんな未来が。

※本特集は月刊ジェイ・ノベル2010年6月号の掲載記事を転載したものです。

【著者プロフィール】

乾ルカ(いぬい・るか)
1970年札幌市生まれ。2006年「夏光」で第86回オール讀物新人賞を受賞し、翌年同作を収録した短編集『夏光』で単行本デビュー。ほかの著書にホラー長編『プロメテウスの涙』、連作短編集『メグル』がある。