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村木嵐<5月の新刊によせて>『多助の女 盗賊火狐捕物控』 いい人ってなんだろう

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村木嵐(むらき・らん)
1967年京都市生まれ。会社勤務を経て1995年より司馬遼太郎家のお手伝いさんとなり、現在も夫人である福田みどり氏の個人秘書を務める。2010年『マルガリータ』で第17回松本清張賞を受賞。ほか『遠い勝鬨』『船を待つ日』がある。
ジェイ・ノベルの編集長S氏は彫りの深い小顔で、長い睫毛を翳らせて優しげに笑う。三年前に初めて会った私は、いい人だろうなと直感で思った。エッセイを書かせてもらった上に短編まで声をかけてもらったので、直感は確信となり、これはがんばるしかないと奮起したのが『多助の女──盗賊火狐捕物控』全六話だ。

もう二年ほど経つのでよく覚えていないが、そのときは確か、自分はそういえば捕物帳は書けるのだろうかと考えた気がする。二時間サスペンスを観ても最後まで犯人が分からないタイプなので、推理ものは本来苦手。だが時代小説の王道は剣豪や江戸町奉行所、などと思い込むと、むくむくとやりたくなってきた。派手な事件で美女が殺され、あわや迷宮入りの謎を同心Aが解き明かす。悪魔のようなニヒルな犯人Bはじわじわと追いつめられ、ついにAの剣が一閃してBをバッサリ──

という筋だてで書こうとしたが、自分が竹刀を握ったこともないのでは、さすがにリアリティーに欠ける。犯人は疾風のような盗賊という設定にしたかったが、忍び込ませることじたい密室ミステリーの範疇(?)なので至難の業だ。

それでも自分がやるならこれしかない、という手で押し込ませて美女を殺させたが、主人公と犯人が剣で正面対決されてはこっちが困る。となれば犯人には、するりと逃げてもらうしかない──

こうしてできた苦心の『多助』、悪い奴は生き延びるからなと一人でしみじみしていたら、一話で本にするつもりですかとS氏に言われた。ええっ、本にしてもらえるのと私は嬉しくなって、一冊になるまで何が何でも犯人を逃がそうと心に決めた。

二話目では、さすがにまだ捕まるなよ犯人、という作者の気合いからか、同心は犯人に迫れずに終始した。だが主人公が同心(=刑事)のくせにあまり無能でも困るので、事件の核心にだけは触れさせることにした。

とはいえ推理ができない私は早々と犯人の逃げ道に詰まってしまった。作者の浅慮で犯人は主人公よりカッコよく造形されているので、今さら無様に捕まるわけにもいかない。

もうこれは犯人が死ぬしかない、と考えてS氏に見せたところ、あまりにも犯人があっけなく死んで仰天したと返事が来た。AとBはしっかり向き合うべきだ、あの謎やこの謎の解決はどうしますと、耳の痛い指摘も受けた。

もはや犯人には死ぬ道も残されていない。しのごの言わずに、知らない間に自分で発生させた伏線を回収しなければ──

犯人ではなく自分が死ぬんじゃないかと思いつつ軌道修正して、三話目ではとにかく一つ、大きな伏線を回収した。為せば成るとしみじみしたいところだったが、さて次はどうなるのか。三回も逃げ切った犯人は俄然、勢いを増している。ここまで同心(刑事)をからかって、さすがにこのままで済むのはあんまりだ。

しかしまずは伏線を回収、というより矛盾を解消しなければならない。そもそもどうしてこんなことをしたんだ犯人、という作者の魂の叫びが届いたのか、同心Aは意外なところから事件を包み直してくれた(これが読者にとっても意外だったら本当に嬉しい)。

こうして自分でも思いがけない四話目が誕生した。主人公のスタンスは最初から直球ストレートだが、犯人は周囲と関わることで少しずつ変化している。悪の権化だったはずの犯人が、どことなくいい人に思えてきたのもこの頃だ。

もちろん編集長S氏はずっといい人のまま変わらない。四話目ができたときも、事件の裏にこんなからくりがあったとは! と喜んでくれたし(?)、このまま一気に全面対決に持っていきましょうと、こっちの冷や汗が出るような激励ももらった。

だがいい人というのは常にシビアにものを見る。いい人になってきた犯人に私がすっかり感情移入して、とんとんと五話から最終話へと書き進んでいると、「共感できませんね」と痛烈な一言を浴びせた。こっちとしては「え、なんで?」だったが、もとはと言えば一話の『多助』がここまで来たのもS氏のおかげだ。絶対、S氏に突き放されたまま終わるわけにはいかない。きっとどこかに、作者も知らない別の結末が隠されている──

こうして紆余曲折の果てに『多助』が完成してみると、初めての連作短編だったこともあって心底しみじみした。もっと掘り返してみたかった箇所もあるが、何が埋まっているかよく分からないので、このままでいいとも思った。

それにしみじみしていたのも束の間、新たな問題が出来した。時代ものの宿命というか、作者Mだけが背負った因果というか、『多助』で使った重要な、他で置きかえられない頻出の小道具が、その時代にはまだなかったかもしれない!?という疑惑が浮上したのだ。

そうなると存在する時代まで『多助』を下げるしかない。だとすれば町火消の縄張に酒造のシーズン、奉行所の位置から御法度の中味まで、全部狂うかもしれないと血の気が引いた。推理だの全面対決だの、えらそうなことを言ってる場合じゃない。

とりあえず時代を下げるとしたら何年分かと、史料を引っくり返してみたが分からない。ああ哀れ『多助』は発売延期、と半泣きになって某博物館に質問したところ(このさいハッキリ書くと、日銀の貨幣博物館)、大丈夫その時代は余裕で流通していましたよと答えてくれた。一週間前、これでようやく人心地ついた。

ついにゴールだ、さあしみじみするぞと思った矢先、今度は『多助』についてエッセイを書くことになった。

やっぱりS氏はいい人だとしみじみモードに入りかけたところが、これがまた嘘みたいに枚数が長い。いい人というのはつくづく、こっちの来し方を振り返らせるものなのだ。私はしみじみとつくづくが半分ずつになって、『多助』が誕生するまでの長い道のりを思い返してみた。 今回S氏がいい人だと連発しているのは、なにも載せてもらったから感謝の辞を縷々述べているわけではない。『多助』を書いているあいだ、いい人ってなんだろう、どういう人がいい人だろう、人の善悪って何だろう、とずっと考えていたからだ。

『多助』ができあがって改めて数えてみたら、中で八人も死んでいた。しかもそのうち一人は、どうしても登場人物の誰からも泣いてもらうようにできなかった。作者の力不足と言われたらそれまでだが、案外いちばん大きな伏線(矛盾)の回収(解消)ができていないのは、そこなんじゃないかなあと思ってしまった。

ああこの回収だけはしたかったと、今(4月1日午前3時28分)になってずいぶん後悔しているが、日付が日付なだけに、明日になったらもう違うことを考えているかもしれない。やっぱり自分はシビアで真摯ないい人にはなりきれないと、つくづく思う。せめていつかはいい作家になりたいと、しみじみ……。

などと考えていたら、長かったはずの枚数が足りなくなってきた。この裏話のエッセイを読んでくれた人が、ぜひオモテ話(?)の『多助』も読んでくれるといいなと思う。そして同心Aや犯人Bのことを好きになってもらえたら感激だ。最後に一言、編集長と作者のイニシャルはただのたまたまです。



※本エッセイは月刊ジェイ・ノベル2013年6月号の掲載記事を転載したものです。