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  3度目のスタートライン(パラトライアスリート:土田和歌子)

3度目のスタートライン(パラトライアスリート:土田和歌子)

土田が初出場したパラリンピックは、1994年リレハンメル冬季大会だ。スレッジと呼ばれるソリを使用するアイススレッジスピードレースの選手だった。4年後の長野大会では金2個、銀2個と躍進し、日本のメダルラッシュに貢献した。 長野大会の後、冬季パラリンピックの種目からアイススレッジスピードが外れる。転向したのが陸上競技だった。 シドニーからリオまで、5大会連続でパラリンピックに出場。アテネ大会の5000mで金メダルを獲得し、夏冬の金メダリストとなった。以来、2017年までパラ陸上の第一線で活躍してきた。 リオパラリンピック閉幕後、喘息が発症した。治療目的で水泳を始めたことがきっかけになった。クロストレーニングとして、トライアスロンに挑戦してみよう。最初はそんな軽い気持ちだったという。2017年4月のアジア選手権で優勝し、その結果から横浜の大会の出場権が得られた。 「なぜ、陸上をやめるのか、陸上と並行してトライアスロンをやってはどうか。そんな声をたくさんいただいた。今まで続けてきたことの成果です」 陸上のトップ選手から、トライアスロン1本に専念する。覚悟を決めるのは簡単ではなかったはずだ。 「確かに葛藤はありました。最初はクロストレーニングとしてのトライアスロンが、どう陸上に効果があるかということを検証したいと思っていました。でも、続けるうちにどんどんのめり込んでいったんです」 並行させる選択肢がなかったわけではない。 「ハンドバイクとスイム。取り組みたいことが3倍になったから、中途半端なことはできません。20年続けてきた陸上は、達成感もあった。よし、次に行こうって」 レーサー(陸上競技用車いす)は、それこそ目をつぶっていても操作できる。でも、スイムとハンドバイクは、まだ発展途上だと感じている。 「というより、競技者としてはビギナーですよ(笑)」 初めてハンドバイクに乗った時には、カーブを曲がることすら難しかったという。 無意識に操作できるまで、徹底的に乗り込むしかない。 本格的にトライアスロンを始め、調達したのはイタリアの「マッディライン」というブランドのハンドバイクだ。 「ハンドルに対する体の位置、背もたれの角度など調整の幅があり、その調整がしやすいこと。そこを重視して選びました」 ランでは、レーサーを使用している。 「用具としてはまったく別物ですが、自分の体との一体化を図る意味では共通しています。でも、ハンドバイクはまだ一体化されていない。バイクの性能を活かしきれてないですね」 スイムでは自分の身ひとつでオープンウォーターに飛び込む。 「でも、ウェットスーツも、重要なギアのひとつです。以前は着脱しやすいツーピースタイプを使用していました。着脱のしやすさは絶対条件です。トランジションタイムは勝負に直結しますから。でも、水中での運動、水流を考えるとワンピースのほうがいい」 トライアスロンに転向して、よりサポートのありがたさを実感しているという。 「用具の調整、トレーニング。それぞれの専門家によるサポートをいただいて、初めてレースに出場できる。挑戦すること。それが、私の原動力です」 2020年。土田は3つ目の競技で、東京パラリンピックでのメダル獲得を目指す。 取材・文/宮崎 恵理 写真/吉村もと


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