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  スペシャルオリンピックスのいま(1/2)

スペシャルオリンピックスのいま(1/2)

スペシャルオリンピックス(以下SO)との縁をつくってくださったのは、SO日本元理事長の細川佳代子さん、細川護煕元総理の奥様です。2002年に連絡をいただいて、ドリームサポーターになって活動を応援してほしいと言われました。元力士の小錦さんやテニスの伊達公子さんもサポーターで、私でなにか役に立てればと思ってお引き受けしました。 関わり始めて、さまざまな気づきがありました。 たとえば、知的障がいのある人(アスリート)にスポーツの場を「提供」するという表現が理解できなかった。人に聞いて、提供されなければスポーツする機会さえなかったことを初めて知りました。 サポートを難しくしているのは、当事者であるアスリートがどんな環境でスポーツをしたいのかを十分に発信できないことです。結局、組織を支える人の思いや価値観によって環境づくりがされてきた。その価値観も、「参加することが大事」「ナンバーワンよりオンリーワンを目指す」というものです。 でも、翌03年、アイルランドの首都・ダブリンで行われたSO夏季世界大会に行ったとき、それとは違うシーンを見たのです。確かに勝負を度外視したような選手もいました。重度の障がいのある陸上選手は、スタートしてもゴールを目指さないで応援席に向かって走ってきたり、遅れている子を待ってゴールしたり。 いっぽうで、勝負にこだわるアスリートもいたのです。バスケットボールチームは決勝で負けたのですが、地団駄踏んだり泣いたりして悔しがっていました。 それを見て思いました、勝つことを追求する選手がいるのなら、それを応援する体制が必要だと。また、ひとつの価値観にしばられないで、アスリートに合わせてサポートしたほうがいいというふうにも思いました。 そんなことを考えているうちに、副理事長に、何年かして理事長になってほしいと言われました。スポーツに関わりのある人が組織のトップに立って、SOのことを外に向かって発信してほしかったようです。 理事長になってからは、選手団を率いて、いろいろな大会に行きました。選手と一緒の部屋で寝泊まりして過ごしました。知的障がいのある人とない人、違うところはあるけれど、同じ部分もたくさんあるんですね。怠ける人もいるし、悪戯をする人もいる。障がいのありなしにとらわれず、普通にシンプルに接すればいいと思いました。 私が理事長になって、これだけはやりたいと思ったのは、一人でも多くの人たちに、スポーツをする機会を提供したいということ。スポーツは、人を変える力をもっているからです。 私はカンボジアで毎年行なわれている「アンコールワット国際ハーフマラソン」の運営に関わってきました。最初はゲストランナーとして参加したのですが、貧困や地雷の問題がある国で、はたしてマラソンに意味があるのかと疑問でした。しかし翌年再訪すると、子どもたちが楽しみにしてくれていた。マラソンは彼らに生きるパワーを生み出していた。スポーツが持つ力をあたらめて実感しました。そんなスポーツだからこそ、できるだけ多くの知的障がいのある人に経験してほしいのです。


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