Home > Magazine >  ID陸上でアジア新記録! 東京パラリンピックに挑む
  ID陸上でアジア新記録! 東京パラリンピックに挑む

ID陸上でアジア新記録! 東京パラリンピックに挑む

今年7月に開催された関東パラ陸上競技選手権大会(東京・町田)の800mを1分55秒65のアジア新記録で優勝。知的障がい者のT 20クラスで東京パラリンピック出場に挑戦する米澤諒の存在を強く印象づけた。 4月に勤務先である株式会社エスプールプラスとスポンサー契約を結び練習環境が整ったばかりだが、早くもアジア新記録という結果を出してみせた。 米澤の才能を最初に見出したのは、米澤が昼間に通っていた知的障がい者施設の職員だった。 「京成佐倉駅から続く坂道をものすごい勢いで駆け上がっている」 その姿が気になった特定非営利活動法人木ようの家の工藤氏は、陸上の練習に誘ってみた。 米澤のデビュー戦は2013年、高校2年生のときに出場した佐倉マラソンの10㎞。1人だとコースの途中で道に迷ってしまうのではと心配した米澤の母は、陸上の県大会で活躍した姉に伴走を頼んだ。ところが米澤は、その姉を振り切るようにゴールまで疾走した。 2014年からはトラック種目に取り組み始め、千葉県障がい者スポーツ大会の800mに出場して3位。全国大会への代表枠2名には惜しくも届かなかった。 翌年の高校4年生の時は、和歌山県で開催された全国障がい者スポーツ大会に800mで出場し、優勝した。また、全国高等学校定時制通信制体育大会では、800mで2分01秒34。銀メダルだった。これは一般の高校陸上部のなかでは目立って速い記録だ。 全力疾走する米澤の姿を目の当たりにして、「親の期待は高まりましたよ」と米澤の父。本人が競技に集中できる環境づくりに両親は奔走しはじめた。 高校卒業後は、佐倉市役所のチャレンジドオフィスさくらで仕事をしながらトレーニングに励んできた。これは2年間、一般企業への就職に向けて取り組む就労支援制度だ。 そして2017年、国際大会を初めて経験。バンコクで開催されたINAS世界陸上選手権の800mは8位に終わった。 「外国の選手はものすごく速かったです。もっと練習をがんばらないと勝てない」と米澤。 それから約1年後、今年6月に開催された関東パラ大会をアジア新記録で優勝する。この大躍進について、現在指導しているニッポンランナーズの萩谷正紀コーチは、「技術的なことも少しづつ改善してきました。(とくに知的障がいの選手では)成績とメンタルはかなり関係があります。800mについては、本人も自信がついたと思います」 今シーズンは本格的なトレーニングの成果が記録につながった。しかし東京パラリンピックには、せっかく自信をつけた800m種目がない。そこで、昨年から400mへの転向を進めているところだ。 「400mを51秒台で走る実力はあるのだけれど、試合でそれを出せていません」 「指導法が難しいです。最初の100mは加速して、中盤はリラックスする。そこからさらに加速していくというような難しい指示では伝わらない。800 m のときもそうでしたが、400mに自信を持てればいいのですが」 得意の800mでは、全力で走りきり、ゴールするとそのまま倒れ込むようなことが多い。それが400mは、余裕を残したままレースを終えてしまう。 米澤は、「400mは最初から最後まで、力を出し切ることがきついです。フライングも心配です」と話す。自分の走力をコントロールできずに悩んでいる。 今年の4月からは、午前中は仕事をして、午後から練習という毎日だ。そして週末は試合か強化合宿ということが多い。障がいの特性から、自分で加減を調整しにくい。すべて全力で取り組むものだから、コーチや家族はコンディショニングにも気を配っている。 米澤の母は、「栄養のことや睡眠時間は気をつかっています。ただもう社会人になったのであまり口出しはしません」と見守っている。 「陸上競技をはじめてから、とてもしっかりしてきました。静岡で行われる強化合宿にも東京駅から1人で行っています」と、米澤の父もその成長を実感。 「家族としても、彼のいろいろな面に気がつきました。アスリートとしてだけではなく、これから先も彼は1人で社会で生きていかなければならない。そういうことも含めて、今はとても多くのことを学んでいると思います」 陸上をはじめたことでコーチや今の職場とも出会い、1人の大人として自立していくすべを得た。「東京パラリンピックに出ます」と答える米澤。知的障がいを持ちながら自分の人生を歩んでいく勇気と自信をスポーツがプレゼントしてくれた。 取材・文・写真/安藤 啓一


pr block

page top