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  パラアスリートであること そのプライドを語る(1/3)

パラアスリートであること そのプライドを語る(1/3)

2018年8月25日。ロンドン、リオパラリンピックの金メダリスト、ドイツのマルクス・レームは、ベルリンで開催されたヨーロッパ選手権の走り幅跳びで8m 48㎝を跳び、1カ月前に日本で3年ぶりに出した8m47㎝の世界記録を更新した。 伊藤智也は、2008年北京パラリンピックで4 0 0 m、800mで金メダル、12年のロンドンパラリンピックでは200m、400m、800mで銀メダルを獲得したが、その後現役を引退。その伊藤が今夏、復帰した。   ̶ ̶レーム選手はウェイクボードの練習中にボートのスクリューに右足を巻き込まれて切断。伊藤選手は20年前に多発性硬化症を発症して車いす生活に。ともに障がいを負ってから陸上競技の選手としてパラリンピックに出場されていますが、なぜ、陸上だったのでしょう。   伊藤智也(以下、伊藤) 私の場合は、入院中に間違えてレーサー(競技用の車いす)を買ってしまったというのがそもそもの始まり(笑)。障がい者スポーツがあることも知らなかった。かっこいいという理由でレーサーを買ったことで陸上を始めました。   マルクス・レーム(以下、レーム)ははは、面白いエピソードですね。私の場合は、子どもの頃に陸上競技をしていた時期がありました。切断後、水中で使える義足を使ってウェイクボードをしたり、トランポリンなども挑戦していました。ある日、イベントでトランポリンを披露したら、バイエル04レバクーゼンというスポーツクラブの人が、私を招待してくれたんです。それで事故後初めて陸上をやりました。   ̶ ̶義足で、あるいはレーサーで初めて陸上をやってみた印象はどんな感じでしたか。   伊藤 初めてレーサーに乗ったのはまだ入院中でしたね。田舎だから車も少なく自由に走ることができました。ある日、自転車に乗るおばあさんを追い越したんです。病院用の車いすでは、自転車を追い越すことは難しい。その体験で、走るのは面白い、と感じました。   レーム 初めて義足をつけて走った時には、顔に風が当たるという感触を味わえたことが印象的でした。コーチに言われて、試しに走り幅跳びをしたら5m15㎝。日常用の義足でしたが、ドイツ国内の記録を超えていると言われて、自分には走り幅跳びのポテンシャルがあることを実感したのです。伊藤さんが復帰を決意されたきっかけは、なんだったのですか。   伊藤 埼玉県にある工業デザイン工房「RDS」が「チーム伊藤」を結成し、体やフォームにぴったり合った特製の専用車いすを開発してくれる、というオファーをいただいたことがいちばんの理由ですね。もともとモータースポーツの技術開発に携わるRDSが、パラスポーツの開発環境に寄与しようという。前代未聞ですよ。そこに意義を感じて、やったろうかい! と。   ̶ ̶お二人は、義足とレーサーという競技用の用具を使用しています。その用具に体を適応させるためにいろんな努力をされていると思いますが、使い方を含めて、どんなことに力を入れているのか、教えてくだい。   伊藤 レーサーは、人間の体の進化を凌ぐ速さで進化します。真摯に挑戦すれば、少しずつでも人間の進化、タイムにつながっていく。その探求を怠ってはいけないと思っています。   レーム おっしゃる通りです。私たちにとってテクノロジーは不可欠です。義足を装着せず1本足で8m超の記録を出すことはできません。同時に私たち障がい者にとっては、義足は体の一部なんです。レーサーや義足だけに注目されがちですが、アスリートがそれを自分の体として受け入れて、初めて使いこなすことができる。私が特に力を入れているのは、義足でバランスを取ること、義足から受ける感触を自分自身がしっかり受け止めること。ジャンプすることで感覚を確認しています。


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